覚悟を背負う未熟者



 戦争まで、あと二週間。
 戦場への道のりは一週間程度なので、二週間の行軍に慣れた魔術師達には余裕そう。

 余裕をもって到着するための準備を整えていると、お婆様に呼ばれた。
 植物園となっている温室に行けば、お婆様以外に二人の女性がいた。
 会うのは片手で数える程度だけど、まさかフェリス辺境伯邸に来ているなんて。

「お久しぶりです、ルチア王妃陛下、アーデルお婆様」
「頭を上げて。座って楽にしてちょうだい」

 驚き半分、嬉しさ半分で優雅に拝礼すると、アーデルお婆様が許した。
 いつも以上に返しが早くて、戸惑いながら姿勢を正す。
 よく見ると、三人とも深刻な面持ちをしていた。

 おずおずだが「失礼します」と言って、白く塗装された椅子に座る。
 使用人がお茶を入れると、お婆様が「下がってちょうだい」と命じる。
 三人だけの空間になり、空気の重さをより強く感じる。
 不意に、もうすぐ始まる戦争のことを思い出したとき――

「ナディア様、戦争に行くなんて……本当なの?」

 ルチア王妃の切り出しに、やっぱりそうかと納得した。
 心配をかけてしまうのは覚悟の上だったけど、実際に言われると胸が痛む。

「……はい」
「ソフィアから理由を聞いたわ。魔術師の指揮官として同行すると。でもそれは元帥のサージェント侯爵に任せればいいのではないかしら」

 アーデルお婆様が正論を指摘する。
 私は戦争の経験がないから、足手まといになることは理解できる。

「サージェント元帥以外にも魔術師の講習を受けてもらいましたが、まだ充分と言える理解には及びません。付け焼刃では失敗はまぬがれないので、私も同伴しなければなりません」
「でも、戦争よ? 人がたくさん死ぬ光景を嫌でも見てしまうわ」

 アーデルお婆様に覚悟の上だと言おうとした。
 けれど、言葉が詰まってしまう。
 割り切っているつもりでも、割り切れていないのだと気付く。

「……確かに、怖いです。人が死ぬなんて見たくありません。でも、無茶な作戦を魔術師達が引き受けてしまえば、彼等に命はありません。彼等は私の領民であり家族。お婆様を失いたくないのと同じくらい大切で、守るべき存在です。戦争は怖いし、人の生死を間近で見るのは嫌です。けど、それ以上に死んでほしくないのです」

 だから守るために向かうのだと告げる。
 ルチア王妃もアーデルお婆様も息を呑んで黙ってしまう。

 これは私の本心だ。けど、もう一つ恐ろしいことがある。

「家族を守るために、家族ではない他人の生死を割り切らないといけないのは心苦しいです。……でも、人を傷つけることに変わりない。そんな人間だと、きっと怖がられてしまうし、嫌われると思います」

 戦争に勝ったとしても、代償は大きいだろう。
 他人を傷つけてでも大切なものを守る覚悟は、立派だとしても褒められない。
 一部から称賛されたとしても、世間から恐怖されて当然だとさえ思う。

 それでも、私は……

「ナディアは……それでも行くの?」
「はい」

 目の奥が熱くなっても、強く断言する。
 すると、アーデルお婆様が手巾ハンカチを出して私の頬に当てた。

「ねえ、ナディア。いま抱えている気持ちを教えて。今のうちに全部吐き出しましょう」

 アーデルお婆様の心遣いに、私は息を呑む。

 どうして分かるのだろう。
 どうして許してくれるのだろう。

 お婆様と同じ温もりのある言葉に、溜めていた涙がこぼれた。

「……本当は、怖いです。生きて帰れるのかも、みんなを守れるのかも……不安で。失敗は絶対にできなくて。でも、人を傷つけるのは怖くて。恨まれるのは、苦しくて……っ」

 どんどん声が掠れていく。息苦しくて、胸の痛みが増していく。
 他人を傷つけるのは死ぬほど苦しいし、嫌だ。恨みを買うのも恐ろしいし、自分の作戦で大勢の人間が死ぬ様も見たくない。
 家族を守るために他人を殺す。その覚悟までは完全にできていない。

 そして、それ以上に――

「こんな私を……ルシアン様が知って、嫌われると思うと……悲しくてっ……!」

 大粒の涙が頬を濡らす。
 見られたくなくて両手で顔を覆うと、お婆様に背中を撫でられる。

「嫌われたく、ない……っ! 大好きなのにっ……!」

 生きていれば嫌われることもある。でも、ルシアンに嫌われることが一番怖い。
 未来への不安と恐怖から泣きじゃくる。

 ああもう、人前なのに。情けない姿を見られたくないのに……。

「……ナディア様は、あの子を愛しているのね」

 ルチア王妃の言葉に、俯いたまま頷く。

 女性が爵位をたまわるなんて事例は限りなく少ない。
 伴侶となる男性の劣等感をあおり、互いに不幸になる最悪な未来もありえる。
 だから、本当の意味で家族になってくれる人はいないと思っていた。

 特に、ルシアンは第二王子。ロベルト殿下の次に王位継承権がある王族。
 王位を継がなくても臣下へ降ると、公爵、大公に就くはずだった。
 侯爵位と同等だが、辺境伯に婿入むこいりするなんて普通ならありえない。下手をすれば、ルシアンに瑕疵かしがあるのではないかと邪推じゃすいする者も出てしまう。

 なのに彼は、私と「家族になりたい」と言ってくれた。
 一緒に過ごした時間は短いのに、「好き」だと言ってくれた。
 あの瞬間から、私の中でルシアンの存在は大きくなった。

 愛していると、幼い子供に言うのは恥ずかしくて。「重い」と言われるのが怖くて。
 だから代わりに「大好き」と伝えた。
 本当に言いたい言葉を押し殺して、想いを言葉の中にたくさん込めて。

 でも、この戦争がきっかけで、きっと嫌われてしまう。
 人を殺すなんて嫌で、罪悪感に押し潰されそうで苦しい。
 なのに、ルシアンに嫌われる未来が一番怖くて、悲しい。

 私は存外ぞんがい薄情なのだと気付いて、自分が嫌になって、余計に泣いてしまう。
 そんな私を、ルチア王妃が抱きしめてくれた。
 これが母の温もりなのだと思うと、手に入らなかった過去を思い出して涙が溢れる。
 転生して努力を重ねて精神面も強く成長したと思ったのに、まだまだ未熟だった。

 もっと強くなろう。たとえ多くの人々に嫌われても、大切なものを守るために。
 この想いを捨てる時が来てもいいように――。


◇  ◆  ◇  ◆