いつまでも図書館の前で立っているわけにはいかないので駅に向かって足を踏み出した。
勉強のため夏休みからずっと利用している図書館。夏が終わってからも休みの日は図書館に足を運んでいた。駅へと向かう帰りの道はすっかり慣れたものだ。しかし、街並みは夏に歩いていた時とは随分と変わって見えた。夏の間は夕日が照らしてくれていたこの道を、薄着の子どもたちが黄色い声をあげながら駆けて行っていたような気がする。今は街頭しか照らさない道となっており、すれ違う人は皆、下を向きながら黙々と足を進めていた。ナマエも例に違わずその一人で、肩にかけた手提げ袋をぎゅっと握りしめて、暗いアスファルトにひかれた白線だけを眺めながら肌を刺す風を突っ切っていた。
「あれー? ナマエちゃんやん」
陽気な声に名を呼ばれて顔を上げれば、星空を背景に眩い黄金を輝かせた男が嬉しそうに大きく手を振っていた。そういえば、この近くには稲荷崎高校の寮があると角名が言っていた。
「侑くん!」
手を振り返すと、駆け寄ってきた侑はナマエの隣に並ぶので、ナマエは足を止めた。
「部活の帰り?」
せやで、と答えた彼はウインドブレーカー姿だった。
「ナマエちゃんはなんでこないなとこ歩いてるん? 家この辺なん?」
「ううん、私の家は隣の駅。図書館で勉強してたの」
「あー、せやった、せやった。ナマエちゃん、受験生やもんな。お疲れやな」
駅まで送ったるわ、と笑った侑は足を進めようとするので、大丈夫だよ、と断る。角名とすれ違った時もそうであったが、対面から現れた侑を鑑みるに、きっと、寮は駅とは反対方向にあるのだ。寒い中、侑に真っ暗な道を駅まで往復させることは心苦しい。
「えー、断らんといてや。俺はナマエちゃんとおしゃべりしたいねん」
ここまで正直に言われてしまうと、笑ってしまう。侑が隣にいると寂しかった道は、ぱっと明るくなるようだ。
侑に対して申し訳ない気持ちはあったが、可愛い後輩の頼みに甘えることにした。
「ありがとう」
「俺の方こそ、ありがとうな」
真っ直ぐに思ったことを口にする侑は見ていて気持ちがいい。侑と並んで駅へと向かった。
侑は黙るということを知らないようで、次から次へと話題を振ってくる。ナマエの進学先のことや侑の部活の話など、話題は多岐に渡った。ナマエが笑う度に、白い息は嬉しそうに歯を見せる侑を覆った。まだまだ、駅までは距離がある。けれどもきっと、気がついたらナマエは電車に揺られているのであろう。
「ため息ついてどないしてん?」
「あ、違うの! ごめんね」
ため息なんてついて失礼だっただろうか。決して侑と過ごす時間がつまらないというわけではないのだ。むしろ楽しいから、体を冷やす冷たい空気に、はっと我に帰り、吐息を漏らしてしまうのであった。
街頭だけが照らす中、侑の顔を見上げると、侑はじっとナマエを見下ろす。顔に視線を向けられているのかと思えば、まん丸の瞳は下へと下りていった。
何見てるんだろ?
「ナマエちゃん、もう帰るだけやんな?」
「そうだよ」
「ほな、えーとこ連れてったるわ。その格好なら大丈夫やろ」
いいところ? その格好?
ナマエの格好はというと、普通の私服だ。勉強をしに図書館に来ていたのだから、お洒落はしていない。セーターにスキニーパンツを履いて、足元にはスニーカー。もちろんコートは羽織っている。
侑はどこに連れて行ってくれると言うのだろうか。
ナマエが首を傾げる前に、腕は大きな手に捕まれ、ぐいぐいと引っ張られていった。
本当に、ここが侑の言う”いいところ”なのだろうか。
十分ほど歩き、連れて行かれた先は鬱蒼とした森の前であった。先程まで住宅ばかりが並ぶ道を歩いていたのだが、角を二つ、三つ曲がって進んでいけば、家々の間には緑が広がるようになり、更に一つ曲がれば道路に面した森が現れたのだ。道路に並ぶ街頭の数も減り、暗く先を見通せない森は少し恐ろしく感じてしまう。風が森の方から吹き抜け、ナマエは身をブルリと震わせた。
「俺がマフラーになったろか?」
明るい声が降ってきたので、隣を見上げると悪戯少年の笑顔。
「マフラー? どうやって?」
「立派な毛皮を持っとるからな」
あぁ、そういうことか、と自分の首の周りに、黄金の狐が巻かれている姿を想像する。きっと片方の肩には前足が揃って並んでおり、反対側の肩には後ろ足が揃っているのだろう。これだと侑は態勢がきついだろうか。片方の肩にお座りをする侑を乗せて、フサフサに膨らむ尻尾を首に巻かせてもらうのもいいかもしれない。
頭の中でとても可愛いマフラーが出来上がったが、ふと角名に言われたことを思い出した。
狐姿であろうと、人間姿であろうと彼らは彼らであって、彼らの言動は全て彼らの気持ちなのだ。
侑を見上げると、無邪気な笑顔のまま、どないしてん? とでも言うように首を傾げられた。マフラーになりたい侑の気持ち。想像しなければならないと思い想像してみた。
「マフラーなったろか?」
もう一度、明るくそう言った侑の気持ちはさっぱり分からなかった。きっと、寒がるナマエを心配してのことだろう。でも、狐ほどの重量を肩に乗せると、肩がこってしまいそう。大丈夫だよ、と笑うと、侑は、これもあかんのかー、としゅんとした様子で首を垂れた。
これもあかんのか? どういう意味?
ナマエが考えている間に、侑は顔を上げ、自分の首に巻いていた赤いマフラーを取り去った。
「でも、風邪を引かせたらあかんからな。これ貸したるわ」
まだ温かいマフラーがナマエの首に回る。
「え? 侑くんは? 大丈夫なの?」
「大丈夫や!」
元気にそう言った侑は急に顔を顰めてキョロキョロと辺りを見回す。
「どうしたの?」
「北さん、おらんよな?」
「北くん?」
何故、今北の名前が出たのだろうか。そう思った瞬間、目の前で白煙が上がった。白煙の中から現れたのは可愛いマフラー兼狐男子。
「狐になるの?」
「大した距離はないんやけど、人間姿で山を登るんはしんどいからな」
やっぱり、この山を行くのか、と思うと、侑は木々の間から始まる獣道へ駆けていくので、慌ててついて行った。
侑の言ったように大した距離ではなかった。闇の中で、星光を黄金に反射する尻尾を追いかけ傾斜を登ると、五分もせずに開けた場所に出たのだ。星空の下、草のシルエットが生える黒々とした地面の上でお座りをした侑は振り返りナマエを待っている。侑の隣に立った瞬間に、目の前に広がったものはキラキラと光る宝石箱。確かにここはいいところだ、とナマエは息を飲んだ。
足元に広がるざわめく闇を超えると、白い光を灯した家々が碁盤の目のように並んでおり、その先には格子状に白色光を並べたビル群が立ち並んでいた。きっと駅ビルであろう。赤い光が走る直線は駅前の大通りに違いない。遥か遠くにある地平線まで広がる光の世界。熱を持っているかのように闇夜に光を膨張させていた。
「ええとこやろ」
「うん……綺麗……ありがとう……」
息をすることも思考することも何もかも忘れてしまいそうだった。頭がスッキリすると、ここ最近、考えていたことで頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていたのだと気付かされる。だから、侑はここに連れてきて、頭の中を整理整頓させてくれたのだろう。やるべきこと。やりたいこと。乗り越えなければならない不安。将来への期待。これらの散らかっていた思考は引き出しの中に眠り、温かな気持ちだけが残った。思わず頬が緩んでしまい、再び、ありがとう、と言えば、ええよ、と返ってくる。
暫く、狐と並んで景色を眺めた。時折、草木を揺らす風がナマエの頬を突いてきたが、マフラーが体を守ってくれているからだろうか。寒さを感じることはなく、目の前の景色だけに五感の全てが囚われていた。
「ほな、帰ろか」
「そうだね」
煌びやかな光は未だ目に焼きついたまま。ふわふわとした気持ちで踵を返すと、侑は先にぴょん、と飛ぶようにナマエの前に出る。侑について足を踏み出そうとした時だった。つま先に小さな衝撃が走り、ぐらりと視界が傾いた。あ、と声を出した瞬間、視界を覆ったモクモクとした煙。頬には硬い感触。体は傾いたまま静止した。何が起こったのかよく分からぬが、ドクン、ドクン、という鼓動の音が頬を通して聞こえてくる。背中には長い腕が回る気配。もしかしてナマエは侑の胸に飛び込んでしまったのだろうか。どうしよう。早く、離れなければ。ナマエが侑の胸に手を置いた瞬間、がっしりとした手で両肩を掴まれ、勢いよく侑の体から引き離された。
「ナマエちゃんはおっちょこちょいやなぁ。でもそういうところも好きやで」
体が直立したので、見上げると、いつも見せてくれる明るい笑顔が見下ろしていた。
「ごめん……ありがとう……」
「ええよ」
サラリとそう言った侑は白煙をあげる。そして、白煙が薄れる前に煙から飛び出た狐は走って先に進んでいってしまった。
ナマエは少し拍子抜けしてしまった。いつも、抱っこして、抱っこしてあげようか、と言っていた侑だ。胸に飛び込んだ勢いで抱きしめられてしまうと思ったのだ。実際、背中には腕が伸ばされていたような気がする。あれは気のせいであったのだろうか。抱きしめられてしまう、と思ってしまった自分を意識すると、借りていたマフラーの中で籠っていた熱が顔へと燃え広がった。
狐姿であろうと、人間姿であろうと彼らは彼らであって、彼らの言動は全て彼らの気持ち。
その筈であるが、侑の気持ちがますます分からなくなってしまった。侑は狐姿の時は胸に飛び込んできたのに、人間姿の時は、ナマエが侑に飛び込むと、侑はナマエを引き離した。
どうして自分は引き離されてしまったのだろうか。心の中がモヤモヤとする。このモヤモヤはなんだろうか。
胸に当てていた手で拳を握ると、うわあぁぁぁぁ、という侑の絶叫が聞こえたので、何事かと顔をあげた。
前方では、侑が叫びながら、後ろ足で土を掘っていた。
何してるんだろう。
侑は、こんなん狐やなくて鶏やないかーい! と大声を上げながら、穴を掘り続けている。鶏? と首をひねると、いやいや、ちゃうやろ。それを言うなら鶏肉や、と一人で突っ込みの仕草をした。かと思えば、うっさいわ! 今それどころとちゃうねん! と言って、頭を抱えるように、ピンと立てていた耳を二つの前足で押さえた。
わけわからないことを言っている。
「何してるの?」
後ろから近づき尋ねれば、ピタリと動きを止めた侑は、おずおずと顔をあげた。
「穴をな、掘ってんねん」
「なんで?」
「俺にも分からん……」
ぴゅーっと風が吹き、木々がざわめく。
「帰ろか……」
「そうだね」
帰りも、垂れ下がる尻尾について歩いた。心なしか、尻尾は行きしなの時と比べて萎んでいるように見えた。
※鶏もchicken と表記できます※
※ここからキャラごとに分岐します※
北ルート 侑ルート 角名ルート 治ルート