第二王子の誕生会兼婚約発表の当日、朝から忙しかった。
お風呂で念入りに体を洗われて、さらに流行りの香油でマッサージされた。
子供なのにそこまでする?と思ったが、一国の王子との婚約発表だ。神経質に手入れされるのも仕方ない。
髪も流行りの三つ編みハーフアップ。そこに淡い黄色の花を飾り、エメラルドグリーンの華やかなドレスを纏う。
ドレスの制作には一ヶ月以上もかけるのが普通。しかし、私が考案して商会で売っている魔工ミシンのおかげで、約三週間で完成したそうだ。
青みの艶を帯びる銀髪に紫色の瞳の容姿では似合わないと思ったが、紫色の宝石――アメジストも取り付けているおかげなのか不思議と似合っていた。
「ナディア様、お美しです……」
「ありがとう、アンジェラ。アンジェラと侍女の皆さんのおかげよ」
気恥ずかしさを紛らわすように照れ隠しではにかめば、アンジェラと王家の侍女達が口に手を当てて俯く。ガスお爺様みたいな反応に、ちょっと苦笑してしまった。
「ナディア様、ルシアン様がお見えになりました」
「あ、ええ。どうぞ」
頷けば、年配の侍女が扉を開ける。
「――」
革靴を軽く鳴らして入室したルシアン殿下は、以前と違って神々しかった。
左の横髪を後ろに流すよう撫でつけた、繊細で柔らかなプラチナブロンド。
楕円形のエメラルドを主体に、縁に薄紫色の宝石を控えめに嵌め込んだヘアリングで、一つに纏めた長い襟足。
緑色のジャケットとズボンには金糸が縫い込まれている中で、ジャケットの裾には植物の刺繍が紫色の糸で施されている。
気付いてしまった。私とルシアン殿下の衣装には、二人の瞳の色が込められていると。
仲の良さを知らしめるためとはいえ、どうしよう、ときめいてしまう。
熱を持った頬に自覚してしまい、気恥かしさから口を引き結んで視線を下げる。
「ナディア?」
あの日、ルシアン殿下から気軽な呼び捨てを申し込まれた。
「顔が赤いけど、気分が優れない?」
心配そうな表情で訊ねられ、慌ててしまう。
「ち、違います! ええと、その……前と違う装いで、素敵だと……」
軽く指を絡めた手で口元を隠しつつ、上目遣いで打ち明ける。
すると、ルシアン殿下は目を丸くした。
「あと……ドレスも、ルシアン殿下が考えて下さったと聞いて……嬉しかったです」
羞恥心を抑えてはにかむと、ルシアン殿下は口元に手を当てて顔を
「え、あの……ルシアン殿下?」
「……敬語はいらない。呼び捨てでいいと、前に言ったはずだよ」
くぐもった声で言ったルシアン殿下は、ジト目で私を見据える。
可愛らしい表情だけれど、気恥ずかしさが込み上げてきた。
「人前ではちょっと……恥ずかしいので」
彼は王子。人前で呼び捨ては不敬に当たるし、慣れていないから恥ずかしく感じる。
だから、百歩譲って……
「人前では……ルシアン様と、呼ばせてください」
勇気を振り絞って言えば、ルシアン……は片手で顔を隠した。
駄目なのかな、と不安になってくると、ルシアンは深く息を吐き出して私を見つめる。
ルシアンの顔が私と同じぐらい赤くて、感化されて頬が熱くなり、口を引き結ぶ。
「いいけど、約束。二人きりの時は呼び捨てで、敬語はなしだ」
「……はい」
真剣な表情に心臓が跳ねる。
ドキドキしつつ頷けば、ルシアンは甘い笑みを浮かべた。
十歳の子供がこんな顔をする?と思うくらい色っぽく見えてしまって、直視しきれなくて目を伏せてしまう。
「えっと……遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます」
今日はルシアンの誕生日なのだから、ちゃんと祝福の言葉を贈りたかった。
すぐに言い出せなかった気負いから落ち込みそうだけど、ルシアンは嬉しそうに破顔一笑。
「ありがとう。ナディアからの贈り物だけど、ちょっと気になって……」
そう言ってジャケットの内ポケットから、手紙の封筒型の折り紙が出てきた。
「これは何?」
「私が考案したケーキのレシピです。基本的な工程ですが甘すぎず、工夫次第で味が変わります。食べ物を贈ることはできないので、王城の料理人にお伝えできればと……」
王都のお菓子は甘すぎる。砂糖がふんだんに使われているから食感も微妙。だから甘さ控えめのスポンジケーキとクリームの基本的な作り方、フルーツの盛り方のレシピを書いた。
誕生日に美味しいケーキが食べられないのは私もつらいから、お婆様に作ってあげて絶賛されたことがきっかけで、フィリア商会に製菓部門が設立されたのだ。
ルシアンにも喜んでもらえたらいいけど、外部の食べ物を持ってきたら毒殺に利用される可能性だってあるから手作りは断念。
「本当は手作りしたかったけど……ルシアン様?」
「……これの開け方は?」
「あ、はい。ここの折り目に差し込んだ部分から……」
折り紙だから開け方にもコツがいる。
レシピを開いたルシアンは内容を見て、頬を
「……ありがとう、ナディア。料理長に頼むよ」
とっても嬉しそうにはにかんだルシアン。
満面の笑顔は可愛らしくて、私も心が温かくなって笑顔が浮かんだ。
「さて、そろそろ時間だ。行こう」
「はい。アンジェラ、皆さん、行ってきます」
最後にアンジェラ達に挨拶して、ルシアンの腕に手を添えて部屋から出た。
長い通路を歩く中、夜会の会場に近づくにつれ緊張感が込み上げてきた。
無意識に手に力がこもると、ルシアンが訊ねた。
「緊張している?」
「……これでも
周囲に近衛騎士がいるため敬語を心掛けていると、ルシアンは微笑んだ。
「大丈夫。僕が傍にいるのだから」
自信に満ちた柔和な微笑に、また心臓が跳ねた。
胸の奥にあったモヤモヤが吹き飛んだような気がして、自然と頬が緩んだ。
「頼もしいです。……私も頑張ります。ルシアン様に釣り合えるように」
今の私は、国を回す貴族として新参者。いくら侯爵に匹敵する辺境伯であっても
王族であるルシアンとの婚約に不満を持つ者も大勢いるだろう。
だから彼等に認められるよう、呑み込まれないよう、気を張らなければ。
「――さあ。いよいよお披露目の時だ」
直後、「ルシアン第二王子殿下、フェリス辺境伯、ご入場!」の声が聞こえた。
気を引き締めて会場に踏み込めば、多くの視線が突き刺さる。
何とか引き締めて進むと、メレディス公爵閣下とその妻が近づいてきた。
「ルシアン殿下。この度はご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう」
「フェリス辺境伯、改めて叙任おめでとう。今後、陛下ほどとはいかないが、困ったことがあれば相談に乗りましょう」
「光栄に存じます。その時は是非、よろしくお願いします、メレディス公爵閣下」
最初に接触したのがメレディス公爵閣下でよかった。
頬が緩んで自然と微笑めば、彼の傍にいる夫人が感嘆の吐息を漏らした。
「そしてこちらが私の妻です。ネイダ、こちらが新しいフェリス辺境伯、ナディア様だ」
「ネイダと申します。よろしくお願いしますわ」
「お初にお目にかかります、メレディス公爵夫人。ナディア・フェリス辺境伯にございます。こちらこそよろしくお願いします。どうぞ私のことはナディアとお呼びください」
「では、私のこともネイダとお呼びくださいませ」
メレディス公爵夫人――ネイダ様は、白色に近い銀髪に青い瞳の美女。薄茶色の髪にマリンブルーの瞳の美男であるメレディス公爵閣下とお似合いだ。
気さくに受け入れてくれたネイダ様のおかげで気持ちが楽になると、ルシアンが控えめに自慢するように言った。
「ネイダ夫人。ナディアはあのフィリア商会の舵を
「まあ……! ソフィア様から
「メレディス公爵閣下もネイダ様も、会員してくださりありがとうございます。今シーズン限定の商品もありますので、もしよろしければご覧いただけると幸いです」
この会場にいる貴族の中で、会員登録してくれた方の名前は全て覚えている。
軽く売り込めば、ネイダ様は瞳を輝かせてメレディス公爵閣下に顔を向ける。
「旦那様、いいかしら?」
「もちろんだとも。その時は一緒に行こう」
微笑んで頷くメレディス公爵閣下に、ネイダ様は頬を淡く染めてはにかむ。
「おや、ガスリー公にガスリー大臣。君達も彼女に挨拶かな?」
「ええ。よろしいか?」
メレディス公爵閣下が頷いて譲ると、ガスリー公爵とガスお爺様が一礼した。
「ルシアン殿下、この度はご婚約おめでとうございます。フェリス辺境伯、改めて叙任をお祝い申し上げます」
「ありがとうございます、ガスリー公爵閣下」
「ナディア、今後ともよろしく頼む」
「はい、ガスお爺様」
バリトンの声でガスお爺様が呼びかける。
気軽に名前で呼ばれて、嬉しくてはにかむ。すると、ガスお爺様の目元が一気に赤くなり、口に手を当てて肩を震わせた。
そんなガスお爺様に、メレディス公爵閣下とネイダ様は目を丸くして驚いた。
ルシアンも、意外そうな顔でガスお爺様を見上げて、ぽつりと呟く。
「ガスリー大臣も、そのような顔をなさるのか」
「父は子供好きでして。孫娘でもあるフェリス辺境伯を気に入っておられます。フェリス辺境伯も父に気を許しているようですし」
「ガスお爺様は格好良くて、可愛らしいお爺様ですから」
本心を笑顔で語れば、ガスお爺様は「ゲフンゲフン」と咳き込んだ。
可愛らしい反応にクスクスと笑う私に、ルシアンとメレディス夫婦は驚愕する。
「アルフォンソ・ロイス・アナトリア国王陛下、ルチア王妃殿下、ご入場! アーデルハイト王太后殿下、ご入場!」
ガスお爺様が落ち着く頃、アルフォンソ陛下とルチア王妃が入場した。一拍後に王太后も会場に現れ、上座の席に着いた。
流石、美男美女に美老婆。王家の血筋は美形が多いようだ。
見惚れていると、王家の侍従がこちらに来て「陛下がお呼びです」と告げられた。
「さあ、ナディア。行こう」
「はい」
ルシアンに誘われ、上座の手前まで行く。
しん、と静まり返る会場に緊張するが、入場の時ほどではない。
上座にいるアルフォンソ陛下達の前まで行き、最上の拝礼を披露する。
「お呼びと聞き、参上いたしました、父上、母上、お婆様」
「ああ。楽にせよ。其方らは此度の主役だからな」
主役、と言われて少し緊張する。
頬が少し熱くなると、ルチア王妃が声をかけた。
「初めまして、フェリス辺境伯。貴女の話はソフィア様からよくお聞きするわ」
「お初にお目にかかります、ルチア王妃陛下、アーデルハイト王太后殿下。この度のルシアン殿下とのご婚約、とても身に余る光栄に存じます」
「堅苦しくしないで。貴女は私の孫娘になるのだから。私達もナディアと呼ぶから、アーデルお婆様と呼んでちょうだい。今後ともよろしくね」
「はい。よろしくお願いします、アーデルお婆様」
気さくな方々で安心して、自然と笑顔が浮かぶ。
アーデルお婆様も嬉しそうに微笑み、ルチア王妃は頬を淡く染めて「素敵」と呟く。
……恥ずかしくなってきた。
「ソフィアからフィリア商会の会頭として辣腕を振るっていることも、様々な製品を生み出していることも、よく聞いているわ。後でそのお話を聞かせてくれるかしら?」
「喜んで」
「ルシアン、ナディア様を大切にするのよ」
「もちろんです、母上」
アーデルお婆様の申し出を受け、ルチア王妃とルシアンの会話に胸を熱くする。
会話に区切りができると、アルフォンソ陛下が腰を上げて、貴族の方々に挨拶した。
「皆、今宵は我が息子ルシアンの誕生祝いに加え、婚約祝いに来てくれたことを嬉しく思う。そして、ルシアンの婚約者となったフェリス辺境伯を紹介しよう」
アルフォンソ陛下が小さく私に呼びかけて「前へ」と告げる。
それに応えて、私は一歩踏み出して淑女の礼をする。
「この度、フェリス辺境伯の爵位を賜りましたナディア・フェリスと申します。若輩ですが、一貴族として国に
自然体な笑顔を心掛けて穏やかに微笑む。
そして一歩下がれば、アルフォンソ陛下が続けた。
「我が息子ルシアンの誕生と婚約、フェリス辺境伯の門出を祝い、乾杯しよう。皆、今宵はゆるりと楽しんでくれ」
それぞれ飲み物を手に取り、アルフォンソ陛下が「乾杯」と言って酒杯を掲げる。
貴族達もそれに唱和して一口飲み、そこから室内管弦楽団が演奏を奏で始めた。
「ナディア、踊ろう」
「はい」
本番のダンスは初めてだ。緊張からドキドキしてしまうが、ルシアンはクスッと笑う。
「大丈夫。僕に身を任せて」
……本当に十歳児?と疑ってしまうほどの大人びた笑顔だった。それにときめく精神年齢四十路の十歳児……犯罪じゃないよね?
なんてことが頭に過り、小さく笑ってしまった。
「お任せします」
自然と緊張がほぐれて、満面の笑顔で言った。