俺にとっては


仕事で疲れているはずなのに、どうしてか眠る気になれなかった。先に寝る、と言って二階へ行った兄ちゃんを見送ったあと、俺は一人ソファーで考え込んでいた。キッチンに残っている兄ちゃんが作ったパスタ、なんとも言い難い寂しさを漂わせる。

結局、昨日の夜からナマエは姿を見せていない。兄ちゃんが何度か様子を見に行ったらしいけど、死んだように寝ているだけだった。初めはよっぽど疲れていたんだね、と終らそうと思ったけれど、少し、おかしいと思った。


「(何か、あったのかな…)」


明日の世界会議で少し日本に相談してみようか。もしかしたら俺たちに話せないことも、同じ日本人としてナマエも心を開くかもしれないし。

あの子はこれからどうするつもりなんだろうか。もちろん俺はあの子がちゃんと自分の国に帰れるまで面倒は見るつもりでいるし、兄ちゃんも話せばわかってくれるはず。

らしくない溜め息をついたとき、ゆっくりと階段を下りる音が聞こえた。少し暗いそこを手探りで下りるような、そんなたどたどしい足音だ。兄ちゃんのものではない。

ソファーから立ち上がって階段へ向かうと、ちょうどリビングに入る一歩手前で立ち止まるナマエがいた。俺の顔を見て少し気まずそうに眼をそらすと、聞こえるか聞こえないかくらいの声でおはようございます、と呟かれた。


「ヴェ〜、もう夜だよー?」
「はは…」
「疲れはとれた?」
「あ、はい。おかげさまで…あの、もしかして…」
「ん?」
「私がベッドを占領していたから起きてたのですか?そ、そうだったらごめんなさい!あの、私!」
「違うよー。ちょっと起きていただけ。それより昨日の晩から何も食べてないでしょ?おなかすいてない?」
「あ…、そう言われると、すいてる気がします…」
「ちょうど兄ちゃんが作ったパスタがあるから温めなおすね〜」


何かを言いたそうにこちらを見ながら、それでも話しかけてはこないナマエに、俺もどう対応していいのかわからなかった。逃げるようにキッチンへと行く俺の背中を見送ってから、ナマエはテーブルへと座った。

軽く温めなおしたパスタからはいい匂いが鼻を通る。なんか、匂いかいでたら俺もおなかすいてきたかも。


「はいどうぞ」
「ありがとうございます…」
「兄ちゃんのパスタもね美味しいんだよ〜」
「フェ…あ、あなたが言うなら、きっとそうなんでしょうね。ごめんなさい。折角作ってくれていたのに、私起きれなくて。お兄さんが何度か部屋へ来てくれた感じはしていたのですが、その…」
「大丈夫。気にしないで!兄ちゃんも怒ってないよ!むしろ心配してたくらいだしー」
「はは…よかった、です」


カチャカチャとパスタをフォークに巻く音を聞きながら、さっきふと気になったことを聞いた。もしかしたらそれが地雷かもしれないと思ったけれど、踏まなければ始まらない。


「ねぇナマエ、なんでさっき…俺の名前呼ぼうとしてやめちゃったの?兄ちゃんのことも、昨日は名前で呼んでたよね?」
「ッ!」
「それになんかさ、昨日より余所余所しいっていうか…俺、なんかした?それとも兄ちゃん?何かしたなら謝るからさ…そんな他人みたいに接せられると、悲しいな」
「………」
「やっぱり言えない?別に全部吐き出せって言ってるんじゃないよ?せめて、俺たちで力になれるならなりたいだけなんだ…」


それでも辛そうに、でも話そうとしないナマエを見て、俺はなんだか泣きそうになった。きっとここで泣いたらドイツや日本に怒られるんだろうなぁ。男なんだから!って。


「ごめん。無理強いさせちゃったね。気にしな「…一つだけ」え?」
「一つだけ、聞きたいことがあります」
「何?言ってみてよ。俺が答えられることならなんでも言うよ!」
「…、あ、あなたは…フェリシアーノ・ヴァルガスという人で、良いんですよね?」
「!」


地雷を踏んだのは、君のほうだった。

その質問はいったいどういう意味?もしかして俺が国の化身だって知ってる?いや、ありえない。だって言ってない。兄ちゃんだって、そんな大切なこと簡単に口にするはずない。

俺の部屋で何か見た?けど見られて困るようなものはあそこには置いてない。第一ナマエはずっと眠っていたはずなのに。

今の一瞬で、口では表しきれないほどの予想と不安と焦りが駆け巡った。今ここで本当のことを言うべきか。いや、知らないなら知らないままのほうがいい。

いつもこれくらい頭がフル稼働したらドイツに怒られなくて済むし、仕事も早くできるんだろうけど。でもそんなの俺らしくないよね。

俺の答えは一つだけ。


「ヴェ?もしかして俺の名前覚えにくい?だから〜フェリでいいって言ったでしょー!まったく。ナマエは寝すぎ!まだ寝ぼけてるんじゃない?」


ふにゃりと笑った俺の顔を見て、ナマエは面食らったような顔をした。それからしばらく呆然としていたけれど、どこか納得したような、安心したような、そんな笑い方をした。それに今度は俺が面食らった。だって、俺の予想ではもっと食いついてくるかと思ったから。


「うん。私、寝ぼけてました。あなたはフェリ。それでいいんですよね」
「!、ナマエ、今、フェリって…!」
「?、そう呼べって…」
「え、や、言った…けど…」
「ダメでしたか?」
「ううん!全然ダメじゃない!」


一瞬ひやり、と嫌な汗が背中を伝ったけれど、それはすぐに乾いてしまった。

少し短くなったナマエとの距離が新鮮で、明日は大事な世界会議だっていうのに俺は全然寝る気が起きなかった。むしろこの時間のほうが、俺にとっては大事にしなくちゃいけないものだと思った。

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