翌日の王城で、ガスリー公爵と共に経理部で魔晶石の話をした。
夜のうちにまとめた研究結果を持参したおかげで
「まさに経済が一新する研究結果ですが、此度の戦争に魔晶石を使うとなると、国庫の負担は相当なものになります。既に
予想していた通りの返答だった。
ガスリー公爵は食い下がるが、経理部のエドガー・リーブス長官は
彼の気持ちは分かる。リーブス長官の懸念は、戦争で使った魔晶石の行方だ。
フェリス辺境伯の私財から
戦後に支払われる報奨金を用意する手前、魔晶石の資金を今から用意するには無理がある。
となれば、
「なら、魔晶石の件は私が全負担し、私への報奨に少し色を足すというのは? 此度の戦争に出陣するサージェント元帥が
それなら私の私財も少しは回復するだろう。
当面は無駄遣いを避けるつもりだけど、財政難の問題は軽くしたい。
かなり譲歩した提案をすれば、リーブス長官は目を瞠る。
「よろしいのですか?」
「ええ。本来なら領地経営に必要な私財を回復させたいのですが、私に適した報奨金以外のものでも構いません。どちらも難しいのであれば、アルフォンソ陛下に
アルフォンソ陛下なら悪いようにはしないはずだし、無茶な判断はしないはず。
一国の主の決めたことなら受け入れられる。そう思って言えば、しん、と静まり返る。
声だけではなく、経理部の室内に響く筆記の音さえも聞こえない。
「……あの、それも難しいですか? 流石に領地の改革が
心なしか耳に痛い沈黙。
耐えきれず切り出すと、リーブス長官が恐る恐る訊ねた。
「その……失礼ですが、フェリス辺境伯はどのような報奨がお望みなのです?」
踏み込んだ質問だけれど、私が考える報奨の希望は簡単なものだと思う。
「できることなら金銭、できないのであれば中央集権の一部の緩和、もしくは領地経営に力を入れるための援助……が、妥当でしょうか」
私としては技術開発に力を入れたい。そのために私財を蓄えているようなものだから。
せっかくだし、ついでに私が思い描く理想を挙げよう。
「新しい特産品の開発も進めて、生産が可能な領地との技術
出る杭は打たれるというので、身の安全のためにも後方支援に
だから私にできるだろう事業と、そこから国の発展へ繋げたい気持ちも語る。
将来的にできたらいいなぁ、と思っていると、リーブス長官は口を開いたまま硬直。唖然としているような表情に首を傾げる。
「領地を持つ貴族なら、これぐらいは国に還元しますよね?」
「え、あ……あー……。そのぉ……フェリス辺境伯、今のご年齢は……?」
「十歳ですが」
我に返ったと思えば、さらに口を開けて唖然、呆然。
信じられない様子だけれど、流石に傷つく。
「そこまで私は年増に見えるのですか……?」
「えっ!? いっ、いえ! そうではなくっ……!」
落ち込んでしまう私に、リーブス長官は慌てる。
やっぱり年増に見えるのね……。
さらに気分が沈んでしまうと、私の隣にいるガスリー公爵は苦笑した。
「フェリス卿のような思想を持つ子供は珍しい。そも、それを自ら考え、実行に移す貴族らしい貴族は少ないのだよ」
「……え? それは……先達の貴族も……?」
思わず問いかけると、ガスリー公爵は苦笑いで肯定。
嘘でしょう……? 流石に父……先代フェリス辺境伯のような、愚かな貴族はいないと思っていたのに。
「この国は大丈夫なのですか……?」
「真っ先に国の安否を気にするのはフェリス卿ぐらいだろうなぁ」
ガスリー公爵の言葉に、経理部の空気がさらに重くなる。
年配なのにそれができない貴族が多いなんて、失望しかない。
ガスリー公爵はまともだと思うけれど、侯爵から下の貴族はどうなのか。私の懸念が現実なら、アルフォンソ陛下の負担はどれほどのものなのか。
……不安を通り越して恐怖だ。怖くて聞けない。
アルフォンソ陛下に恩を返すと宣言したのに、このような
「……あー。フェリス辺境伯のご要望ですが、そのぉ……我々には難しいことですので、陛下にお伝えいたします」
「……よろしくお願いします」
リーブス長官の気遣いはありがたいけれど、アルフォンソ陛下に申し訳なく思う。
心の中でアルフォンソ陛下に謝罪しつつ、リーブス長官に報奨の行方を任せた。
王城に来たついでに魔術師達の様子を確認しに向かう。
ガスリー公爵から粗方のことは聞いたけれど、少し心配が残る。
過保護かもしれないけれど、今の彼等の立場は盤石なものでないのだから当然だ。
けれどガスリー公爵の要望により、まずは国軍の勉強具合を見に行くことになった。
会議室ではない、広々とした訓練場。大きな石造りの壁を利用して、巨大な布に特殊なインクで書き込んだ図がいくつか張り付けられている。
後方にいる人の視力も考慮して、垂れ幕による図を用意したのだ。
マキシミリアンのよく通る声で、最後列まで聞こえる様子だけど……。
「理解が追いつかないのが現状なのね。なるべく専門用語は省いてくれているけど……」
「ちなみにフェリス卿は、どのようにして魔術を理解したのだろうか」
独り言を拾ったガスリー公爵に訊ねられる。
私は前世の記憶の恩恵で理解が早いけど、考え方は前世と同じだ。
「科学的な理論や自然の法則性、あとは軽い宗教的な知識。要点だけを押さえれば、最低限の知識だけでも理解は可能です」
「……」
あっさり答えるけれど、ガスリー公爵は遠い目で明後日へ向く。
「せっかくなので、サージェント元帥のところで少し教えましょうか?」
「そう、ですな。……なら、少しだけ」
本当は遠慮したいだろうけれど、少しくらいは理解した方がいい。
そんな葛藤もあるけれど、今後のために学ぼうとする姿勢は立派だと思う。
私達は最前列にいるサージェント元帥へ向かうと、将校と揃って難しい顔をしていた。
「サージェント元帥、首尾はどうですか?」
「……もはや新しい学問だな」
「まぁ、そうですね。理科学と宗教学を合わせたようなものですし」
頬を引きつらせるサージェント元帥に苦笑を返す。
チラッとユリアに視線を向ければ、一礼したユリアが紙と鉛筆を持ってきてくれた。
「ありがとう。ところで、どうかしら?」
「少々難航しております。魔術師総出で手助けしておりますが……」
「ちなみに自然の法則性から始めた?」
「はい。順序は――」
ユリアから講習の進行状況を聞いた。
ちゃんと私が組み立てた通りの授業内容だけど……。
「魔術で実演してみせた? 水で火を消す、土で水を吸収する、風で土を吹き飛ばす、風を取り込んで火力を高める。こういう視覚情報があれば想像しやすいでしょう?」
多少は怖くても理解を深めるために実演してみせる方が手っ取り早い。
本来なら、そういう段取りのはずだった。
「フェリス卿、魔術に耐性のない皆に、いきなりそれは酷ではないか?」
……まさかのサージェント元帥が妨害していたなんて。
予想外の伏兵に目がつり上がってしまう。
ゆらり、顔を向ければ、サージェント元帥の肩がビクッと跳ねる。
「……サージェント元帥? なにを甘いことを言うのです? 軍は既に模擬試合で魔術を目にしていますよねぇ?」
流石の私も
しかし、目が、声が、恐ろしいことになっている。
カッと開いた
必死に自制心を働かせても、なかなか表情が戻らない。そんな私に、サージェント元帥だけではなく将校達まで青ざめ、小刻みに震え始めた。
「魔術に耐性がないのは理解できますが、元帥である貴方が、部下の歩みを止めるような真似をするのですか? 歴史に刻まれた魔術師の事件で
腰が重い彼等の情けなさを見ていると、怒りが泉のように湧き上がっていく。
無駄な犠牲者を出す可能性の芽は摘みたい。そのための講習会だというのに、
しかし、声を荒らげるのは貴族としてはしたないと言われかねない。
代わりに怒りを声に乗せて、できる限り綺麗な笑みを浮かべようと努力する。
「軍人もアナトール王国の臣民なのですよ? 彼等が死なぬよう最大限の手を打ち、共に生還を果たすことが私達の責務。それを……
どうしよう、体が震え始めた。怒りで体が小刻みに震えるなんて初めてだ。
「ふっ、うふふふっ」
なんだか笑いまで込み上げてきた。
淑女らしい笑声がこぼれると、将校達の顔面が
「ああ、すみません。はしたないのですが、つい、抑えきれなくて……。少々失礼な言葉になりますが、申し上げてよろしいでしょうか?」
これ以上は抑えきれそうにないので許可を願う。
「うっ、あ……ああ」
すると、サージェント元帥が青ざめた顔で頷く。
言質はとった。これで心置きなく言える。
「元帥、将校という立場にありながら、彼等を生かす手段を狭め、勝率を下げるどころか足を引っ張る。魔術師達の好意すら無下にする
言っているうちに、徐々に表情が消えていく。
瞳孔が開き、怒りに満ちた
「恥を知れ」
腹の底から溢れ出た、
流石に反感を買うと分かっていても言わずにいられない。
しかしサージェント元帥と将校達は青ざめて、一斉に
「「申し訳ございませんでした!!」」
人生の大先輩たる大人達が、幼い女の子に平伏す。
なんとも珍妙な光景に、後ろに控えるガスリー公爵が後ろ足を引く。
まったく、こんな為体だから国軍はフェリス領の兵士に負けるのよ。
原因が判って、頭痛の種が増えた。
でも、ちゃんと理解して頭を下げたのだ。これ以上怒るのは大人気ない。
深呼吸して平静を取り戻し、「頭を上げてください」と告げてから語る。
「私に謝るのではなく、教えを授ける魔術師と、教えを受ける部下に向けるべきです。彼等と共に勝利を掴む。そのための講習会なのですから。難しいのであれば、アルフォンソ陛下に謝罪を。この計画に賛同してくださった陛下の心遣いを
優しく言い聞かせると、サージェント元帥は息を詰める。
将校達も瞠目し、口を
「私も戦場に
胸に手を当て、眉を下げて、心の底から願う。
呼吸を止めていたサージェント元帥は、口を引き結んで低頭する。
「すまなかった。卿の言うとおり、我々は覚悟が甘かった」
「それを自覚して前進できるのであれば、まだまだ強くなれます。サージェント元帥も、将校の皆様も、成長途上なのです。成長が止まってしまえば退化が待っていますから、常に成長できる者こそ強者になり得るのです」
「うぅむ……まさに至言だな」
未熟はただ悪いだけではないのだと語れば、サージェント元帥は深く受け止めた。
何とか丸く収まって安心したら、将校の一人が頭を掻いて弱々しく笑った。
「それに、何と申しますか……まるで恩師に叱られている気分になりましたよ」
「確かに。フェリス辺境伯のあの覇気に逆らえる者は少ないのでは?」
「「「わかる」」」
「……もう少し怒った方がよろしかったでしょうか?」
「「「すみませんでした」」」
薄く笑って訊ねると、将校達は慌てて謝る。
あらかじめ練習していたのではないかと思うくらい統一感に、溜息一つ。
彼等が子供のように見えてしまうのは気のせいだと思いたい。
「せっかくですから魔術を実演してもらいましょう。芸術的な美しい魔術を見ると、価値観が変わりますよ」
サージェント元帥達は、魔術が芸術と結びつかない表情を浮かべる。
想像できないのは仕方ないので、マキシミリアンに頼んで披露してもらう。
まるで幻想的な光景に、若い軍人だけではなく、元帥も将校達も見惚れたのだった。
これを機に魔術の講習会が滞りなく進むようになった。
ちなみに、この出来事から「ナディア・フェリスを怒らせると、あの世へ渡る川が見える」という噂が広まった。
私がそれを知るのは、かなり後になってからだった。