3-2

 日が完全に消え、2つの月が街を照らしている。街灯もともってはいるが、少し路地へ足を踏み入れれば、その明かりも役に立っていないように思える。
 夜になって気づいたことは、この街の「変わったところ」、異様と言っていいだろう。「人でない者達」がいるのだ。それも平然と、当たり前とでも言うように道を行き交っている。私は動揺し、思わず立ち止まった。甲冑のような恰好、虫のような恰好、木のような恰好等々。彼らの姿は、お御伽とぎ話に出てくる住人を連想させた。 
 それで思い出したのは、ナギャダに来る前に出会った店主の言葉「イル・メ・トーラ」「ナギャダには『化けられる』奴が沢山いる」だった。今、目の当たりにしているこれが「イル・メ・トーラ」の真髄なのだろう。

 昼に見た「連れ込み宿」がある一帯で、彼らは――特に女と思われる者が、道行くイル・メ・トーラに声をかけているようだ。確かに互いがあの「人ではない容姿」であれば、顔も知られず情事に勤しめるだろう。姿ばかり目が行くが、行うことは何ら人間と変わりはない。今気づいたが「連れ込み宿」以外に「娼婦の館」と看板が掲げられている建物があった。ひと際存在を主張するそれに、人間臭さを感じる。私はそれで妙な安心感を得たせいか、大きく息をついた。

「異形の女ってのはいいぞ」

 いつの間にか横に並んでいた普通の恰好・・・・・の男が話しかけてきた。ぎょっとしていると、彼は横目でこちらを見た後、脇を歩いて行った異形の女に手を振りつつ続ける。

「ほら、あの彼女とか! いい体してるだろ?」
「……おいおい、そう冷たい反応するなよ。見ない恰好だから、大先輩の俺が、この一帯のご指導してやろうと思ったんだけど」

 ただの助平だったようだ。生憎あいにく今は必要ないので、丁重に断っておく。ついでに距離も開けておく。

「あちょっと、手厳しい! 残念ですねぇ。今ならかしらがいないから、ゆっくり事細かく案内できたのにさ」

 この場において街娼がいしょうを買わずにほっつき歩くとは、どういう趣味をしているんだ彼は。絡まれたこの際なので、門番の事を聞いてみるが、返ってきたのは「分からない」だった。

あの・・地下街の門番だろ? ちょっと前まで元気にしてたのは覚えてるぜ。奇妙なぐらい元気だったってのが引っかかるが」
「で、そいつの事がどうしたんだ? あんたもしかして――」

 両手の小指を立てられて(私の知っている限り、それは恋人や男女の関係があるという意味だ)呆れる他ない。否定するのも面倒になり、好きに解釈しろと言っておく。彼はつまらなそうに肩をすぼめた。
 恐らくここに門番はいない。直感を信じよう。奇妙な会話を終わらせ白けた空気を残したまま、私は熱のある通りを立ち去った。



「これだけ探して門番はまだ見つからない、か。……こりゃあ、教会が一枚噛んでますかね」

 残っていた男は、喧騒けんそうの中で視線を変えずに語る。後ろにある路地の外壁に、もう一人。背を預けている男がいた。

「宣教はミルユリルだ。奴ら以外に何がある」

「さっきのはどうですかね? 俺は脈無しじゃねえかと」

「今は、だな。ナギャダに来た以上、微小でも関りができる。向こうなら潰す」

「異形には容赦しないと。いや本当、かしらは手厳しいですね」

 路地にいた男は鼻を鳴らすと、暗がりに向かい歩き出した。残っていた方もそれに追従していく。

 「異形狩りの一派」はイル・メ・トーラの「異形」を狩る。運良く、あの新参者はやがて訪れる死の命運を避けられた。今は駄目だとも。今は、だが。これからもっと楽しい事を起こしてくれるだろう。私はこのか弱い下等種がどう足掻あがくのか、楽しみでしょうがなかった。


――――


 宿場街の中央通りを横断し、再び路地に入った。こちらの方面は日中とは打って変わって薄暗く、人気ひとけがない。確かに夜ではあるが大きな街だ。だというのに、これ程にも雰囲気が変わるものなのか。
 しばらくしてふと、背後から声が聞こえたような気がして振り返る。わずかな街灯に照らされて、イル・メ・トーラの「異形」がいる。数人……いや、3人だ。

「おや、気づいた。こいつは期待できるかな」

「夜更けに観光とは、えらい変わり者だよ旅人さん。……最期の日は楽しめたかい?」

 一番前にいた鳥のような異形が、一歩踏み出した。手と思われる部位には、嫌にぎらつく羽の形の「刃」が連なっている。直感で「不味まずい」と感じた。良くない状況だ、奴らはきっと私を殺す気だ。
 思わず足が後ろに下がる。走って振り切れるか? 無理だ。相手は獣と違うんだぞ! 冷や汗が噴き出る。冷静さを保とうするが、呼吸が早くなった。生存本能はこの場から生き残ろうと、体中で騒ぎ回っている。

「殺しじゃない。これは『力』をつけるために必要な通過儀礼さ」

 虫型のイル・メ・トーラが語りかける。「力をつける」だと? そうこうしている内に、相手はじわじわと距離を縮めてきた。「この獲物は絶対に逃がさない」という、明確な意志を感じる。
 駄目元で鞄から小石をぶん投げた。奴らは簡単に避けるはずだ。でも気は取られる。だから逃げよう。とにかく足に力を入れて走り出した。

「待て待て。こいつ紋章を知らないぞ。どうする?」

「……知らないからと言って、」

 鋭い風を切る音が2回程聞こえたと思ったら、真正面から衝撃を受けた。嘘だろ。何故鳥の異形が目の前にいるんだ! のけぞった体を地面に叩きつけられる。

「使えない訳じゃない。だろ? 現に俺達に気づいたんだ。素質はあるぜ」

 痛みにもだえる私を、鳥の異形は悠々と眺めていた。殺されるかもしれないという時に、私の中ではむくむくと別の感情が頭を持ち上げていた。それが何か、形容はできないが、一つ言えたのは「飢え」によるものだとは分かった。
 そうだ、私はイル・メ・トーラだ。「力をつけろ」「力をつけろ」――。


「我が愛おしき眷属よ、お前に予の紋章を与える。その身で享受きょうじゅするが良い」

 あの「黒い霧」はそう言って、私の左肩辺りに触れてきた。その間、さらに悪化する頭痛と息苦しさに、床へ両膝をついてしまった。胸が早鐘を打つ、酷く痛い。耐えきれずうめき声をあげる。一体何だ、何が起きている?

「紋章とは、我ら叡者えいじゃの欠片。人の身に余る力ぞ。甘んじて受け入れよ。それがお前の力となろう」

 そこで私の意識はぶっつりと切れた。再び目覚めたころは空が白み始めており、私は朦朧もうろうとした意識の中で2、3言葉を交わした。うわ言のように「力をつけろ」「女王の為に、力をつけろ」と――。



 足元で血溜りが小さな波を立てている。私の右手には黒い羽根の腕と、左手には今し方、本来あるべき所から引き抜かれた臓腑ぞうふが、湯気を上げている。それらの持ち主は、びくびくと体を震わせていたが、すぐに動かなくなった。そして赤黒い霧が死体から現れ、私の体に染みついていった。
 残った2人が悲鳴に似た声を上げていた。私は、初めて遭遇したこの現象を、よく理解していた。イル・メ・トーラとして紋章の力を今発現したのだ。両腕だけだが、到底人のものではない。光沢のある上質な漆黒に、細い筋となって走る真紅。鋭くとがった爪先も、まるで宝石の様な赤色を宿している。殺した相手が赤黒い霧に変化し、「力」となるのも分かった。

 その現象自体に恐怖は感じなかったし、不思議と体は軽かった。「逃げる」という選択肢もあるにも関わらず、前へ向かって踏み込んだ。驚いたことに、たったこれだけで影をすべるように動けたのだ。
 虫の異形の左手を引っつかみ、本能的に喉元へ食らいつこうと顔が向かう。瞬間自分の頭が霧となって形を変えたのが分かった。いつもの鉄面越しの景色が開ける。相手の喉に食らいつく。言葉にならず息が抜けた音が確かに聞こえたが、構わず食いちぎった。首と胴が分かれ、今まで見たことのない量の鮮血が吹き出す。
 視界が元に戻り、呑み込んだはずの血肉の味にぞくぞくと体が震える。これは「飢え」を満たされた歓喜か?
 もっと欲しい、もっと欲しい!

「よくも、やってくれたな……」

 最後の1人はクラゲの様ななりをしていた。何故か宿のフィリマーリスを思い出し、一瞬硬直してしまう。相手はすかさず接近し、腕から触手を弾丸のように伸ばしてきた。私はかわしきれず、胴を強く打たれる。体から嫌な音が響いた。反動で後方に勢いよく飛ばされたが束の間で、クラゲの異形はすぐに距離を詰めてきた。戦い慣れているらしい。体勢を立て直す機会を与えてくれない! あっと言う間に、腕や足にまで強烈な一撃をもらう。その度にバキとかぶちとか音が鳴った。痛みのあまりうめき声を漏らす。持ち前の治癒力で大概の傷や打撲は治るが、感じる痛みは常人と変わらないはずだ。これ以上攻撃を受け続けたくはない。なぶり殺しは勘弁だ。

 クラゲの異形が大きく腕を引いた。触手が音を鳴らしながら、これでもかと言わんばかりに縮んでいく。決めてしまうつもりだ。あれだけ引き絞った攻撃を食らったら、おそらく大穴が空くか、胴体が潰れたカエルのようになるだろう。
 体の再生は追いついていなかったが、十分に戦える状態ではある。私は反射的に体を前のめりに構え、両手も使い大きく踏み出した。
 途端、周りの風景が加速する。

 これで最後にする。目の前にいる見知らぬ異形は、紋章の力を発現したのが今初めてらしく、戦い慣れていなかった。それでも仲間二人を殺しやがった! 彼らは確かに、自惚うぬぼれてはいたが、弱くはなかった。弱くなどなかったというのに――

「お前のせいで……」

 最大限引き絞った触手を、奴目がけて放つ。相当痛めつけてやった、避けれるはずがない。石造りの道が砕け、周囲に破片が飛び散った。黒い霧越しに、自分の腕から出た触手が6本見える。――外した。

 クラゲの姿に似た異形は、よく見ていた。一切の油断なく、目をそらさずに戦っていた。相手の体が霧散して消えたのが分かった。そしてよく理解していた。眼前に迫った霧が一瞬だけ形を成した。これは奴の爪だと。

 そこまでは彼の体はしっかり動いていた。勢い良く跳ね飛ばされた首は、2人分ぐらいの高さまで上がり落ちる。首があった所から、血は流れる道を無くして噴出した。ゆったり倒れていく体の背後に、血に濡れた、ただ一人が立っていた。

 幼い子供が「よくやった」と笑っている。



 服や腕は血でべっとりとして不快だったが、宿に戻る気も門番探しをやめる気も起きなかった。理由はどうあれ、3人を殺したにもかかわらず、罪悪感は露程も感じない。むしろ興奮冷めやらぬという状態で、体中がたぎっていた。
 流石に血まみれのまま歩き回るのは不味いと考えるが、服を変えるか、洗う手間を考えるとこのままの方がいいかもしれない。夜中の上、人もほとんどいない。暗い色の服でもあるし、見られても分からないだろう。とりあえず腕を人のものへ戻す。べたつく感覚がなくなり、きつい血の臭いだけが残った。不思議に思って袖口の辺りから手首を触る。その指に血はついて来なかった。

 門番を探して路地裏を当てなくさ迷い続けていると、少し開けた場所へ出た。日暮れ前にも通ったはずだが、その時と何か様子が違う。立ち止まって周囲を見渡す。
 ここは中央に円形の穴がぽっかりと口を広げた広場である。中央以外にも小さめの穴が3ヶ所ほどあった。見た限り、妙な所はない。足を進めてみる。やはり気のせいだろうか。
 不意に中央の穴から光が漏れた。徐々に下から登ってきているように見える。誰かいる? しかし、あんな所に梯子はしごがあっただろうか? 
 私は一応身構え、腕を「異形」へと変化させる。その間にも光はどんどん明るさを増していくが、ランタンや街灯の比ではない。粘着質な音が聞こえ始めた辺りに「事態の異常さ」を感じたが、奴はすぐに姿を現した。

 七色に光る半透明の体、背中と思われる方には無数の触手らしきものがうごめいている。正面中央にかろうじて人の形が分かる物体があったが、それも醜悪しゅうあくだと言っていい。奴は私を認識したらしく、聞いたこともない声を――だが人の声に似通った声を上げた。内臓がぞわぞわと悪寒を伴う。
 奴はうように向かってきて、手を勢いよく振り下ろした。反射的に飛び退く。図体は大きいが、行動は鈍かった。これなら避けるに苦労はしない。いきなり襲われたことで、理性が恐怖に勝った。

 もしかしたら倒せるのではないか。

 私は何故か「倒す」ことに執着を覚える。しかしその奇妙な感覚を気にする事はなく、責務か義務として果たさなくてはと行動した。
 化け物の攻撃をやすくかわせると判断すると、無性に攻めへと転じてしまう。確実に自分の赤い爪で奴の肉を切り裂いていった。

 クラゲの異形の方がよほど強かったなと、余裕を感じていた。鈍間のろまな相手の肉を切り裂けば切り裂くほど、爪の鋭さが増している気がする。一方的に痛めつける、それが楽しくて仕方ない。
 丁度うずくまった奴の頭目がけ、爪を突き立てようとした時、水泡が割れるような音が連続して聞こえた。化け物の腹側からぶくぶくと何か膨れ上がってきている! 身をひるがえそうとしたが、同時に吹き飛ばされた。石畳の上を転がる。顔を上げて視界に入ってきたのは、腹だった所に『別の空間』をたたえた化け物である。しかも背中の触手はさらに巨大になっており、私を優越感から引きずり下ろすに十分事足りた。

 逃げよう、今の私には無理だ。体を起こしたが、奴の触手が私の内臓を叩き潰した。口から大量の血と肉片が噴き出す。再び倒れ込んだが、体はまだ動いた。痛みすら理解できずにいれば、いつの間にか触手に捕まっており、地面へ打ち付けられる。最期に見えたのは大きく砕けた石畳と、臓腑ぞうふの一部。そして大量の血液を飛び散らかしている、胴のない自分の体だった。






【 紋章 】
 叡者や古い人間の、力の代替。
イル・メ・トーラであればそれを体に刻むことで、彼らの力を借りることができる。

 叡者は人を変質させ、古い人間は人を支配する。これらを避けるため、人工的に紋章は作られた。

 本質というのは、いくら上塗りしたところで変わることはない。お前にも見えるだろう。つくろわれた隙間から覗く本質が。

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(投稿:2018.04.26)
(加筆修正:2020.02.10)

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