お婆様はアーデルお婆様と歓談に向かい、私は既知の貴族に挨拶周りを始めた。
この数年で構築した人脈は得難いものだし、彼等との交流も大切にしたい。
軽く談笑しながら挨拶して回っていると、私をじっと見つめる貴族がいた。
見覚えのある顔に気付き、気を引き締めて近づく。
「久しぶりですね、ウェザレル子爵」
「お久しぶりです、フェリス公爵。爵位襲名の折り、祝いの品をくださり感謝申し上げます」
三年前の春、私がフェリス辺境伯の爵位を賜る際に、父・ダナンの悪行の被害者である証人を集め、彼等の存在を以てダナンを断罪した。
当時はウェザレル子爵の長男で、爵位を継いでいなかった。ダナンが原因で
けれど、私が持ちかけたダナン断罪計画に加担して復讐を
私とは十歳以上も差があるけれど、爵位の格差抜きで私を評価してくれる。
ダナンのせいで一度は危ぶまれたというのに、私も被害者だからと許してくれた。
ウェザレル子爵の
「あれほど良い
「これでもフィリア商会の会頭ですもの。算盤を使うと耳にしたので、ウェザレル子爵に役立てるものとなることを祈っているわ」
淑女らしい言葉遣いを意識しつつ、気に入っている様子に安堵する。
そんな私の発言に、ウェザレル子爵は破顔する。
「既に役立っております。職場では話題の種になり、以前より交流の幅も増えました」
「経理部のリーブス長官も、貴方の丁寧な仕事を評価しているものね」
「えっ。あのリーブス長官が……私を!?」
経理部の鬼とも言われるリーブス長官は、戦争前の
厳しすぎる、仕事の鬼だ、と言われるほど仕事に熱意を持っている。
複式帳簿や働き方改革の奏上の件で、私に対して腰が低くなっている生真面目な方だ。
「自他共に厳しいけれど、だからこそ正当な評価を下さる方なの」
「……はい。あの日、フェリス公爵が手を差し伸べてくれたおかげです」
「いいえ、これはウェザレル子爵の努力の賜物。もっと自分を誇ってちょうだい」
私にも言えることだけれど、彼が謙虚になりすぎないように言い聞かせる。
すると、ウェザレル子爵の目が
「はい……! 私もフェリス公爵を見習い、より精進いたします」
大袈裟だと思うけれど、彼の好意を無下にしたくないので
「失礼。私もフェリス公と話がしたい」
その時、きりの良い頃合いに男性が声をかけてきた。
覚えのある声にお辞儀すると、彼は「堅苦しくなくてよい」と言ってくれた。
姿勢を正すと、少し
男性はアルフォンソ陛下の弟。つまり王弟殿下であるアウグスト・フォン・アグノエル大公と、その妻、ヴィクトリカ大公夫人。
王族に相応しい美貌の夫婦だけど、ヴィクトリカ大公夫人は以前より変わった。
「ご機嫌麗しゅうございます、アグノエル大公閣下、アグノエル大公夫人」
「いつも通りで良い。なあ、ヴィクトリカ」
「ええ。ナディア様、わたくしは公の場でも気軽に呼んでちょうだい」
「恐悦です、アウグスト閣下、ヴィクトリカ様」
私達のやり取りに、周囲はざわめく。
私も気を抜きすぎず、それでいて自然体な態度で会話を始めた。
「ヴィクトリカ様はさらにお美しくなられましたね。アウグスト閣下とお揃いのドレスも似合っております。まるで人魚姫のようで素敵です」
「あなた、お聞きになって? これがナディア様ですわ」
「う、うむ。私より詩的な褒め言葉だ。どのようにして学んだのやら……」
頬を
これでも本心なのだけれど。
「事実を申しているだけです。私はヴィクトリカ様の努力を知っております。磨き上げられた宝石のような変化を見れば、誰だって
素直な気持ちを笑顔に乗せて言えば、ヴィクトリカ様はさらに目元を赤らめた。
潤んだ瞳から、どれだけ感激しているのか分かる。
「それもこれも、ナディア様のおかげですわ。無理なく健康的に痩せる方法や、室内でできる
商品開発とは、ダイエット商品のこと。
前世にあったフィットネスバイクを考案して、技術者に頼んで作ってもらった。試行錯誤の末、完成度の高いものとなったので、一ヶ月の耐久試験の後に贈ったのだ。
ちなみにその過程で自転車が開発された。前世との順序が逆になって苦笑したっけ。
「近々、わたくしと同じ悩みを持つ方々をお誘いしようと思うのだけど、どうかしら?」
「いいですね。名付けるなら『花鳥の会』でしょうか。努力の末に花開いた美を
「まあ……! まあまあ! 素敵ですわ! では、わたくしが『花鳥の会』の会長、ナディア様が理事で相談役というのはどうでしょう?」
「素敵です。あ……ですが、私には公務がありますので、参加できる機会は少ないかと。なので役職は相談役のみ。相談は事前予約制。それならお力になれると思います。どのような方でも美しくなりたい思いがありますから、微力ながらお力添えいたします」
これでも私は多忙だから、時間を割くのは難しい。
だけど、ヴィクトリカ様のように体型で悩みを持つ女性の気持ちは理解できる。
私なら前世の知識で無理のないダイエットの助言ができるから、協力は
その思いを込めて申し出ると、ヴィクトリカ様は表情を引き締めて頷いた。
「ナディア様のご多忙は存じております。その上でのご協力に感謝しますわ」
子供の私に対しても感謝の気持ちを伝えてくれる。そんなヴィクトリカ様だからこそ、私も力になりたいと思えるのだ。
「ヴィクトリカ様の努力を知っているからこそ、私もお力になりたいのです。美は羨むものではなく自らの力で掴むもの。これはフィリア商会を立ち上げた時に掲げた理念です」
「美を自らの力で掴む……素敵な名言ですわ。会の理念にしてもいいかしら?」
「もちろんです」
フィリア商会の美容品に対する理念は、どこでも通じる。『花鳥の会』の志を明確化するために理念に掲げるのも効果的でしょう。
作り物ではなく、心からの笑顔は癒される。
つられて緩んだ笑顔が表に出る私に、大公夫妻も和やかな空気を纏う。
「ナディア」
「! ルシアン様」
貴族達からの祝辞が終わったようで、ルシアンに呼びかけられた。
つい喜びが溢れて声が弾むと、ルシアンは頬を赤らめて立ち止まり、軽く天を
いつもの反応に「やっちゃった」と内心で焦るが、アウグスト閣下が面白そうに笑う。
「ふはっ。ルシアンの溺愛ぶりは聞いているが、相当重症じゃないか」
「……叔父上」
恨めしげにアウグスト閣下を見上げたルシアンは、咳払いを一つ。
「失礼。閣下とて、国一の愛妻家と広まるほど、奥方を溺愛しているではありませんか」
「むっ。これは一本取られましたな」
ルシアンの反撃に、アウグスト閣下は一瞬言葉を詰まらせて後頭部を掻く。
いくら叔父と甥の関係でも、社交場では明確な対応に切り替える。
二人の生真面目さに感服すると同時に、二人の会話に気恥ずかしくなる。
ヴィクトリカ様も頬を紅潮させていた。
私達は互いに顔を見合わせ、困り顔で笑った。
「アウグスト様、ルシアン殿下、わたくしたちの心の安寧のために、どうかそこまででお願いしたいのですが……」
耐え切れなくなったヴィクトリカ様が割って入ると、私達を見た二人は口を引き結ぶ。
「……すまん。しばらく扇子で隠してくれ。お前の愛らしいその表情を見せたくない」
「もう……仕方ありませんね」
ヴィクトリカ様は渋々と言った
白い鳥の羽毛を飾った扇子で顔の半分以上を隠し、私に目礼する。
「ごめんなさいね、ナディア様」
「いえ、お気持ちは分かりますから」
苦笑気味にやんわりと言えば、ヴィクトリカ様は眦を下げる。
「ナディア殿、途中ですまないが妻を休ませたい」
「どうぞ、ご無理のないようお休みください」
アウグスト閣下へ深めに低頭して、ヴィクトリカ様を気遣う。
「ナディア様、またお会いしましょう」
最後にヴィクトリカ様が挨拶して、二人はその場から離れた。
二人を見送って肩の力を抜く。
すると、ルシアンに頼まれる。
「ナディア、扇子を持っているかい?」
「え? ええ、もちろん」
「ナディアも隠してほしい。……まだ頬が赤い」
ルシアンの指摘に、あら、と呟いて扇子を広げる。
最近の扇子は骨組みに透かし彫りが見どころだが、こちらは上半分を彩りのある柄とレース生地の縁取り、下半分を花びらと蔦の透かし彫りで、より華やか。表情を隠すのに適しているし、何より扇子としての機能をちゃんと果たしている。扇げば風を起こせるのだ。
大抵は骨組みと羽根飾りで、顔が透けて見えるし、抜けた羽毛が顔にかかる。
残念な仕様より機能美で、観賞用としても見栄えがいい。
私の今のお気に入りの逸品だ。
「その扇子の柄も綺麗だね。母上の誕生祝いに姉上とお婆様にも贈ったのを見たけど、とても綺麗で喜んでいた」
「よかった。実は大和国の扇子と掛け合わせたものなのです」
大和国は閉鎖的な島国だが、アナトール王国と交易している。
大和国の皇子が我が国の王立学園に留学することもあり、関係は親密。
だから友好の証となる芸術的な扇子を作ってみたのだけれど……
「つい先日に来訪した大和国の外交官が、母上の扇子で会話が弾んだそうだよ。是非とも持ち帰りたいと願われたけど、生産は大丈夫かい?」
「はい。最高級品は絹布を使っているので希少ですが、大和国の皇室に
「なら、その時は私も同席する。君から教わった大和語の実践がしたい」
実のところ、大和国の公用語『大和語』は『日本語』の標準語なのだ。
ちなみに古代言語『和語』は『出雲文字』、神代文字『ホツマ文字』は『ヲシテ文献』に出てくる『ホツマツタヱ文字』で構成されて、やはり『日本』に似ている。
それ以上に、よく前世の知識を覚えているなぁと今世の自分に驚いた。
大陸語が基準の人間では習得しきれないが、私は前世の記憶のおかげで
きっと役立つからルシアンにも教えたら、王城に訪れる大和国の外交官と片言ながら会話できたらしい。
互いに実践できる機会ができて楽しみだと話しながら、立食形式で食事が並ぶ区画に行く。
いつもながら美味しそうな料理が整然と並んで目を引く。