悪夢の権化

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 地平線の彼方が赤紫色に染まる頃、アレンと一緒に町で二番目に大きな建物に行った。
 三階建ての建物の窓や扉の隙間から明かりが漏れ出て、中から賑々にぎにぎしい声が聞こえる。

「ふわぁ……!」
「ここが今日の宿だ」

 まさか中華風な建物が宿だなんて予想外で、思わず変な声を上げてしまった。
 アレンは面白そうに笑って、宿屋の扉を開ける。

 店内は酒場っぽくて、テーブルや椅子がいくつも設置され、そこに様々な装束を身に纏う男性から女性が所々に座っている。
 女将おかみさんらしき恰幅かっぷくの良い女性が立ち回っているところには、見覚えのある三人の男性に加え、結い上げた栗色の髪と優しげな茶目が特徴の女性がいた。

 女将さんからブリキのジョッキを配られた一人の男が、こちらに気付いて手を振った。

「アレン、こっち、だ……」

 アレンに声をかけたその男は、ピシッと固まった。
 会話の途中で気付いた二人の男と一人の女性もこちらを見て、目を丸くする。
 彼等の視線がアレンではなく私に向いている気がして、少し怖くなって後ろ足を引く。アレンはそんな私の肩を軽く叩き、私の手を取って誘導してくれた。

「遅くなってすまない」
「あ、あぁ……じゃなくて! 本当にあの時の子か!?」
「めちゃくちゃ美人じゃね!?」

 は? 美人? 誰が?

 騒然とする三人の様子に首を傾げてアレンを見上げると、彼は苦笑した。

「先に床屋に連れて行ったからな」
「床屋に行くだけでこんなに変わるもんっスか……?」

 三人の中で一番若い男……というか少年が言うけど、前髪を切っただけだから、そんなに変わってないと思う。
 衝撃が抜けきらない三人と違って、栗毛の女性は席から立つと、私へ近づいた。

「はじめまして。私はアポイナ村の花嫁候補にお仕えする侍女、ソフィー。この宿でみんなを待っていたの」
「あ……はじめまして。シーナと申します。遅くなってすみません」

 軽く頭を下げると、ソフィーは首を横に振ってニコリと笑った。

「いいのよ。突然の勧誘だったそうだし、シーナも大変でしょう? できることがあれば何でも言ってちょうだい。気楽に相談してくれると嬉しいから、遠慮しないでね」
「……ありがとう」

 こんなに優しい人もいるなんて驚いたけど、ほっとした。
 女性がいてくれると心強いし、何より気が楽になる。
 でも、彼女は花嫁候補の侍女だから忙しいと思うし、あまり話せないかもしれない。
 ちょっと残念だけど、彼女の仕事を邪魔しないためにも自制しよう。

「そういえば、貴女のお友達が部屋で待っているの。案内するわ」
「……え?」

 友達? 友達って……誰?

 アポイナ村では、私に友達という存在はいない。いるとしても、それは人間ではない。
 それなのに、どうして私を友達なんて言葉を使って呼び寄せようとするのか。

 ……まさか。

「シーナ?」

 嫌な予感がする。警鐘が鳴り響いているような耳鳴りがする。
 我に返ると、血の気が引く私をソフィー達が不思議そうな顔で見ていた。

 ……駄目だ。足を引っ張るな。

「……なんでもない」

 小さく返して、私はソフィーの案内を受けて階段を上った。


 花嫁候補の部屋は三階の突き当りにある。ソフィーが扉をノックして、ひと声かける。

「スザンヌ様、お連れしました」

 ……ああ、嫌な予感が当たってしまった。

 部屋の中から「どうぞ」と鈴を転がしたような軽やかな声が聞こえた。
 胸焼けがするほど拒絶反応が出そうだ。
 ソフィーが扉を開けて、私から先に部屋へ入れる。

「ありがとう、ソフィー。二人きりで話がしたいの。いいかしら?」
「畏まりました」

 言葉で人を使うことに慣れている、この人間の優しそうな声に吐き気がする。
 無表情を貼り付けて、二人きりになった空間の中で目の前にいる少女を見る。

 緩いウェーブがかかった亜麻色の髪は背中まで。ぱっちり二重に嵌る、大きな琥珀色の瞳。全体的に妖精のような愛らしさがある美少女は私より二歳も年上だから、肉付きは女性的。容姿に見合う桃色のワンピースの上には上質なストールがかけられている。

 誰もが羨む美貌を持つ美少女こそが、アポイナ村の村長アイザックの娘、スザンヌ。
 私の闇の権化そのものだ。

 スザンヌは二人きりになって私に目を向けると、不快そうに形の良い眉を寄せる。

「なに? その格好。貴女なんてみすぼらしい服で充分じゃない」

 誰もが「蝶よ、花よ」と愛でるだろう人間から、辛辣しんらつな言葉が吐き出された。
 これがスザンヌの本性。自分の気に入らない人間は排除しようとする、自分だけが愛されていればいいと傲慢にも思い込んでいる、裏表の激しい、ただの人間だ。

「それに髪まで切って……娼婦でも始めるつもり?」

 どうして髪を切っただけで魔女から娼婦に転職しないといけないのか。
 どういう脳内構造をしているのか不思議だけど、この女を理解する日はきっと来ない。
 私の全てを奪った、この外道だけは死んでもゆるせないから。

「貴女まで帝都に行くなんて……間違ってるわ。貴女みたいな薄汚れた魔女が行っていい場所じゃないのよ? 解ってるの?」
「薄汚れているのはそっちでしょう」

 ……あ、しまった。つい言い返してしまった。
 もういい、自棄だ。

「……何ですって?」
「自分だけ愛されていればいいっていう思考ばかりだから、そんな薄汚れた考え方しかできないのかって言ったの」

 ニュアンスを少し変えて見下すように言えば、スザンヌは拳を握り締める。
 綺麗な瞳も怒りと狂気のせいでにごっている。どうすればこんな育ち方をするんだか。

「だいたい、私は魔女じゃない。宮廷魔導師として純粋な勧誘を受けて帝都に行くの」
「……へえ? 貴女が? たかが『黒持ち』で選ばれた宮廷魔導師の何がすごいんだか」
「貴女、馬鹿?」

 思わず本人の前でののしってしまったけど、もういいよね。ずっと我慢したんだから。

「宮廷魔導師は、『黒持ち』程度で選ばれるわけがない。純粋な才能と素質がないと選ばれないんだよ。それさえも知らないくせに、『黒持ち』を馬鹿にしないで」

 私は何度も逃げていたわけじゃない。スザンヌという人間を観察して、どういう風にすれば言い負かせられるかを考えるための行動だった。
 村では私に味方なんていない。反抗してしまうと風当たりが余計に酷くなるだけだ。

 けど、今は違う。今は村の中じゃなくて、村の外。
 アポイナ村はスザンヌの城だった。その外にいるということは、ある程度は対等でいられるということ。

「……この私に口答えをするなんて、ずいぶん偉くなったじゃない」
「村の外だからこそだよ。それより世間話をするために呼んだわけじゃないでしょう?」

 さっさと要件を聞いて済ませたい。
 促すと、スザンヌは黙り込む。
 ……まさか。

「私をもてあそぶために呼んだの?」

 言葉で甚振いたぶって追い詰めて、村へ追い返そうという魂胆こんたんだったのか。
 図星なのか、私を鬼の形相ぎょうそうで睨むスザンヌ。

 本当に、この人間は……。

「くだらない」

 まったくもって下らない。
 こんな人間のせいで、私の家族は……!

「金輪際呼び出さないで。もっとも、帝都に着けば呼び出されなくていいけど」

 冷めた目で一瞥いちべつした私は部屋から出た。
 扉を閉めて少し離れた途端、後ろの方から変な音が聞こえた。まるでクッションでベッドを殴りつけているような音だ。

 まったく、物に当たるくらいなら呼び出さなければいいのに。

「……あぁ、もう……」

 胸が痛い。身体の芯が冷え込む。息ができないほど苦しい。手足が麻痺して、ちゃんと歩いているのかさえ疑ってしまうほど感覚がない。
 こんな調子でアレン達のところへ行けない。心配されないように外へ出ないと……。

 階段を下りる頃には頭の中がぼんやりして、周囲の声が耳に届かない。

 ……気持ち悪い。



 
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