おまじない頼みの祈にやきもきする
「とっ、特待生さん、おはようございます!朝から会えるなんて偶然ですね!」「おはようございます」
今朝は本当に『偶然』だったらしいタイミングで祈と曲がり角で出くわした。ぱぁーっと笑顔になる祈に挨拶を返して、並んで校舎への道を歩き出す。寝る前にやったおまじないが早速……効果てきめんだ……と横で拳を握りしめる祈をちらりと見上げつつ、私はそういえば、と切り出した。
「週末の外部の講習、祈も参加するって聞きました。良かったら一緒に行きませんか?」
「お、俺でよければ、それはもうぜひ。……先週から始めた、シャーペンの芯を三本入れて十日で使いきったら願い事が叶うおまじないのおかげ?まだ残ってたはずだけど……」
「もう、祈は」
ぶつぶつと自問自答している祈の手を唐突につかむと、ぎょっと肩をこわばらせてこちらを見る。ちゃんとこっちを見てほしい。
「おまじないのおかげじゃなくて、私がそうしたいと思ったから誘ったんです。いいですか?」
真っ赤な顔でかたまる祈に向かって返事を促すよう首を傾げると、ようやく「はい」と言って、私は満足して頷くのだった。
クリスマスパーティーの荒木先生の衣装
学園のクリスマスパーティーが迫ったある夜、俺は自室でクローゼットに頭を突っ込んでいた。パーティーの主役はあくまで生徒たち、教師の自分まで正装する必要が果たしてあるのかとは思うが、結局インプロバトルにも参加することになったし、実行委員を頑張っている生徒たちに水をさすのも気が引ける。何かしらの衣装があったはずだとクローゼットの中を漁っていると、昔イベントで着た衣装が出てきた。懐かしさに思わずお〜と声が出つつ、一応袖を通しておくことにした。「ん〜、まだいけるかー?」
鏡の前に立ち、衣装を正しながらまた一人言。ちょうどそのとき部屋のドアがノックされた。地味に着込んでいるので元の服に着替えるのも面倒で、まあいいかとそのままドアを開けると、特待生が申し訳なさそうな顔をして立っていた。
「遅くにすみません。あの、先生の時間じゃないかもしれないですが、今日出た課題のことでどうしてもっ……」
言い募る途中で、特待生の胸の前で抱いていたノートがめりっとひしゃげた。まじまじと視線を注がれる自分の格好に目を落として、何となく気まずい思いで言い訳のように後ろ頭をかいた。
「あーこれは、クリスマスパーティーで正装してこいって言われて試着をだな。……どうよ?」
「えっ!?え、あの、か、かっこいいです」
「よし、まだ大丈夫か」
「まだっていうか、全然大丈夫ですよ……!」
茶化したつもりが、特待生は顔を赤くして瞳をきらきらと潤ませて、いたく感激しているらしい反応にこちらもつい照れてしまう。突然、特待生がハッと顔を上げた。
「先生の衣装は、当日までみんなには秘密でしたよね?すみません!あの……クリスマスパーティー楽しみにしてます!!」
言うだけ言って、走り去ってしまった。課題について聞きに来たんじゃなかったのか、引き留めようと玄関から一歩踏み出すも間に合わず隣のドアがばたんと閉まった。それにしてもああいう反応をされるのも久しぶりで、まあ満更でもないが、特待生はどんな格好してくるつもりなのか聞けばよかったと思い付く。当日のお楽しみだな。
荒木先生おさわりタイム
とん、とん。何かが何かを叩く音が聞こえて顔を上げると、荒木先生が眉根を寄せながら自分の肩にげんこつを当てていた。放課後、勉強を教えてくださいと押し掛けた執務室には二人きりだ。「肩凝ってるんですか?」
「最近忙しくてマッサージにも行けてなくてな。あ〜……あ、」
アニメだったら頭の上にぴこんっと電球が浮かんだような、良いことを思い付いたという表情の先生と見つめ合う。
「特待生、俺の肩もみたくない?もみたいだろ?ほら、もんでいいよ」
「え、えー……」
如何わしい勧誘のように迫られて反射的に身を引きつつ、しかしそれは願ってもないことだった。だって、先生に触れられる機会なんて滅多にない。勉強を教えてもらっているお礼もありますし、あんまり自信はありませんけど、と真面目くさった顔で言い訳っぽい前置きをしてから私は立ち上がった。代わりに椅子に腰掛けた先生の背後に回り、両肩に手を置く。
「はぁ〜良い感じだわ」
「よかっ、たです、ねっ」
「あ、力抜いていいからもう少し続けてもらえるー?」
悦に入っている先生のつむじを見下ろしながら私は一生懸命肩を揉んだ。いつものストライプのジャケットを脱いだ肩は男の人らしくがっしりしていて、どきどきする。違うところも触りたいなあ、なんて。つい欲が出てきたのを察知したのか、ふと振り返った先生が私をじっと見上げてきた。
「……なんか、帝みたいなこと考えてない?」
「まっ、さっ、か!でも、あの、髪も触らせてもらえたら嬉しいなあって……」
「は?髪ぃ?まあいいけど、別に」
意外とすんなり了承されたので、私はそっと先生の黒髪に触れた。無造作に跳ねる毛先には整髪料がついていることもなく、ふわっと手が沈みこむ。わしゃわしゃと撫でながら、私は感嘆の溜め息を吐いた。
「わあ、ふわふわ……」
「……はい、そこまで。おさわりタイムはおしまい。勉強に戻ります」
荒木先生に手をつかまれて引き離され、夢のひとときは終了した。もう少し触れていたかったけれど十分満足だ。ありがとうございましたと何故かお礼を言ってしまった私をよそに、さっさとジャケットを羽織直していた先生は「いや、こっちこそ」と言ったけれど、その顔はきまりが悪そうにしながらも少し赤くなっているように見えた。
槙くんを看病したい
秋は足早に過ぎ去って、日が沈むとすっかり冷え込むようになった。そろそろ冬物のコートやマフラーを出さないとなあ、そんなことを考えながら槙くんと帰宅したある夜。今日はシャワーで済ませないで浴槽に熱いお湯を張って温りたい。先にお風呂洗ってきちゃうね、そう言うと珍しく少しぼうっとしていた槙くんがワンテンポ遅れてこう言った。「なんか、熱い気がする。体温計ってどこにあったっけ」
「えっ、大丈夫?確かそこの引き出しにしまってあったと思うけど……」
槙くんの口調は普段通りだったけれど、色の白い顔には赤みがさしていた。以前、体調が悪いのに全然気付かず倒れる寸前までいったことを考えれば、自主申告できるようになったのは非常に進歩したと言える。ピピッと小さく鳴った体温計を服の中から取り出して、槙くんと一緒に小さな液晶画面に表示された数字を覗きこんだ。
「37.6度、結構あるね。喉が痛いとか咳が出るとか、お腹の調子悪いとかある?」
「いや……なんか身体が熱いなってだけ」
「そっか。とりあえず、食欲ありそうならお粥かうどん準備するよ。横になってて」
相変わらず自覚症状に乏しい様子だったけれど、ひとまず安静にしてもらうのが良いだろう。いつかのように、近くのスーパーで必要そうなものを買い込んで戻ってきた。ベッドに行っていて良かったのに、ソファで横になっていた槙くんは申し訳なさそうに上体を起こした。
「悪い……」
「気にしないで。季節の変わり目だもんね、うちでも風邪っぽい人いるよ」
「あんたにうつしたら悪いから、今日は帰って」
今の槙くんに必要なのは十分な休息。そのために必要な水分や食料は準備したし、私がいたら気をつかってちゃんと休めないだろう。だから今日はこれだけで、おとなしく引き下がるべきだ。そう自分に言い聞かせて頷こうとしたけれど、槙くんは小さく笑って頬を撫でてくれた。
「そんな顔されたら、帰したくなくなるだろ」
「……私、どんな顔してた?」
「傍にいたい、って顔?」
語尾に小さくついたクエスチョンマークに私も苦笑を返して、だってそんなの答え合わせをするまでもない。
独歩と飼っていた犬が死んだ
独歩と飼っていた犬が死んだ。大きな病気をすることもなく老衰で、眠るようにして迎えた最期だった。朝起きたら寝床で冷たくなっていて、私はわんわん泣いて、独歩は隣で静かに大粒の涙と鼻水を流していた。周囲からはまた新しい子を迎えるといいよなんて言われて、それはあながち無責任な励ましではなかったのだろうけれどやっぱりそんな気にはなれず、ケージやごはん用のボウル、リードやおもちゃも結局全部処分してしまった。部屋の掃除をしても犬の毛が出てこなくなった頃、ああ本当に独歩と二人だけになったんだと自覚した。
「なあ、散歩行かないか」
「……うん、いいよ」
何も予定のない休日。思い付いたように誘ってきた独歩に着いて手ぶらで外に出た。久しぶりに馴染みのルートをのんびりと歩く。風はだいぶ涼しく、日差しは暖かく、胸のすくような青空が広がってすっかり秋めいた気候になっていた。どこからか金木犀が香って、辺りを見回したが出所を見つけられない内に香りは流れていった。
「あ、彼岸花」
「どこ?」
「あそこの、空き地の真ん中らへん。一つだけ咲いてる」
「本当だ。こんな何でもないところにも咲くんだな」
「そうだね…」
寂しそうに揺れる赤を眺めていると、並んで歩く独歩が不意に手を握ってきた。立ち止まりかけた私の手を引いて、ほら行くぞと促すように、ゆっくりした歩調でまた歩きだす。
「年とっても、ときどきこうやって散歩しよう」
「うん」
「二人だけだと、寂しいか?」
「……ううん」
きゅ、と手を握り返して、半歩先を歩いていた独歩に追いついた。独歩は長生きしてね、でも職場変えないと無理かもね、そう言うと乾いた笑いが返ってきた。