「化け物め。さっさと出ていけ」

 小さい頃から「他の人と違う」と感じていた。違和感程度のそれは、微細な積み重ねを経て確信へと変化する。

 いつも一人の時だった。度々、誰もいないはずの納屋から笑い声が聞こえ、当時の私はそれを「友達」と思い込み、よく遊んでいた。面白いことがあった時には、普通の子供がするように、両親へ喜々ききとして語っていた。「見えないけど、友達がいるんだ」「彼は色んなことを知っているんだ」と。両親は無邪気にはしゃぐ私を見て、少し困ったような顔をしていたのを覚えている。

 その辺りからさらに奇妙な……いや、恐ろしいことに気づいてしまった。傷の治りがやけに早いのだ。ある日、父が鹿の解体を行っていたから「手伝わせてくれ」とせがんで包丁を持った。いざやってみると、滑った刃で手をわずかに、ほんのわずかに切ったのだ。解体作業中だったが大きな怪我でもなく、けれど父は「病気になるぞ、早く洗ってこい」と言って、私を井戸へ向かわせた。
 幼い私は、その言葉を真に受けて大慌てで血を洗い流した。自分の手が元の色へ戻ったが、あるはずの傷はどこにも見当たらない。「おかしいな、確かに痛みはあったのに」と、手を何遍なんべんもひっくり返してはみるものの、傷跡の一つも残ってはいなかった。すぐに父へ話したが「じゃあ気のせいだったんだろう。怪我してなくて良かったな」と笑っただけだった。

 また別の日。美味しい木の実が採れる頃合いに、大人ぶって森へ一人で行った。その時期は丁度、獣が冬越しの為に狂暴になる季節だ。袋一杯の収穫量に私は浮かれていて、周囲にいた獣に気づくことはなかった。
 帰り際に獣に襲われて、腕と足をボロボロにされた。白い骨が覗き見え、皮膚や肉が布切れのように垂れ下がっていた。にもかかわらず、闇雲に振るった拳は獣の鼻先を捉えたようで、何匹か数を減らしていた。
 囲まれている事実に変わりはない。「死ぬかもしれない」という恐怖のあまり、痛む体のことなど頭から消え失せていた。がむしゃらに放り投げた木の実の入った袋は、重い音を立てて勢いよく中身を散らばす。獣はそれに気を取られたのだろう、運よく追っては来なかった。でも振り返って奴らの確認をする余裕はなかったし、そんなことをしている暇があるのなら、必死の思いで走り続けた方が賢明だ。
 私は、何とか獣の群れから逃げ切ったのだ。

 丁度家族が留守の時に家に着き、転がるように屋内に入った。落ち着こうと水を汲んで、体の痛みが弱くなっていることに気づく。骨が見えていた腕も足も「治っていた」のだ。
 これには流石に戦慄せんりつした。子供心に「これは気づかれてはいけない事だ」と感じた。そして必死に隠した。

 だが、気づかれてしまった。

 意図としない事故だった。村の狩人が大物を取って来たと、村人総出の出迎えの最中に事は起きた。私も野次馬根性で一番近くに行っていた。原因は分からないが、狩人が担いでいた銃が暴発。体中を襲った衝撃に私は、自分でも「死んだ」と思っていた。
 意識が暗くなりかけた時、強烈な痛みが体を走った。まるで火の中に突っ込まれたかのような激痛に、私はうめいた「助けてくれ」とも言ったはずだ。しかし誰も手を向けてくれることはなかった。白黒のざあざあとした世界が段々と晴れていく。目が見えるようになった時視界に入ったのは、恐ろしい形相ぎょうそうで私から離れるばかりの人々だった。

 それ以降、私と口を利いてくれる人や、私に近づく人はいなくなり、次第に両親さえも目を合わせなくなった。変わらないのは、いつの間にか納屋から出て遊ぶようになっていた「友達」だけ。信用を取り戻そうといくら働いても、私はないがしろに扱われた。そして日を追うごとに悪化していく迫害、暴力。
 ここに私を認める者はいない。村を出ていく他なかったのだ。

 必要最低限の荷物をまとめる。最近は納屋暮らしで、荷物と言えるほどの荷物もない。人間らしさを奪われた生活は、ただ苦しいばかりだった。そして唯一の「友達」は相変わらず、私の周りで遊び呆けている。名前すら知らない、見えないこいつは、果たしてついて来るのだろうか?
 早朝、両親や村人達に別れも告げず歩き始める。貧相な装いではあるが、贅沢は言っていられない。ここを一刻も早く離れたかった。金は寄る町々で、適当に肉体労働をこなしていこう。
 いつになるか分からないが、安住できる所を見つけられたらいいと思う。長い旅になるだろう。


――――


「イル・メ・トーラだろ、あんた」

 商業で栄えている街に寄った際、声をかけられた。雑踏と商いで飛び交う騒音の真っ只中ではあったが、聞いたことのない単語に私は思わず足を止めた。

「イル・メ・トーラだよ。俺も同じなんだ。……なんだ知らないのか?」

 あざけりと見下しを含んだ視線に、一瞬腹が立った。力技で負ける気は無かったが、商人相手に喧嘩を売る訳にもいかず、すぐに冷静さを取り戻す。「知らない、何だそれは」と素直に問へ答えると、男は待ってましたと言わんばかりに自慢げに話し出した。

「普通の奴らと違うのさ、雰囲気とか、空気とか。……分かるだろ? やけに体力があったり、怪我の治りが早かったり、力が馬鹿みたいにあったり。……あとは、そうだなぁ。化けられるんだよ、化け物にさ」

 含みをたっぷり持たせて伝えてくる。何度か瞬いてしまった。彼の言うことに心当たりはいくつもあるが、「単なる思い込み」と評されてもいいぐらいの事だ。体力がある奴も力のある奴も、探せば大勢見つかるはずだ。口で言う事はどうとでもできる。
 それはまだいい。問題は最後の「化け物に化ける」というくだりだ。いくら田舎者でも冗談くらいは理解できるつもりでいる。が、これは面白くない。まだ童話の方が愉快だろう。コイツは私の路銀ろぎん目当てか、ときびすを返し、背を向けかけた。

「待ってくれ、冗談なんかじゃない! 本当のことだよ。この目で見たことがあるんだ。……俺は『化ける』事は出来ないが、ナギャダって街には『化けられる』奴が沢山いるって話だぞ」

 「ここから北にあるんだ」と慌てて地図まで持ち出して、ナギャダという街の位置を指し示してきた。見せられた地図は印刷で、素人が作れる精度の物ではなかった。
 そして尋ねてくる「行ってみるかい?」と。金目当てなのは分かっていたが、それでもにやつく店主から地図をひったくり、まじまじと見ていた。距離としては、ここからさほど遠くないし、街の規模からそれなりに栄えているのが想像できる。

 自分でも分からない身体の異常に、理解者が現れるはずもなかった。柔らかく優しい日々が一変し、辛く苦しい思い出と終わった幼少期。それは今なお私を束縛し続けている。一生、変わることはないだろう。それでもいい。今からでも、この街なら――。

「毎度あり! お客さん、よい旅路を」

 ナギャダの位置について詳細に書き込まれた地図を買った。店主は「おまけだ」と言って、店の奥から「鉄面の付いた帽子」を寄越してきた。何でもここら一帯では魔除けの意味があるらしい。
 礼を言って店から離れる。この際だ、嘘だったとしても構わない。村からは遥か遠い土地だ。変に怯える生活はしなくていいし、似たような奴らがいるならそれ以上の事はない。私は歩みを速め、未だについて来る「友達」もはしゃいでいた。



「さて、それなり良さげな人材だったな。上手く教会が見つけてくれればいいが」

 男はそうつぶやき、店の奥に引っ込んだ。壁に飾られている土産物に交じって、奇妙な程に真っ赤で、爬虫類の瞳のような宝石が輝いている。






【 面付き帽 】

 格子状の視孔が設けられた鉄面、それと後頭部から首まで覆う襟巻と帽子。互いはボタンにより止められている。

 この地方で面は、人の魂を悪霊から隠し守るものとされている。今となっては祭り事でしか目にすることはない。

 ナギャダではあながち間違いではないだろう。目に見る事でさえ、全て良い事とは限らないのだから。

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(投稿:2018.04.26)
(加筆修正:2020.02.10)

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