支え合い、守る覚悟 SIDE:ルシアン



「ルシアン、出てきなさい」

 母上とお婆様の思惑に乗って、隠れて一部始終を見ていた。
 お婆様の声を受け、僕は温室の草木の陰から恐る恐る踏み出す。
 静かに近づくと、母上の腕の中で泣き疲れて眠るナディアがいた。

 ナディアの涙を見たのは、これで二度目。
 最初は僕に愛されていいのか不安だからだと思ったけど、実際はとても重かった。

 彼女が戦場に行くのだと知ったときは愕然がくぜんとした。教えてくれなかったことに憤った。
 でも、それは僕に嫌われたくなかったから。
 多くの見知らぬ誰かから恐れられ、嫌われ、恨まれる未来に怯えていた。

 けれど、それ以上に僕を想っていた。
 僕を愛しているからこそ嫌われたくなくて、それが現実になることを恐れている。

 ナディアは強い人だと思っていたけど、本当はか弱くて繊細で、一途だった。
 多くの重責に押し潰されかけても耐え忍んで、最善を目指して努力する。
 立派だけど、いつか無理をし過ぎて壊れそうな気がして、僕まで怖くなった。

「ルシアン」

 涙に濡れたナディアの頬を手巾で拭いていたお婆様に呼びかけられる。
 我に返って顔を上げれば、お婆様は真剣な眼差しで僕を見据える。

「このままいけば、貴方はフェリス辺境伯の婿としてナディアの夫になる。貴方にはその覚悟があるのかしら?」
「……それは……ナディアを支えられるのか、ですか?」

 覚悟と言われて戸惑う。
 質問を質問で返す僕に、お婆様は言い聞かせる。

「これまでのナディアの行いは、この国を一新させるほどの影響力がある。幼くして爵位を与えられたのは、領地という小さな国で興した数々の事業を成功させたから。その事業は国の新しい基盤となるほど最先端で、さらに魔術師の存在価値を正しく広めている。この時点で既に歴史に名を残せるほどの偉業を成し遂げているの。彼女の真価を知れば、この国の貴族だけではなく他国からも彼女に取り入られようと画策するでしょうし、第二の婿を差し向けて無理やり縁を作ろうとする愚か者も現れるでしょう」

 ナディアの功績は知っているつもりだった。価値も理解しているつもりだった。
 ……その認識は甘かった。

 フィリア商会を立ち上げ、国内外で名声を轟かせるほど最先端の技術を生み出した。
 私財を投じてフェリス領の識字率を大幅に上げて、領民の生活を豊かにした。
 世間から淘汰とうたされる魔術師を救って、居場所と仕事を与え、国益まで証明した。
 ただ領民を守りたかった。その行動力で、幼くして「時の人」と呼ばれるまで至った。

 歴史に名を刻むほどの偉業を成し遂げたのだけれど、ナディアには自覚がない。
 富だけではなく、名声、権力――身の丈以上の力を早くも得てしまったのだ。

 彼女に必要なのは、一時的な後見人だけでは足りない。王家に連なる者と婚姻すれば永続的な後ろ盾を得られるし、王族と血縁関係になることで国の庇護を受けられる。
 つまり、ナディアの夫に最も相応しい有力候補は、今のところ僕だけだ。

 僕には双子の弟がいる。次の有力候補はアレだろう。
 弟は性格を矯正きょうせいするために、母上の故国に預けられている。けれど、これまでを思い返すとまともになる確率は低いし、ナディアに対して酷い差別意識を向けるはず。

 既に多くの重責が乗っているのに、彼女を利用しようと企む者が現れる。
 並大抵ではナディアを守れない。それ以上に、彼女を愛する者が現れるだろうか。
 劣等感から理不尽な嫉妬を向けたり、欲に目がくらんで立場を奪おうと画策したり。――そんな最低な男が、ナディアと結婚する。

 ……想像するだけではらわたが煮えくり返るなんて初めてだ。

「ルシアンもナディア様を愛しているのね」

 ふと、母上が言った。
 顔を上げれば、母上は微笑ましそうに表情を和らげていた。

 僕はナディアが好きだ。彼女を支える伴侶になるようにと父上から勧められたけど、短くても同じ時間を過ごすうちに、ナディアの可愛らしさと一緒にいる楽しさを知った。

 尊敬できる女の子。楽しくて、癒されて、守りたいと強く思う。
 その役目が僕であれば――そこまで考えて、顔が熱くなる。
 僕を一途に想ってくれるナディアの心も、ナディアを守りたいと思う僕の心も、根本的なものは同じなのかもしれない。

 つまり、僕もナディアを――

「っ……は、はい」

 きっと林檎みたいに赤くなっている顔で頷くと、母上は僕の頭を撫でた。

「ナディア様の夫になると、きっと大変よ。それでもルシアンは頑張れる?」

 声音は優しいけど、眼差しは厳しい。
 僕を心配しているのだと判るし、同じくらいナディアの未来を思い遣っている。

 慈愛深い国母と言われる通り、厳しくも優しくて、懐の深い母親のかがみ
 父上も、兄上も、姉上も、僕も、そんな母上を慕っている。

 母上の心配は嬉しい。まだ子供で、守られて当然の僕を心配してくれるのだから。
 でも、それはナディアも同じ……はずだった。
 けれどナディアは、親に庇護されて当然の頃から努力して、たった一年でフィリア商会を立ち上げて、フェリス領を盛り立てて、学校を創立して、暗愚あんぐな父親から領民を守り抜いた。

 本当なら子供らしく生きていいのに、子供であることを捨てた。
 子供らしい自由を、子供としての幸福を捨てる覚悟は、どれくらい苦しかったのか。
 今の僕には推し量れないけど、それでもナディアを理解したい。

「もちろんです」

 支え合える夫婦になると心に決めたのだ。
 でも、これからはナディアを守れる男になると誓おう。
 対等の存在は難しいかもしれないけれど、騎士のようにいかないかもしれないけれど、ナディアを心ごと守れる男になりたい。

 覚悟をもって頷けば、母上とお婆様は安心した顔になる。
 そして、ナディアの祖母・ソフィア殿が立ち上がり、僕の前で深く拝礼した。

「ナディアを、私の孫娘を、どうかよろしくお願い致します」

 ナディアに最も近しい肉親が僕を認めた。

 ソフィア殿がナディアのことをお婆様と父上に話さなければ、僕はナディアと婚約どころか出会うことはなかった。
 僕との婚約で得られる王家の後ろ盾でナディアを守りたかったのかもしれないと考えたこともあるけど、それはナディアが自分自身の将来性を証明したから叶ったこと。
 全部がナディアの努力の結果だと知った時、邪推した罪悪感を思い出す。

「当然だけど、それは僕の台詞だよ。僕の方こそ婿としてよろしくしたい」

 僕の言葉に、ソフィア殿はさらに深く頭を下げ、そして微笑を見せた。
 お婆様以上に知性を宿した表情の中に、温かな優しさを感じる。
 ソフィア殿だからこそナディアを導けたのだと納得した。

「そういえば、ナディアには弟がいると父上から聞いたよ」

 本当ならナディアには弟がいて、最初は弟君が家督を継ぐと思っていた。だけど、ナディアの頑張りを見て、彼女を跡継ぎに選んだ。

 弟君は先代フェリス辺境伯のもとで王都の街屋敷で生活していた。暗愚な貴族で有名な父親の悪いところを受け継がないために、今はガスリー公爵家の養子として励んでいる。
 ――と、一通りのことは教えられた。

 ウィリアム・ガスリー公爵曰く、これまでまともな教育を施されていなかったらしい。
 本当なら一目でも会うべきだろうけど、王族や爵位を賜ったナディアへの正しい礼儀作法を学ぶ必要があるのだと聞いた。
 けど、その前にナディアは弟君と会えたのだろうか。

「ナディアは弟君とは……?」

 気になっていたことを何気なく思い出したので訊いてみた。
 すると、ソフィア殿は沈痛な面持ちで目を伏せた。

「会おうとしましたが、あの子に拒絶されてしまって会えずじまいです。最後に会ったのは、あの子が二歳に満たない時。ほとんど記憶にない姉が、身近にいた実の親と姉を貴族院から追放したのだと思っているそうで……」
「……そんな。あれは父上と上層部でとっくに決まっていたことなのに」

 叙爵式での出来事は聞いている。本当なら爵位授与の後に断罪するはずだったのに先代フェリス辺境伯の乱入があり、その流れで断罪したのだと。
 ナディア自身が断罪したわけではないけど、材料となる証拠を集めて明らかにした。

 見様によっては実父を蹴落としたのだと思われても仕方がないと父上は言った。
 でも、ナディアは証人と証拠を集めて、彼等の尊厳を回復させるためにしたこと。褒められるべきことなのに、どうして悪し様に言われなければならないのか。

 蹴落とさなくても既に貴族院からの追放は確定していた。あのままだとナディアとソフィア殿以外は全ての名前が抹消されるはずだった。
 けど、ナディアの想いと父上の意向で、弟君はガスリー公爵への養子縁組を許された。

 次女は既に社交界で、一部から顰蹙ひんしゅくを買っていた。
 僕も一度だけ会ったことがあるけど、ナディアと違っていろいろと酷い。態度も言動も見苦しくて、すり寄られたときは初めて他人に嫌悪感を覚えた。矯正できないほど手遅れだと判断されるのも当然だ。

 けれど弟君にとって、彼等は大切な家族だった。なら、その怒りも当然のものだ。
 でも、だからと言ってナディアにぶつけるのは、僕としては許せない。彼女は実の親に苦しめられて、それでも弟妹は救い出そうと考えていた。
 結局、父上の判断で、次女は両親とともに追放されてしまったけれど。

「母上、お婆様。協力してくれませんか」

 間違った認識を矯正しなければ、ナディアも弟君も、この先ずっと苦しい思いをする。
 なら、僕にできる最善の手を打とう。
 ナディアのように、僕も守る覚悟を決めた。