暗かに騙りて夜の鷹

死ぬれば死神
ひそかにかたりてよるのたか

 穴があったら入りたいのですが、既に穴の中にいる場合はどうしたらいいですか。


「お〜い沙生っちゃーんも出てきなよ〜」


 京楽隊長の陽気に弾むお声が穴に響く。できるものなら顔を合わせずに立ち去りたいところだが、出口は一つしかないからどうしようもない。


「出てこなくてもコッチから行っちゃうよ〜?」

「……出ます、出ますよ」


 頬に手の甲を当てて熱を確かめる。もう赤は引いている……はずだ。最初から変に恥ずかしがったりせず堂々としていられれば良かったのだが、無理、なんか駄目だった。志波隊長も平気な顔してせがんできたくせになぜに照れたかなぁ。つられてこうなった気がする。きいてあげれば大人しくなるかと思ってやった私も私だが。


「あ、出てきた。いらっしゃいこんばんは!そういえば夜に会うの初めてかな?いつもは斑目クンと一緒に『おはよう』だもんね」

「……こんばんは、そうですね」

「あららァ、そんな一心クンの陰に……隠れないでったらもう恥ずかしがり屋さんだなァ〜」


 お顔がふにゃふにゃのニタニタでとっても怪しい。揶揄いたがりの気配を察知、警戒度数を引き上げろ。
 そろりと顔を覗き込もうとしてくる京楽隊長からササッと逃げる。そろり、ササッ。……そろサッ。志波隊長を盾にして地味な攻防を続けていたら、彼は痺れを切らしたように京楽隊長の前にザッと踏み出た。仁王立ちである。背を丸めて私を追いかけ回していた京楽隊長は「アィタッ」と志波隊長の懐に鼻をぶつけることになった。こう言っちゃなんだが、お間抜けさん。


「大人げねっすよ京楽さん。ハイやめましょー」

「キミにそれを言われる日が来るなんて……!?」


 鼻ではない所にも相当な衝撃を受けたらしく、眉も目も八の字みたいになっている。長い付き合いだとそういう所まで似てくるのかどうだか知らないが、一日に二人から全く同じ表情を見せられることになるとは誰が予想しただろうか。


「しょうがない、やめるよぉ。……やめるったら……ねぇ、一心クンその目ヤメテ」


 どんな目だか、少々気になったので横手に回って斜め下から覗き込もうとしたが、丁度こちらを振り向かれてしまい失敗に終わった。残念、不拝おがめず。私を見てニッとはにかむその意図は「もう安心していいぜ」とか「どうだ庇ってやったぞ」とかそんなところか。戯れの一環とはいえ、この人が京楽隊長を怯ませるような目をしていたなんて中々貴重だったのでは。


「で、京楽さんは何しに来たんすか?」

「とっときのお酒を取りに来たんだよ。えーっと、あっちの方だったかな……二人ともちょっと待っててね」


 京楽隊長は詠唱破棄した弱めの赤火砲を灯りにして洞穴の奥へと進み、屈んで「よいしょ」と重たそうな石の蓋をずらしていく。どうやら内部の段差の一部は収納になっていたらしい。益々冷蔵庫である。シャリリとすずりが擦れるような音を鳴らして開ききり、その中から真黒い盃を三こうと大きな白い酒瓶を取り出した。轆轤ろくろで手作りされた陶器製の一点物のようだから、中身も相当良いお酒に違いない。


「一人で晩酌しようかと思ってたんだけど……お二人さんも一緒にどうだい?今日、天鷹の誕生日だしさ」


 右手にある酒瓶をふりふりしつつ、左手の甲で笠をチョイと上げながら彼は言った。私が「えっ」と驚くのと同時に、隣にいる志波隊長は「あっ」とハッとした様子だった。つい顔を見合わせてしまう。


「お揃いでここに来てるってことは沙生ちゃんも漸く浮竹から聞いたんでしょ?ね、ボクもちょっといろいろ話したい気分なんだ」


 三人で洞穴から出て、滝の上に向かった。下弦の月が光る下、切り立った真黒い崖から両足を投げ出すように腰掛けると、私を挟んで隊長二名が胡坐をかいた。右手に京楽隊長、左手に志波隊長。両手に花ならぬ……何ともへんてこな状況になったものである。二人とも背が大きいから余計に私が子どもに見えそうだ。


「今日って父様のお誕生日なのですね。初耳でした」

「うん、六月十一日。ちなみにボクは来月の同じ日だよ〜覚えといてね」

「そうだコレおつまみにもなりますかね。七味団子があるのですが」

「聞いてた?……っておや、丁度いいじゃない。あいつコレ好きだったんだよね」

「浮竹隊長から聞き及びまして。はい、志波隊長もどうぞ」

「さっそく食うの?……まいっか、どーもいっただきまーす」


 私も串をひょいとつまんで、試しに一つ……ふむ、さっき聞いた通り醤油だれも甘くない。おやつというよりおかずのような、いやおかずじゃなくて主食かも。……美味しけりゃ何でもいいか。今はおつまみということで。ピリ辛でけっこうイケる。
 左上から視線を感じたので目を遣ると、志波隊長がまたニッと笑っていた。「口に合って良かったな」って、見ただけで分かるほど顔に出ていましたか。


「にしても志波サンちさぁ、端から見てたら微笑ましいやらもどかしいやらでンも〜!一心クンはともかく、海燕クンと沙生ちゃんなんて全く事情も知らないで仲良くなっちゃってたでしょ?ボク何度浮竹より先に口を滑らせそうになったことか!」

「……早々に滑らせてくださっても良かったんですよ?」
「そーそ、俺ぶっちゃけどう接したらいいか分かんなくて困ってたんすから」

「困ってたァ?ちゃっかりあーんして貰っといて?」

「その話は!」
「もうしまい!」

「エ〜〜ッ」


 まだお酒は入ってないのに楽しそうにしちゃって。京楽隊長は口を尖らせて不満を訴えてくるが、目は相変わらずのにやけ具合である。彼はそんなチューっとした顔のまま盃にお酒を注いで「ハイ回して」と寄越してきた。受け取って志波隊長に渡すと「ん」とだけ言われて持っていかれて、見ればお耳が若干赤い。……またつられかねないから照れるのは止してくれないかな。京楽隊長はすぐに私の分のお酒も注いでくださったので、慌ててお礼を言って頂戴した。


「一心クン、横顔だけ天鷹に似てきた?」

「横だけ?それって何すか、鼻の高さ?」

「それもあるけど……うーんなんだろ……正面から見るとやっぱ違うや!ってなるのに。そういや沙生ちゃんはあんまり天鷹に似てないよね。お母さん似なのかな?」

「多分そうだと思います。京楽隊長からご覧になって、父様は他に誰に似てるとかってありますか?顔だけじゃなく、こう性格とか色々……」


 そう尋ねれば、京楽隊長は私の顔をじっと見て黙り込んだ。考え中のようだ。特に目を逸らしたりはせず、そのまま盃をくいっとやって一口……ものすごくおいしい。やっぱり安酒じゃないぞ。


「そうだなぁ……目元はやっぱり海燕クンが一番近いかなァ。下睫毛とか。彼ほど愛想良くなかったから結び付けづらいけど」

「下睫毛が第一に出てくる家系……」

「一心クンの後ろ姿もちょっとそれっぽくなってきたかも。あ、でも、キミほど恰好つかなくはないよね。天鷹は大事なときはいつも恰好ついてたよ」

「余計なお世話!」


 志波隊長は団子がまだ何個か刺さっている串でシュビッと京楽隊長を指した。キレのある見事な動作だが、串を振り回すのは危ないのでやめましょう。なんて、普段から真剣ぶんぶん振ってるような私が言えた事ではないか。


「で、無闇矢鱈に暴れるのは好きじゃないけど、剣振ったり戦ったりは好き!ってのとちょっと体張りすぎなとこはまんま沙生ちゃんと同じだねぇ」

「あー、確かにそうかも。楠山はもうちょい自分大事にしろよな」
「う……その辺の話も浮竹隊長からお聞きしましたよ。初対面時の……」

「そうなんだ?おっかなかったでしょ〜?昔のあいつってばホントにさぁ……誰かと比べるのもいけないくらいもっと死に急いでて……うん。まぁ纏めると、海燕クンと一心クンと沙生ちゃんと天鷹を足して四で割った感じかな!」

「ちょ、なんで本人も足したんすか!?そこ纏めちゃダメでしょ!本人成分薄れてますよ!?」
「ンふっ、」


 ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけお酒を噴き出してしまった。京楽隊長も割に冗談好きで愉快な人のようだ。彼とは軽く挨拶を交わしたりご機嫌を尋ねたりと社交辞令のような付き合いしかしてこなかったから、新たな発見である。
 頭上で楽しげにふざけ合う二人の声を上の空に流しつつ、京楽隊長と父様の過去を想う。

 京楽隊長は父様を忌み嫌っていた訳ではなかった、苦手意識も次第に薄れていった、と――浮竹隊長はそのように回顧していた。こうして誕生日にとっておきのお酒を開けるくらいだから、親友として想っているのは確かだろう。それでも私は、浮竹隊長が語った話の中に出てきた若かりし京楽春水が気になって仕方ない。父様を『希死念慮の怪物』と形容し、父様に近付こうとする純真無垢な浮竹隊長を何度も諭していた彼の心中とは、そう単純なものであるはずがないと思うのだ。簡約できるものでも、して良いものでもない気がする。
「俺たち三人が上位席官になった頃にはもうそんなの忘れたみたいに打ち解けていた」
 ――浮竹隊長はこう仰っていましたが、本当ですか?
 知りたい。訊いてみたい。けれども私のこの甚く勝手な好奇心は、彼が他人に衝かれたくない深処ふかみまであばいて荒らしかねない。生半可な気持ちで踏み込んでよい話ではないことくらい解っているつもりだ。


「おっ、沙生ちゃんも空いてるじゃない。は〜いお酌したげる」

「あ……どうもすみません、ありがとうございます」

「いーのいーの、今日は無礼講だよ」


 なみなみと注がれてゆくお酒に月が映り込む。真黒い盃に冴冴さえざええて、このうえなく贅沢な盛り付けのようだ。


「これがホントの酒月さかづき〜なんちゃって!」

「…あっ、あー……はい」

「微妙な反応ッ!今の寒かった?冷えた?沙生ちゃんめちゃった?」

「いえ、上手いこと仰るなぁと……ほ、ほんとですってば、そんなガッカリなさらず、私の頭の回りがにぶかっただけですから、あの」


 下手な言い訳に聞こえるかもしれないが、今ばかりは本当だ。口調は冗談めかした風でも、さすが年の功というか、さながら詩人というか。駄がつく方の洒落ならなくに。
 暫く一人であわあわしてしまったが、はっと気を取り直してみると、京楽隊長はまたじっと私を見て微笑んでいた。……この人の調子の緩急について行くのは至難の業ではないだろうか。子どものようなおふざけの口を利いたかと思えば、いつの間にやら何でも見通してしまいそうな目をした大人に転身している。


「何か考え事かい?せっかく一緒に飲んでるのに上の空になっちゃうような事……ね、なぁに考えてたの?」

「……今日一日だけで父様の話を色々とお聞きしたのですが」

「うん」

「……死生観が滅茶苦茶ではないですか?却ってお人柄が分からなくなってきたなぁ、と……」

「うーん……そうだねぇ。ボクから見ても、最初の頃と馴染んできた頃とじゃ別人みたいになったなァと思う所は多々あるよ。一心クンも天鷹が隊長やってる姿しかよく知らないんじゃない?」

「昔の話は親父からサラッと聞いただけっすね。俺から伯父貴には訊かないようにしてたし……」

「気ィ遣っちゃって。過去のキズ抉っちゃ可哀想とか思った?そーゆーとこ意外と優しいよねぇキミって」

「なんかさっきから俺にだけ一言多くないっすか?」


 半笑いで膝を乗り出す志波隊長を見て、京楽隊長はイヒヒと肩を揺らした。志波隊長に向けて放たれたように思える今の台詞は、実は私にも振り掛けられたのではないか。核心を突かない回りくどい訊き方を、回りくどく責められたような。
 お酒のおかわりを注ぐ音がたぷんと鳴る。もう酔っているのか、笠の影がかかる頬まで朱色あけいろに染まってきていた。月夜にお酒がよく似合う人だ。京楽隊長はうっとりと瞼を閉じた。

 眼下にある滝の音を少し遠くに感じる。

 そよそよと優しく漂っていた風が、一度だけ、後ろから強く吹きつけた。隣の人の笠が飛ぶ。川を呑んでいる紺色の森が波打つようにざわめき、笠はそこへ吸い込まれるようにくるくる落ちていく。私の意識は暫しそちらに取られた。

「あーあ」

 持ち主が黙っているから、代わりに志波隊長が声をあげた。それから這縄をひゅるひゅると長く伸ばし、見失いそうになる寸前で笠をつかまえてあげていた。靡く笠と這縄、凧と糸みたいだ。
 辺りは染み込むように静まり、その隙に再び開かれていた京楽隊長の眼には、気持ち良さと感傷が混じったようなほのかな潤みが生まれていた。


「こう人気のない所でこの三人で飲むなんてそう無いだろうし……どう?ボクと天鷹の昔話でもしてあげよっか。本当のところ、実は知りたいでしょ?」

「そりゃまぁ、そう言われちゃ誰だってそうでしょ」
「浮竹隊長と父様が出会うより前のお話……ですか?」

「そうなるかな。うーん、とっても長い話になっちゃうかも。聞くも話すも泥濘を行くような……あぁでも、いいんだよ?素直に訊いてくれちゃって……ね?」


 京楽隊長は先程までより幾らか低い声で勧誘した。優しい目をしていながら、悪いことを考えていそうな――怪しい笑みだ。見合う時間に比例してじわりじわりと湧いてくる謎の心細さは、彼から伝染してきているのだろうか。語られる話は楽しいばかりのものではないのだろう。聞けば無知ではいられなくなる話。訊けば彼の暗く淋しい心に触れて、絡め取られて逃げられなくなる、そんな予感がする。
 背筋がふるりと震えたのは、果たして夜風のせいだったか。志波隊長は何も言わずに拳ひとつ分の距離を縮めてくれた。


「『甥っ子と娘に聞かせる話ではなかろ』なんて天鷹は嫌がるかもしれないけど、半死人に挟める口もなし……正直、ボクは誰かに聞いて欲しいんだよね。いい加減ひとりで抱えるのも疲れてきたし……どう?もし聞いてくれるなら、その盃くいっとやっちゃってよ。別に聞きたくなけりゃ流してもいいよ。無理強いはしないさ」



 ――聞きたくて訊いた。『聞いて欲しい』とも言われた。それならば気がとがめる必要など何処にもないはずなのに、この先ずっと隠し通さなければならない傷をすねに持たされたと、そう思えてやまない。
 やられた。京楽隊長は策士だった。あくまで「キミたちに訊かれたから話した」というていゆだねさせてまあ、なんという腕っき。志波天鷹が見せたがらなかった古傷を、親友である浮竹隊長にも明かしていない暗い過去を、甥と娘にはこれから共に抱えさせようというのだ。何百年も一人で抱えていたらそろそろ重たくなってきたから、私たちを抱き込んだ。旅は道連れ、沈まば諸共というように。


「きいてくれてありがとう」


 奸謀を遂げられたからか、京楽隊長の口元が綻ぶ。それでも委曲つばらに心中は測れない。

 話してみて気付いたが、この人ったら外面は華やかなのに中々どうしてうちが暗い。感情の底が知れないのだ。どこまでも聡明であるゆえに、清濁併せ呑みすぎて腹を黒くしてしまったのかも。
 彼には悪いが、時灘という人の言には頷けるところが一点だけあった。『思慮深いかと思わせておいて激情家』とは、まったく彼に即した評言だ。発露の仕方こそ目立たないものの、一等に感情が強い人なのは確かだと思う。


「知らなきゃ良かったって思ってるかい?」


 覆水盆に返らず。飲んだ酒は盃に戻せず、刺激が強すぎたので一生忘れられないだろう。それこそ、黒い焔で記憶を燃やされでもしない限りは詮方せんかたないことだ。彼がそうしたように、私も残さず呑み込んで糧にするしかない。
 差し出されれば形の有る無しは問わず、何でも受け取って背負うのが私らしいという自覚も最近になって出てきたところである。どんなに重荷でも、京楽隊長が持ちつ持たれつをお望みならば応えよう。私はどうやら、そういう星の下に生まれた。


「……いいえ、聞けて良かったのだと思います。聞く前に時を戻せるとして、たとえ知らずにいることを選んでも、気になってくるくるし続けることになっていたでしょうから」

「くるくる?もやもやとかじゃなくて?」

「そうとも言います」

「ふぅん?変わった言い方するね……でも、ちょっとホッとしたよ。こんなドロドロした話きかせて、最悪ボク天鷹ごと敬遠されちゃうかもって思ってたのに」

「まさか。偽りない真実を教えて頂いたんです、するなら敬礼ですよ。井の中の蛙だった私の手を引いて海に連れ込んでくれたのですから、お礼しか」

「ん?楠山、それってカエル死んじゃわない?礼って仕返し……のこと……じゃないよな?」


 おとなしくちょうどしてなりゆきを見守っていた志波隊長が、いつもの調子になってツッコんでくれた。きてくれるかな、どうかな?という期待の通りにこなしてくれるなぁ、この人は。おかげで冗談を挟むのがクセになりそうだ。


「それがですね、塩水にある程度耐性をもつ蛙もいるらしいですよ」

「へぇ〜!」

「海辺近くでも卵が孵るんですって」

「ほぉ〜ん」

「流石にじゃぷんと浸けて泳がせとくと死んじゃうそうですが」

「そっかァ……」

「ちょっとキミたち、どういう方向に話もって行く気?」


 京楽隊長は呆気に取られたように口を開けている。少々の毒気もそこから抜けてくれると良いのだが。そういえば出会って此の方、私は彼にこんな顔ばかりさせている気がする。って今みたいな顔の方が馴染みも親近感もあって良いと思う。さっきまでは崖下に恋したような顔をして、随分と――深く沈んでおられたから。
 酔ったせいか、手から串が転んでもおかしくって、とうとう声をあげて笑ったら右も左も同じだったんだから更に笑えた。誰も彼も笑い上戸か。


「ンフフ、あははは!ハハハッ、はぁ〜あ。なんかホント、二人に聞いて貰えて良かったなぁ。ありがとう」

「へへっ、そんなら何より」
「ふふ、どういたしまして」

「今後もし天鷹絡みで何かあったときは、キミらもボクに聞かせておくれ。あいつ隠し事だらけだろうから、ボクでも知らないことは結構ありそうだけど……一番昔・・・のコトについてなら、ボクの受け持ちだからさ」


 京楽隊長は「いよっ」と立ち上がり、志波隊長から私の頭上経由で笠を取り返した。何気なくその様子を見上げたら、いつもの私の位置からはよく見えていなかった物が見えた。笠のオモテ面に、花とおぼしき飾りが一つ。
 彼はすぐにそれを被り直したが、今度も顎紐はしっかり結ばなかった。また飛ばされても知りませんよ。


「あっ。そうだ京楽さん、笠で思い出したんすけど」

「なぁに?」

「京楽さんは涅のやつが隊長になりたいって言ったら推薦する?」

「えぇ?なんで笠で思い出したの?」


 ご尤もな疑問だ。しかし私はピンときた、志波隊長の頭の中は多分こうだ。笠、笠地蔵、金色疋殺地蔵。単純な連想である。あの日は酷い目に遭わされた。


「あんな野郎だけど卍解できるみたいっすよ。今の十二番隊のヘンテコ集団の上に立てっつわれて手挙げるやつが他にいるかってーと、多分いないし」

「へぇ……完成してたんだ。ていうか一心クン、涅局長と仲良かったっけ?」

「全ッ然!!!!!」

「うるさ……ビックリするでしょもう……」


 私も左耳がキンキンした。隣で急にはやめてほしい。局長さんのあの汚いやり口を思えば自ずと声も上がって然りだが、あんな口約束なんて取り消してしまえばいいだけなのに。ちゃんと取り計らってあげるあたりお人好しだ。


「そうだねぇ……技術開発局のこともあるし、ボクも彼でいいと思うよ。浦原クンも後は彼にって考えていたようだしね」

「うらはら?」

「…………ボクいま無性に天鷹の背中を蹴りたい」

「京楽隊長、私もです」


 キョトンとした志波隊長は、げんなりする私たちを不思議そうに見てくる。去年の今頃廷内をさんざん騒がせていたであろう大(冤)罪人であり元十二番隊隊長である彼の名に、まさか聞き覚えがないというのか。しかも夕方にあなたがしてくれた昔話においては、あなたの尊敬する隊長を現世に連れ回していた張本人でしょうに。
 友人に友人の話をしなかった人が、弟子に友人の話をしている訳がなかった。父様ほどの交流下手はそういまい。志波隊長ほどの情報無通もまたいまいて、瀞霊廷通信とか絶対読んでなさそう。それにことこれに関しては浦原元隊長の秘密主義の所為も多分にあるだろう。


「まー……いいよ、キミも隊長になってからはだんだん皆のこと覚えられてるもんね。気にしなさんな」
「機会があれば一緒に文句の二言三言でもぶつけてやりましょうね」

「なによ二人して……」


 いいからいいから、と誤魔化して夏の夜の宴はお開きだ。とっくり呑んでじっくり話して、時は三更さんこうを過ぎようとしていた。私は今日も休養日だが、隊長さんは朝も早いことだろう。
 付かず離れずで山を下りていると、京楽隊長が徐に歩みを止めた。


「お二人さんとはここでお別れ。ボクはもう少し散歩してから帰るよ」

「わかりました、では――」

「沙生ちゃん」

「? なんでしょうか」

「……ううん、帰り道気を付けて。じゃあ――」

「京楽隊長」

「うん?」


 こちらに背を向けかけた彼を呼び止めれば、穏やかで優しい眼差しが光る。心中におこっていた怪火などは疾うに夜風に吹かれて消えたようだ。


「父様のこと、今もお嫌いですか?」


 自然と頬が緩んでしまって締まりのない顔で問い掛けたら、彼は照れたように目を細めた。見たところ、相当ご機嫌麗しく。


「うん、嫌いだよ」

「……どれくらい?」

「今すぐ飛んでいって、丸一日中文句を言ってやりたいくらい」


 悪戯少年のように答えてすぐ、瞬歩で何処かへ散歩に行ってしまわれた。……新たな口説き文句として私の辞書に加えておこう。あんな顔で言い逃げするとは、まだ天真爛漫なところもおありだ。
 遠慮がちにぽこんと頭を撫でてくれた志波隊長の手の温かさも、冷えた体に心地よかった。


***


「こそこそするのが上手くなったねぇ」


 草木も夜更かす紺色の森の中。真黒い滝から四半里先の川下に着いて早々、京楽は残しておいた酒を四つめの盃に注いだ。立派なしいの木の上で仰向けに寝そべっていた男に向かってそれを掲げてみせれば、男は高さをものともせず目の前に降り立った。


「元よりお天道様の下を堂々と歩けない身の上ですから」

「世の中みんな理不尽だ。キミを見てるとつくづくそう思うよ。ハイ、どうぞ」

「いただきます」


 男は素直に盃を受け取った。片手が空いた京楽は懐から五つめの盃を取り出し、それにも酒をなみなみと注ぐ。その動作を男の青瞳あおめが怪訝そうに追った。


「飲みすぎには気を付けてくださいよ」

「天鷹のぶんはボクのぶん」

「人の誕生日にとんだことを仰る」

「いつまで経っても帰ってこないのが悪い。カンパーイ」

「乾杯」


 背の高い二人が並び立って、月明りを反射させる川面を眺めながらグイと呷っていく。京楽はさっきよりも丁寧に酒の味を楽しんだ。
 落ち着いた献酬を重ねて、ちょうど盃が空いた頃に川上からこずえが流されてきた。どちらともなく、つられて自然と歩を進める。通り過ぎる川端は咲き初めの紫陽花にほらほらと彩られていた。


「一次会、キミも混ざりに来てくれて良かったのに」

「あの子の前で俺と与太郎が揃ったら話がややこしくなります」

「アー……そうかも。キミのことは沙生ちゃんになんて紹介したらいいんだろうね?」

「六番隊隊士の逆藤さかふじ公彦きみひこです、とだけ」


 現在の所属と名前。一同僚としてやっていくなら問題ないし、一応、嘘は吐いていない。しかし京楽にしてみれば沙生に隠し事を増やしていくようで気が進まなかった。せっかく天鷹に縁ある者同士が、付き合いを上辺だけで済ませる――それは寂しいことに思えた。自分は沙生を上辺よりずっと深みの水底まで誘い込んだばかりだったから、対比効果で逆藤が余計に素っ気なく感じる。


「沙生ちゃんはキミのこと探してるみたいだけど……」

「あぁ……あの話ですか。先日、海燕君には知れてしまいまして。口止めしておきました」

「じゃあボクからもまだ何も話さない方がいいのかな?」

「いま暫くはそうしていただけますか。俺に何かあったとき、万が一あの子にまで波及したらいけません」


 ――じゃあボクも、我侭を言ったらいけないよね。

 京楽は己の優柔さを戒める。本当は解っていた、逆藤は何も冷たくしたくてしている訳ではないのだ。強い理性と自制心に従い、したいことよりすべきことを。彼はそういう正義を貫ける人だ。


「ですが……どうしたものか、実は既に手が伸びてきています。俺にではなく、あの子に」


 京楽はピタッと静止したのち、そろりと首を回して俯く逆藤を見詰める。視線に気付いた彼は力なく目を伏せた。


「……どういうことか、訊いてもいい?」

「もう目を付けられてるんです。春の件がそうだったんですよ」

「もしかして、尾焼津クンがやっと口を割ってくれたの?」

「いえ、あの馬鹿はまだ」

「アララ。閃クンも大変だろうね」

「……俺は別件の調査中に、よからぬ輩がよからぬ話をしていたのを運良く盗み聞きできただけです。『十一番隊の女隊士がそうかもしれん』とか、あれやこれや」

「えっうそ、誰かに天鷹の子だってバレた?」

「俺もその可能性を考えて焦りました。でも違いました。ただ、一部から元来の異質さに気付かれてしまったようで」

「……一部って、例えばどのあたり?」


 逆藤はとても長い間を置いた。

 あまりにも黙り続けるものだから、京楽は彼が立ったまま気絶でもしてしまったのかと思った。目の前で手をふりふりしてやったら、やんわりと除けられた。
 京楽を焦らすためではなく、逆藤自身が拗らせたゆえの間であったのだろう。感傷の情があふれて、今このとき口にするべきかと逡巡した時間でもあったのだろう――やっと音にされた答えを聞いて、京楽はそう思った。


「綱彌代」


 この場にいる二人とも、その名が大大大っ嫌いである。肺にある空気を尽かせるかのような大きな溜息が、両者の口からほぼ同時に出た。


「あそう。あ〜あ、人の誕生日にとんだこと聞かせてくれちゃって」

「そちらが振った話の流れのせいです。川の杪に同じ、不可抗力」

「ぐぅ……酒が不味くなる前に一緒に飲めて良かったねぇ!」


 わかりやすく拗ねた京楽は酒瓶を逆さにして荒っぽく振り、一滴も垂れてこないのを確かめられて多少は気休めになった。せっかくの美酒も時灘最悪がチラつく報を聞いた後では味もクソもなくなる。清濁併せ呑むといっても、その食い合わせだけは頂けない。


「さすが悪家業に年季入ってるだけあります。こっちが必死で諜報して謀主ぼうしゅがそこだとは勘付けても、裁定にかけて勝てるほどの尻尾が全然出てきません」

「だろうねぇ」

「骨が折れます」

「でもやめないんでしょ」

「この体が動く限りは」


 その不動の信念には感服すら覚える。出会った頃から変わらぬ彼の真っ直ぐ振りを、京楽は密かに手本としている。見習うことに年や位は関係なかった。
 “綱彌代”をどうにかすること、その手強さを京楽は過去に再三散々思い知らされている。奴らの所業によって泣きを見る者が出る度に身につまされてきた。出来るものならどうにかしたかったが、殆ど何も出来なかった。なにせ相手は五大貴族の筆頭だ。中央四十六室との癒着は言うまでもなく、敢えての誤判や隠蔽が裏で公然と行われる。逆らえる者は誰も――命を惜しめば――いない。


「……参ったねぇ。唯一キミを止められそうなやつが留守なんだもの」

「止まりかけた俺に発破かけたのも天鷹様でしたがね」


 ――『死にたがるな、死んでも生きることを諦めるな』


「……アレねぇ……ボクと一心クンもあの場で聞いてたケド、“もう無茶はやめて生きろ”って言いたかったんだと思うよ?」

「解釈違いです。“すべきことも遂げずに死ぬな”、ですよ」


 危険を冒して欲しくない気持ちと、信念を通して欲しい気持ちが京楽の中で同居する。どうせ自分ではどうやっても彼を止められないのなら、後者に傾いた方が気は楽になるのかもしれない。


「……遂げても死なないでほしいなァ」

「ご安心ください。俺のすべきことって果てし無いので」

「石頭と硬骨って紙一重だよねぇ」

「何とでも言ってください」

「頑固と堅物カタブツもそうね」

「……もうどっちも悪口じゃないですか」

「エヘヘ」


 それぞれの隊舎へ帰るためにそろそろ川沿いかられようとすると、視界にちらちらと淡い光の粒たちが舞い込んできた。

 ――蛍だ。

 京楽は胸の前に右手をもってきて、人差し指だけをすっと寝かせ伸ばした。けれども一向にとまってくれないし、寧ろふよふよと遠退いていく。どうしても口元が緩んだ。
 手の届かない星よりは掴めそうなものなのに。いっそのこと、川面に浮かぶ月に手を伸ばしたくなった。






あとがき(memoの追記に飛びます)


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