文官から出された問題集は簡単だった。
お婆様から習ったことばかりで、全ての空欄を埋めることができた。
後日、アルフォンソ陛下から合格を告げられ、二週間後に授与式が行われることになった。
「本当によろしいのですか? 私はまだ子供ですし、他の貴族がどう思うか……」
十歳で爵位を授与されるのは史上初。つまり最年少。侮られるのは目に見えている。
不安を含めて言えば、アルフォンソ陛下は安心させるように微笑む。
「だから余が後ろ盾になるのだ。同時に其方の実績を公表し、あの無能共を廃する。同時に断罪もしてやらんとな」
断罪と言われて、軽く目を瞠る。
もしかして……
「あの人、職務の妨害や人材の
以前から有能な人材に自分の失態を被せて左遷しているという報告があった。
公務執行妨害に加えて
断罪の場に「彼等」を呼ぶ必要がありそうだと考えながら問うと、アルフォンソ陛下は驚いた様子で目を瞠る。
「確かに職務を全うせず、優秀な人材を勝手に追放している。そのくせ散財が目立つ故に調査した結果、国に納める自領の税金のみならず国税にまで手を出したのだ」
「……あの、ばかっ」
把握していた内容以上の犯罪に手を染めていた事実に、思わず悪態を吐く。
国への納税は領主である父親――ダナンの役目。フェリス領での政策や実権のほとんどを私が握っていても、表向きは領主代行の権限を与えられた家令カーティスの仕事。
税金はダナンに送られ、ダナンが国に納める流れ。そこから幾分か抜き取られたのは報告書に載っていたため、その分をお婆様経由でアルフォンソ陛下へ送っていた。
それなのにまさか国税に手を出していた……? ……殺意が湧くなんて初めてだ。
顔に手を当てて怒りを抑え込み、落ち着いたところで深く頭を下げる。
「大変申し訳ございません。あの者に代わって深くお詫び申し上げます」
「よい。元より爵位
貴族の資格を剥奪し、罪人の
貴族だった者には
「それは……少し甘くないですか? 多くの人生を狂わせましたのに……」
あの愚か者の行いの犠牲者達に対して罪悪感が湧いてくる。
心苦しさから悲しくなると、アルフォンソ陛下は苦笑した。
「確かにそうだが、其方が裏で被害者達を保護していると聞いた」
「……! もしかして、彼等が保護を受け入れてくれたのは陛下のお力添え……?」
アルフォンソ陛下の発言に過った、ある問題の急な解決。
実は彼等の保護に関して、何人かは復讐心を焚きつけてフィリア商会の王都支店での情報収集を任せることに成功したけれど、最初は受け入れてもらえなかった。
しかし、断られても気にかけていた彼等が面会を願い、開口一番に謝罪された。
まさか叩頭……土下座されるとは思わなくて困惑した。
私も幼い頃から両親と妹に虐げられ、闘病中に領地へ送られた経緯がある。
死に際まで追い詰められ、前世の記憶が蘇り、今の私へ成長した。
そういう経緯から領地経営を全うしないダナンから領主の権限を奪うために頑張っていることを知ったのだと説明され、最初はお婆様から聞いたのだと思っていた。
けれど違った。実際はアルフォンソ陛下経由で知ったのだ。
頭に浮かんだ憶測を口にすると、アルフォンソ陛下は穏やかな笑顔で頷く。
……
胸の奥が熱くなって、深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます。陛下のおかげで彼等を守れました。現在、彼等はフィリア商会の王都支部でダナンに関する情報を集めてもらっています。購入内容と消費金額をまとめ、提出いたします。それと断罪の場に彼等を証人として招集してもよろしいでしょうか?」
「願ってもない申し出だ。是非とも頼む」
「感謝いたします」
彼等が復讐に参加する権利を得られた。きっと喜んでくれるはずだ。
私の言葉に、アルフォンソ陛下は晴れやかに笑った。
「むしろこちらこそ礼を言いたい。……それに、謝らせてほしい。其方の母と弟妹に関してだが、母親と娘は修道院へ送るが、息子はまだ希望がある。そのため母方の血筋であるガスリー公爵の養子に出すつもりだ」
「……あの母が育った家、ですか」
苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
何故なら、あの我儘な母親が育った生家なのだ。母親の影響を受けた妹は
弟は大人しく問題を起こしていないが、周囲から冷たい目を向けられているらしい。それが件の家に馴染めるのだろうか。
すると、アルフォンソ陛下が私の不安な様子に気付いて教えてくれた。
「彼は余の信頼のおける人格者であり軍務大臣補佐官。今後、其方と縁深くなる相手だ」
「存じております。先代ガスリー公爵であらせられる軍務大臣の後継者。軍師とも名高い次代の軍務大臣。人情に厚い方で、騎士団からも国軍からも人望があり慕われていると」
お婆様から聞かされたガスリー公爵の人柄を思い出す。とても真面目な方だとか……。
会ったことはないが、お婆様は信頼しているのか、私が抱く悪印象を消そうとした。
でも、あの母親の生みの親なのだ。不安ばかりが先立つ。
自制心を働かせて平静な表情を取り繕うと、アルフォンソ陛下は困ったように言った。
「ただ、彼の父親が一度だけ間違いを犯した。それが其方の母ミリアムだ。彼女は
意外な母親の経歴に驚く。
周囲に嫌われていた。だから母親に植え付けられた先入観ばかりが根付き、自分の美貌を受け継がない私を嫌悪したのかな。
私の勝手な思い込みかもしれないけれど、もしそうだとしたら凄く悲しい。
それに……。
「……余計に心配になってきました。弟は……あの子は、ガスリー公爵家の方々に虐められませんか?」
人間は一度、嫌悪した相手に対して厳しい。心から許し、相手を認め、優しくすることができない者もいる。
私も両親は好きではない。憎悪まではないけれど、人間として失格な彼等が私の親ということに強い失望感を抱いている。
家族として見ることができない以前に、血が繋がっているだけの存在で、家族ではない。
けれど妹と違って、幼い弟は将来性があると報告で知っていたから心配なのだ。
その思いから言えば、アルフォンソ陛下は意外そうに目を瞠る。
「……其方は、あれらを嫌悪しているのではないのか?」
「確かに人間として失格な彼等は嫌いです。ですが弟はまだ幼く、将来性は未知数。陛下のおっしゃる通り希望があるのです。その芽を摘んでしまうのはもったいないです」
私情もある。けれど、公私混同しつつ公平に感じた主観から答えた。
すると、アルフォンソ陛下は柔和に微笑んだ。
「ナディア嬢……いや、ナディア。其方の懸念は最もだ。余からも口添えしておこう」
「ありがとうございます。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します」
最上の礼をもって低頭すれば、アルフォンソ陛下は「任せなさい」と頷いた。
「ところで、ナディアは誰かと結婚する気はあるか?」
「……結婚、ですか?」
唐突な質問に驚く。
今の私に婚約者はいない。そもそも私に結婚を望む者は……いや、これまでの功績を知れば有力者が押しかけてくるだろう。
でも、その人と良好な関係を築けるとは思えない。なんせ男は「女は男を立てるもの」という認識が強い。私が辺境伯の地位を継いでも、その地位を
でも、叶うことなら……
「私の意志を尊重し、領民や魔術師を大切にしてくれる方でしたら」
心から信頼できて、愛し合える人と結婚したい。
夢物語だと思うけれど、フェリス辺境伯の称号を
けれど、この条件に合う人がいるとは思えないから、今世も独身かなぁ……。
「なら、紹介したい者がいる」
アルフォンソ陛下が直々に紹介する人物。少し気になって、まずは会ってみることにした。
応接室から出て、アルフォンソ陛下に連れられて庭園に出る。
香り高い薔薇が咲き乱れる、美しい薔薇園。その
「ルシアン。来なさい」
アルフォンソ陛下の一声で、男の子が明るい日向へ踏み出す。
まず目を引いたのは、
大きな瞳の色は、王族特有のエメラルドグリーン。凛とした目付きで、大人になれば凛々しい美貌になりそうだ。
身長は私と同じぐらい。おそらく同い年か年上だと推測してみる。
将来が楽しみだと感じる美少年に感嘆していると、男の子は歩み寄る足を止めた。
あれ?と首を傾げると、男の子は目を丸く見開いて頬を赤らめた。
チラッとアルフォンソ陛下を見れば、彼は苦笑しつつ私に右手を向けた。
「紹介しよう。彼女はナディア・フェリス。二週間後にフェリス辺境伯の爵位を継ぐ神童だ」
「……え?」
アルフォンソ陛下の紹介に、男の子はぽかんと口を開けて驚く。
それはそうだよね。同い年ほどの子供が爵位を賜るなんて前代未聞だから。
とにかく今は挨拶を返さないと。
「紹介に与りました、フェリス辺境伯の長子、ナディア・フェリスにございます」
微笑を浮かべてカーテシーで優雅に挨拶する。
しかし、男の子は表情を元に戻さない。衝撃が抜けないのだろうか。
気まずくなってくると、アルフォンソ陛下が困ったような笑みで教えてくれた。
「ナディア。この子は余の息子、ルシアンだ」
「……! 第二王子殿下、ですか……?」
アナトール王国では、庶民は一夫一妻が普通で、浮気は犯罪に分類される。
しかし、貴族は一夫多妻が
そんな中でアルフォンソ陛下は、この国では珍しいことに一夫一妻を重んじ、ルチア王妃だけを寵愛している。
側室を作らずして、三人の王子と一人の姫が誕生した。
三人の王子の内、長男は優秀で素質があり、あと二年で王太子になる。
次男と三男は双子で、片方はしっかり者、片方は我儘で
ルシアン殿下は第二王子。しっかり者の双子の兄。
まさか彼を紹介されるなんて思わなくて驚くが、申し訳なくなってきた。
「あの……私でよろしいのでしょうか?」
「むしろ余が
親馬鹿ではなく、事実なのだろう。でなければ政略的な
でも、本当に私でいいのか不安が先立つ。
「あの、父上。本当に彼女が……辺境伯に?」
モヤモヤしていると、ルシアン殿下が訊ねた。
半信半疑なのは分かる。私がルシアンの側であっても、同じ疑問を持つはずだから。
「資格は充分ある。フェリス領の政策を次々と成功させるだけではなく、あの<tィリア商会の会頭として
「えっ、フィリア商会の会頭!?」
「ソフィア殿曰く、八歳で創立したそうだ。経緯を聞かせてもらえないだろうか?」
この流れでアルフォンソ陛下にお願いされる。
仕方ないので、この際だから全て話すことにした。
四阿へ移動して紅茶を飲み、フィリア商会の創立秘話を語る。二人は聞き上手で、なかなかいい反応を見せてくれたおかげで楽しく話せた。
「――なるほど。ナディアは女性の立て方をよく理解している。確かに女性の文官は数えるほどしかいない。いたとしても、男のような出世は困難。なら、今後のために政策を見直そう」
「でしたら、フィリア商会での女性の雇用制度を開示しましょうか?」
「おぉ、それは助かる。頼む」
「承りました」
喜んで頼んだアルフォンソ陛下の笑顔に感化されて、私も笑顔になる。
ふと、ルシアン殿下を見れば、彼は小さく俯いていた。
「ルシアン王子殿下、ご気分がすぐれませんか?」
春の気候は不安定で、急に肌寒くなるから気分が悪くなったのかもしれない。
心配になって声をかけると、ルシアン殿下は首を横に振った。
「僕はこれでも努力してきた。なのに、父上とナディア嬢の話について行けなくて」
あー……自信が折れちゃったのか。悪いことをしてしまったかも。
けれど、これは経験がものを言うものだから……なら、こうしよう。
「もしよろしければ、フェリス領にお越しになりませんか?」
「……え?」
私の申し出に、ルシアン殿下は目を見開く。
「私に領地経営の技術を教えてくださった方をご紹介しますし、今のフェリス領の各地を見て回りましょう」
「……いいのかい?」
不安そうに訊ねられて、私は笑顔で頷く。
「はい。私だって初めからできたわけではありません。始まりは親の暴利から民を守るために
領民のために、とは聞こえがいいかもしれないけれど、実際その通りだ。
私は領民を傷つける親が嫌いで、そうなりたくなくて、親から領民を守りたくて。
一心不乱に努力して、財力も得て、領地の経営も成功させていったのだ。
「今はどうなの?」
過去を振り返っていると、ルシアン殿下が訊ねた。
真剣な眼差しに心臓が跳ねた気がしたが、自然と柔和な笑顔に変わった。
「あの地で民が幸福で健やかであってほしい。彼等の笑顔が見たい。そして、私を受け入れてほしい。彼等の幸福が生きる原動力ですし、彼等に認められることが目標ですから」
高尚ではないけれど、これが私の生きる目標。
人間らしい欲もある。それでも彼等が幸せでなければ意味がない。
だから頑張れる。彼等のために、そして私のために。
その気持ちを込めた微笑で語れば、ルシアン殿下は息を呑んだ。
「……そんな貴女が、僕の婚約者」
「がっかりしました?」
「ううん。むしろ想像以上で……尊敬するよ」
心の底から言っているようで、熱を込めた眼差しを向けられる。
同年代から尊敬の二文字を贈られるなんて思わなかった。
でも、無性に照れ臭くなってはにかむ。
「ありがとうございます。一緒に頑張りましょう」
「……うん」
頬を赤らめたルシアン殿下も笑顔になって、力強く頷いてくれた。
初めは不安だったけれど、ルシアン殿下となら同じ道を歩める。そんな気がした。