初めての町
この世界の町村は、魔物の被害が出ないように高い
雲が仄かな橙色に色づく時刻に到着した町は、村と違い、頑丈な塀が建てられいる。
アレンが門番から通行税を払ってから通行証を貰って、ようやく町に中に入れた。
「わあ……!」
生まれて初めて訪れた町は、今生では見たことがないくらい活気づいていた。
木造の建物があれば石造の建物もあり、大通りは敷石で
初めて見る異世界の賑々しい情景に、すっかり見入ってしまった。
「すごい……」
「帝都はもっとすごいぞ」
衝撃を受ける私の感想に、アレンがクスッと笑いながら馬から降りる。
私もアレンの手を借りて降りると、地面に足をつけた途端にふらついてしまった。
得も言われぬ不安定感に困惑する私の肩を、アレンが支えてくれた。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
「馬の旅は十日ほどかかる。そのうち慣れるさ」
帝都まで十日も続くのか。まぁ、出発地点が辺境だから仕方ないけれど。
慣れると楽になるはずだが、本日の疲労感を考えると気が遠くなりそう。
「さて、まずは……」
辺りを見渡して呟いたアレンは、私の手を引いて歩き出した。
まるで親子、兄妹のような感じで、ちょっと恥ずかしい。
でも、嬉しかった。誰かと手を繋ぐなんて祖母が亡くなって以来だから。
三年ぶりの人肌の温もりに、胸の奥が締め付けられるほど切なくなった。
「シーナ?」
アレンの声に我に返る。
しまった、感傷的になりすぎた……。
「気分が悪いのか?」
「……んーん。ちょっと疲れただけ」
本当は懐かしくて、少し寂しくて切ない。もう二度と戻ってこない温もりを探したくなるほど、胸が苦しい。
けれど、暗い空気は似合わない。アレンに迷惑をかけたくないので、表情に出さないように気をつけて、小さく微笑んでみせた。
「それより、どこに行くの?」
「……まずは
納得してないようだけど、アレンは追及することなく質問に答えた。
聞き慣れない単語に首を傾げると、「髪を切る店」と簡潔に教えてくれた。
髪を切る。それを聞いて、改めて自分の髪に触れる。
まっすぐ伸びた黒髪は繊細で、腰下まである。前髪は鼻にかかるほど長いため、幽霊に見ても仕方ない。
切った方がいいのは解るけど……瞳は隠したかったなぁ。
アレンが馬を止めて、私を連れて一軒の店に入る。ドアベルが付いているようで、カランと軽やかな音が店内に反響した。
思いのほか広く、清潔感があり、片側の壁に鏡が貼り付けられ、それぞれの鏡の前に椅子が並べられている。椅子には首にタオルを巻いた人が座り、鋏や櫛を持った人が、座っている人の髪を整えていた。
「いらっしゃい」
店の奥から中年の女性が近づいてきた。スラリとした細身で、優しそうな風貌が特徴。エプロンのポケットに鋏や櫛、髪を留めるヘアクリップなどの小道具を入れている。
彼女が来ると、アレンが私の肩に手を置いた。
「彼女の髪を切ってやってくれ」
「この子ね。わかりました。さあ、こっちに座って」
背中を押して促されて、チラッとアレンを見上げる。
アレンは情けない顔になってしまった私に苦笑して、片手を軽く上げた。
「宿に馬を預けてくるだけだ。すぐ戻るから」
そう言って、アレンは店から出ていった。
心細いけれど勇気を出して、女性に促された椅子に座ると、タオルを首に巻かれた。
「綺麗な黒髪ねえ。こんな繊細な髪は久しぶりに見るよ」
「……怖くないの?」
普通に髪を梳く女性は、黒持ちである私が怖くないのだろうか。
不安になると、女性は苦笑した。
「ここまで綺麗な黒は見たことないけど、黒に近い色は何度も見たことがあるし、仕事柄で切ったことだってあるさ。お客さんが怖くて髪が切れないだなんて、美容師じゃないからね」
若く見えて多くの経験をしてきたらしい。だからか、とても頼もしく感じた。
「短く切るのは勿体無いから、後ろは毛先を整えて……前髪は瞼の上ぐらいまで控えめに切りましょうか」
女性はテキパキと髪をまとめ上げ、前髪もヘアクリップで上に留められた。
ふと、正面にある鏡に映る自分が目に入り、驚いた。
黒髪に映える肌は白く、さくらんぼ色の瑞々しい唇。目付きは穏やかそうでいて凛としているけれど、そんなに凛々しく見えない。どちらかと言うと優しい面差し。
鏡なんて持っていなかったから、水鏡以外で見たことがない。だから、ちゃんと自分の顔を見るのは初めてだった。
「まあ! 綺麗な瞳じゃない! どうして隠してたの?」
「……ちょっと事情があって。でも、もう大丈夫だから」
はぐらかしながら切っても大丈夫だと伝えれば、女性は笑顔で頷いて鋏を操る。
鏡越しで躊躇うことなく切る女性の手並みを見る。その手際はとても鮮やかだ。
見蕩れている私がおかしいのか、女性はクスクスと笑って話しかけてきた。
「身形からして、出稼ぎってわけじゃなさそうだね」
これは……話してもいいのかな?
頭の中で言葉を整理して、声に出す。
「えっと……魔導師にならないかって勧誘されたの」
一瞬、女性の持つ鋏の音が止んだ。
「……あんたまさか、宮廷魔導師に?」
「まずは見習いから始めるんだって。どんな仕事なのか、まだわからないけど」
アレンが
「てことは一人で帝都に? あんたすごいんだねえ」
「そんなことないよ」
「いいや。家族も付けずに一人で帝都に行くんだ。並大抵の勇気じゃできないよ」
まさかここまで褒めてくれるとは思わなかった。
私には家族がいないから、並大抵の勇気がよく分からない。
でも、その言葉は嬉しくて頬が熱くなり、誤魔化すためにはにかんだ。
「ありがとう」
「……えと、どういたしまして」
ぎこちなく頷いた女性は後ろの髪を終わらせ、前髪をシャギーカットで整える。
顔についた髪を刷毛で払って、勢いよくタオルを剥がされる。
「さあ、終わったよ」
タオルについた髪を払っている女性に促されて席から立ち、等身大の鏡を見る。
鏡面に映る私は、さっきまでの幽霊のような不気味さはない。
黒持ちと
服はボロボロだから貧相に見える。でも、自分がこんなにも変わるなんて思わなくて、まじまじと鏡を見てしまう。
「これ……私?」
「そうだよ。あんた人形みたいに整っているんだから、いい服買ってもらいなさい!」
そこまで整っているとは思わないけど……そう言ってくれると嬉しいな。
「ありがとう。この髪型、すごく好きかも」
感謝から笑顔を見せると、女性と店員、お客がぼーっとしてしまった。
え、何故?
不意に、カランカランというドアベルの音が聞こえた。
アレンが戻ってきたのかな?と期待を込めて顔を向けると、戻ってきたアレンはドアを開けた状態で固まっていた。
「アレン?」
「あっ……あぁ。……見違えたな」
「そこまでじゃないよ」
ちょっと照れくさくなったけど、見違えるほどだなんて大袈裟だ。
「いかがですか?」
「ああ、いい感じだ」
クスクスと笑っている女性にお金を払うと、アレンは私の手を引いて店から出た。
私の髪を切ってくれた女性は店から出て、私達を見送ってくれた。
「本当にありがとう」
「どういたしまして。この町でいい出会いがありますように」
女性に手を振って、私はアレンに連れられて街中へ向かった。
「そんなに安いものでいいのか?」
「うん。着れたらそれでいいから」
肌に優しい素材だけど値段もちゃんと確認して選んだのだ。まだお金を持っていない今は借りないといけないから、できるだけ安いものではないと道中で支障が出てしまう。それに昼間は馬に乗りっぱなしになるから、丈夫なズボンじゃないと危ない。
最後、男連れで入れないお店へ入る前に、
この世界の貨幣は硬貨。流通している硬貨は、中心に穴が開いた小銅貨・小銀貨・小金貨、紋章を彫り込んだ銅貨・銀貨・金貨、一回り大きな大銅貨・大銀貨・大金貨。
小銅貨百枚または銅貨十枚で大銅貨一枚、大銅貨十枚で小銀貨一枚、小銀貨百枚または銀貨十枚で大銀貨一枚……という風に繰り上がっていく。
小銅貨で屋台の飲み物やパン、銅貨で飲食店や生活必需品、大銅貨で食事付きの宿泊、小銀貨で衣服を一式や既製品の金物の調達、銀貨で良質な宝石や装飾品を購入、大銀貨で都会の一戸建て、小金貨で土地と屋敷を購入できる。
金貨で
おそらくだけど日本円に換算するなら、小銅貨は百円、銅貨は千円、大銅貨は一万円、小銀貨は十万円……と繰り上がり、大金貨は百億円となるはず。
ちなみに女性ものの肌着は、銅貨が四枚もあれば二セットも買えた。
「お待たせ。……それは?」
「婦人用のコートだ」
広げて見せたのは、少し小柄な人が着る茶色いコート。薄くて軽そうだけど、生地は温かそうに見える。
誰かへのお土産? でも、帝都の人ならもっといい物を買っているはずだし……。
不思議に思って首を傾げると、アレンは笑って私の肩に掛けた。
「え?」
「プレゼントだ」
「ええ!?」
家族や精霊以外からのプレゼントは、初めてだから驚いてしまう。
いや、そうじゃなくて……!
「だ、だ、駄目だよ、こんな高そうなっ……! 勿体無い!」
「勿体無くない。あと少しで冷え込むようになるんだ。防寒着は必須だろ?」
悪戯が成功したような笑顔で片目を閉じるアレン。
その仕草は格好いい。けど……! こんな高価なものを平気でポンッと出すなんて!
「高くなかった?」
「それほどでもないさ。気に入らなかったか?」
少し不安そうな顔になるアレンに、私は慌ててコートの裾を寄せる。
「すごく好みだよ。でも……私、何もしてないのにプレゼントなんて……」
貰ってばかりでは気負いしてしまう。
お返しをするにしても、今の私にはお金がないし……あ、そうだ。
「宮廷魔導師になってお給金を貰えたら、私もアレンにプレゼントする」
「えっ」
目を丸くするアレンに、私は笑ってやる。
「こんないい物を貰ったんだから。私だってお返ししたい」
私は大人しく貰われるばかりの安い女じゃない。
ちゃんと相手にお返しをするという精神は持ち合わせているが、思えば前世の故国ではよくある国民的気質だと思い出す。
恩には恩義をもって返す精神は、武士道にも似ている気がした。
「だから覚悟しててね!」
「……ああ」
苦笑しているけど、どことなく嬉しそうな顔のアレンは私の頭を撫でた。
出会って三日目だけど、アレンは私の頭をよく撫でる。私には兄弟なんていないから、このやり取りは新鮮だ。
妹のように思ってくれているのなら嬉しいし、こんな優しい兄がいてくれたら、きっと人生も楽しいだろう。
でも、何故だか兄妹だと思った瞬間、胸の奥が針で刺されたような痛みを感じた。