苦悩と葛藤と愛の狭間



「ナディア、顔の熱は大丈夫かい?」

 お茶会の庭園から離れた場所で訊かれ、頬に手を当てて具合を確かめる。

「……うん、大丈夫」

 先程より熱が引いていると感じて頷けば、ルシアンは私を下ろした。
 ルシアンが私に被せている上着をめくると、素早く顔を隠された。

「る、ルシアン様? あの……?」

 困惑しつつ呼びかけると、ルシアンは深い溜息を吐く。

「……もう少し待って。アンジェラ、着いたら飲み水に氷を入れてくれ」
「畏まりました」

 庭園から追いついたようで、私の侍女を務めるアンジェラが応える。

 アンジェラは氷魔術を得意とする、私が初めて出会った魔術師。

 彼女が勇気を出して打ち明けてくれたおかげで魔術師の存在や境遇を知った。
 魔術師が世界に貢献できる互助組織『魔導院』を創立したのは、アンジェラとの出会いがあったからこそ。
 その後、二年前の戦争から多くの魔術師が集まり、多くの魔術が研究により発展。
 王都の国立魔導院が軌道に乗れば、フェリス領の魔導院の負担も軽減する……。

「おい、ルシアン」

 移動している際、粗暴そぼうな声がルシアンを呼び止める。
 ルシアンは嘆息しつつ、体を傾けて声の主へ向く。

「何か用かい、ジューダス」

 滅多にない淡々とした声色に驚くと同時に、その名前を思い出す。

 ルシアンの双子の弟、ジューダス第三王子。
 去年までルチア王妃の故国で勉強や武芸だけではなく礼儀作法を教わっていた。中でも礼儀作法を重点に叩き込まれたらしい。

 そんな彼は今年の中等部から王立学園に通うことになり、留学期間を終えたのだ。
 この横柄な態度では成長……否、矯正きょうせいできなかった様子。
 本来なら王族の帰国の際には祝宴が催されるのだけれど、目的だったジューダス第三王子の矯正ができなかったので催されなかったのだとか。

 アルフォンソ陛下達も苦労するわね。

「聞いたぜ。俺がいない間に婚約したんだって? 何で教えなかった」
「教える必要はないだろう」

 刺々しい声音で拒絶したのはルシアン。
 ジューダス第三王子が苦手なのは想像できるけれど、どことなく嫌悪を感じる。
 ルシアンの意外な一面に驚いていると、ジューダス第三王子は鼻でわらう。

「隠したいのは当然か。女のくせに爵位を継いだ奴と結婚しないといけないんだ。王族なのに爵位を持てない婿むこだなんて屈辱くつじょくだろ」

 改めて突きつけられた現実に息を詰める。
 ジューダス第三王子の言葉は、あながち的外れではない。
 世間から見れば、歴史的に王族が爵位を持たない事例は少ない。しかも、爵位持ちの女性と結婚すれば、その女性を立てなければいけない。
 男性社会が根深い貴族の男性にとって、女性が優位な立場で政治や経済に携わるというのは屈辱だという認識は根強いのは分かっている。
 でも、それを面と向かって突きつけるだけではなく冷やかすなんて失礼だ。なのにジューダス第三王子はルシアンを侮辱ぶじょくする。

 腹立たしいけれど、それ以上に原因である私自身が嫌になる。
 自己嫌悪に襲われて拳を握り締めると、ルシアンがその手を握った。

「で、相手はどれほど年増なんだ?」
「ジューダス」

 聞いたことがないくらい怒気を滲ませた声に心臓が縮みかける。
 はっきりと怒りをあらわにするルシアンを見るのは、これが初めてだから。
 ジューダス第三王子も初めてなのか動揺している。

「な、何だよ。事実を言われて怒るとか……」
「彼女を侮辱するなら、僕も聞き逃すことはできない。それと、女性に対して失礼な物言いは改めないと、今後の良縁は見込めないだろうね」

 ジューダス第三王子は虚勢を張るけれど、ルシアンは冷たい声で忠告する。
 静かになり、もう用はないとルシアンは判断して私の手を引いた。

 いつも以上に歩調が速い。それだけ怒ってくれているのだと感じる。
 申し訳ない気持ちもあるけれど、反面、嬉しく思う。

「ルシアン、あのっ」

 ルシアンの部屋に近づくにつれて息が上がってきた。
 敬称を付けられないほど必死に呼びかけると、ルシアンは慌てた様子で立ち止まった。

「ごめん。大丈夫かい?」
「う、うん」

 深呼吸をして整える私に、ルシアンは申し訳なさそうな顔をする。
 それから無言で部屋に入ると、私に被せていた上着を取る。
 見知った部屋の長椅子に誘導されて座れば、隣に座ったルシアンが寄りかかった。

「ルシアン? ……大丈夫?」

 私の肩に顔を埋められて、繊細な髪の毛と呼吸が肌をくすぐる。
 妙な気分になるけど、それ以上に彼の苦悩を察して心苦しくなる。
 そっとルシアンの頭を撫でると、彼は深く息を吐く。

「すまない。ジューダスがあんなこと……」
「ううん。……私も、つらい思いをさせてごめんなさい」

 胸の痛みに声が掠れる。すると、ルシアンは顔を上げて私を抱きしめた。

「違う! ナディアは立派で、誰もが尊敬する人だ。むしろ僕が、君が侮辱される原因になってしまったんだ」

 打ち明けられたルシアンの苦悩に息が詰まる。
 互いに罪悪感があって、同じことで苦悩している。
 何故だろう。それで心が救われたような気になってしまう。

「同じ、だね」
「え……?」
「私も……私のせいでルシアンが侮辱されて、嫌な思いをさせてしまって……そんな自分が嫌になる。でも、ルシアンも同じ気持ちで、私を大切に想ってくれている」

 同じ気持ちを抱えて、互いに思い遣れる。
 こんな状況なのに、自分には勿体無いくらいの奇跡だ。

「ありがとう、ルシアン。……愛してる」

 ルシアンを抱きしめて、小声でも強い思いの丈を囁く。
 すると、息を呑んだルシアンが私を離して、頬に触れた。

 三年前より成長した手のひらに包まれて、潤んだ瞳を伏せてすり寄る。
 手のひらの温もりに癒されていると、ルシアンが深く息を吐いた。

「アンジェラ、三十分でいい。時間をくれないか」
「畏まりました」

 飲み物を用意したアンジェラは深くお辞儀して、静かに退室する。
 扉が閉まる音が微かに聞こえた直後、ルシアンに抱き上げられた。

「ぅわっ? る、ルシアン? ……!?」

 戸惑っている間に、広々とした寝台に運ばれた。
 優しく押し倒されて、声を出せないほど驚いてしまうと、ルシアンの額がくっつく。
 熱っぽいエメラルドグリーンの瞳に見つめられて、呼吸を忘れかける。

「僕の方がナディアを愛してる」

 私と同じか、それ以上の感情を込めた言葉だった。
 胸を中心に熱が広がるほど嬉しくて、余計に目が潤む。
 そんな私にルシアンは愛おしそうに眦を下げて、そっと唇を重ねた。

 これが初めてではないけれど、何度されても慣れない。
 柔らかな唇の熱と吸いつく音。ついばむにつれて深くなって、次第に生々しくなる。
 頬が熱くて涙が溢れる頃には、ルシアンの顔が離れた。

「ルシアン……?」

 熱い吐息を漏らして呼びかけると、ルシアンは苦しそうに目を細めていた。

「気付いているかもしれないけど、僕は我儘だ。結婚まで清いままでいたいけど、もっと深く触れ合いたい欲もある。今はまだ耐えられる。……でも、他の男に奪われそうになったら無理だ。すぐにでもナディアを僕のものにする」

 初めて聞く、独占欲にまみれた本心。
 ルシアンの欲を込めた鋭い眼差しに、一途な愛情に背筋が震えた。

「君が泣いて嫌がっても止めてあげられない。こんな僕でも愛せる?」

 普通の令嬢だったら怖がると思う。
 でも、私は不安そうな表情になったルシアンが愛おしい。

 衝動的にルシアンの首に腕を回し、私から唇を押しつけた。
 自分から口付けをするなんて初めてでだけど、自分の心に逆らえなかった。
 彼の驚き顔を見て、情愛を込めた笑顔で頷く。

「私だって、早くルシアンと一緒になりたい。もっと愛し合いたい」
「っ……ナディア」

 熱っぽく掠れた声で呼ばれて、背中に悪寒に似たしびれが走る。

「でも、今の私達はまだ未成熟だし、体に悪いから。もしルシアンが耐え切れなくなっても、十八歳まで待ってほしい。その時なら、全部あげられる、から……」

 恥ずかしいことを言っていると自覚している。
 目の奥が熱くなるほど羞恥が込み上げると、ルシアンの唇が深く合わさった。
 呼吸を整える隙を突かれて、熱いものが口腔こうこうを暴く。
 意識が遠退きそうになる前に、唇が離れた。

「言質はとった。絶対だよ」
「……うん。その時が来て、耐え切れなくなったら、いっぱい愛してね」

 両手でルシアンの頬に触れてはにかむ。
 途端、ルシアンは口を引き結んで、私の横に倒れ込んだ。

「はぁー……もう。どうして理性を壊そうとするのかなぁ、ナディアは」
「え?」

 寝転がって私を抱きしめたルシアンは悩ましげにぼやく。
 理性を壊すつもりはないのに、どうやら刺激してしまったみたい。

 今後は気をつけた方がいいかしら?
 意識できるか不安に思っていると、抱擁ほうようが強まって少し苦しい。

「僕には気をつけなくていい。ナディアの真っ直ぐな気持ちは嬉しいから。でもね、他の男にはしないように。……嫉妬でどうにかなりそうだ」

 私を心から愛して、嫉妬してくれる。
 これくらいの重さが、私には心地良くて嬉しかった。

「……うん。ルシアンも、他のご令嬢に気をつけてね。ルシアンは格好良いから、いろんな子に狙われそうで……怖い」

 彼の胸板にすり寄って本音を吐露とろすると、呻き声が聞こえた。
 不安から上目遣いで見上げると、ルシアンの頬が赤らんでいた。
 悩ましそうな表情から、私と同じ恋い焦がれる感情が伝わる。

「気をつけると誓うよ」

 約束を交わし、改めて相思相愛だと通じ合う。
 胸を中心に全身に広がる熱が、温かく心を満たす。
 幸福感に包まれながら、時間が来るまで互いの話をした。


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