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 暗い微睡まどろみの中で、子供の笑い声が聞こえた。聞こえる方へ向かえば「友達」が「一緒に遊ぼう、付いておいで」と私をはやし立てる。私は追いかける。無我夢中になって「友達」を追いかける。置いて行かれるのは怖い事だ。狭い道を無理やり通り、いくつもある扉を抜ける。ようやく追いついたと思うと、そこには巨大な七色に光る化け物がいて、私を引っつかんだ。恐ろしくて悲鳴を上げる。上と下へ引っ張られ、ぶちぶちと音を立てて自分の腹が裂けていくのが見えた。

 飛び起きて自分の体を触る。心臓が大きく脈打つ。胸に手を当てて、息をする。生きている、生きている! 大きく息をついてから冷静に周囲へ目をやると、宿の自室だった。部屋は暗く、ランタンの明かりが優しく光っている。カーテンも閉められているから、夜中なのは間違いない。
 さっきのは「夢」だったのか? 妙に臨場感のある恐ろしい夢だ。汗ですっかり着心地の悪くなった服を脱ぐ。が、腹の辺りに大きなあざがあった。一周ぐるりと胴を巡っている、赤い治りかけの皮膚も――。ゆっくり腹へ手をやり、そのまま硬直していた。

「あっ、ごめんなさい! ノックもせずに入って……。って、起きても大丈夫なんですか」

 フィリマーリスが部屋へ入ってきた。私は声をかけられるまで体を動かせずにいた。彼女は「もう少し休んでいた方がいいですよ」と、別の服を私に預け、体を横にさせる。

「夜になっても戻って来られないから心配していたんですよ。そうしたらお客さんの部屋から凄い音がして、慌てて来たら血塗ちまみれで倒れていたんです」
「1日寝ていたんですからね! もう本当、医院長呼んでこようかと慌てたんですから」

 心臓止まるかと思ったと、その時の状況を話すフィリマーリス。それでようやく自分が何をしていたかを思い出し始める。頭はえていた。
 てっきり「死んだ」と思っていたが、凄まじい治癒力で治ったのだろうか。無意識下で途中から死に物狂いで逃げていて、宿にたどり着き、胴の千切れる悪夢を見たのか。まあ、生きているだけで有り難い。しかし二度と経験はしたくない感覚だ。
 帰ってきて意識がなかったのだとすれば、きっと血に濡れた服も換えてくれたのだろう。直に感謝を告げた。

「だって貴重なお客さんが逃げたら大変」
「……じゃなくて、大した事ではないですから、お気になさないでください。それより服の大きさは大丈夫でしたか?」

 彼女の本音が垣間かいま見えたが、聞こえなかった事にしよう。微妙な空気が漂っている。

「で、その……お客さんも『化けられる』イル・メ・トーラだったんですね。見たことのない異形でしたけど、いつ紋章を?」

 新たな話を振られて私は昨日、いや一昨日おとといあった「黒い霧」のことを話そうと口を開いたが、突然首が締まった。青白い触手が視界の端に映る。同時にフィリマーリスもあっと声を出した。

「よせよせ。それの事は話すな。話したとしても、この娘には良い事などないのだ」

「ちょっと何してるのよホワラ!」

「『手』が滑ったのだ、『手』がな」

「言い訳はいいから早く離しなさいよ」

 やっぱりいるじゃないか! 気のせいや見間違いではなかったんだ。あのクラゲが再度姿を見せた事に驚いたというより、感激したの方が近いかもしれない。私の頭はイカれてはいなかったのだ。
 やいやい言い合う2人は仲が良いらしい。私は軽く咳き込みながら、彼女に「このクラゲが見えるんだな」と問う。フィリマーリスはしまったという風な顔をして、「隠していたわけじゃないの」と答えた。かすかに「『クラゲ』ではないわ、たわけ」と聞こえる。

「クラゲ……ふふっ。『叡者えいじゃ』なんて、知っていて良いことはあまりないわ。あってもせいぜい紋章と、気まぐれな小さな加護ぐらい。お客さんは旅をしているようだったから、変に心変わりしたら大変だろうと思って」
「見えない人もいるし、簡単に信じれる話でもないですからね」

 彼女はホワラの邪魔をする触手を叩はたき落としながら続けた。なるほど、私を気づかっての対応だったらしい。クラゲ、もといホワラは「叡者」(詳細を聞いたが他に「たがう者」や「大叡者」とかもあるようだ)と呼ばれている。あの「黒い霧」もそうなのだろう。
 違う者それらを知ってしまった訳だが、差し当たり問題は考えられない。最初は当たり前に自分の頭を疑ってしまったが、実在するなら事実として受け入れるだけだ。
 「紋章」を知ったのは本当に幸運だった。お陰で命拾いしたのだ。今思い返せば、紋章を知らなければあの3人組に殺されていたはずだ。……「殺しではない」などと奴らは言ってはいたが。

「……ん? 待て待てフィリマーリス。お主、『小さな』加護だと! 失礼な表現だと思わないのか?」

 ホワラが何故か怒りだした。若干赤みを帯びているからそう見えるだけか? フィリマーリスは顔をしかめていた。

「我ら『叡者』の力を間借りした挙句に、足りない頭では畏敬いけいの念も忘れたか!」

「ハイハイ。……えーと、『冥護めいご』については大変感謝しております。日頃お目にかけて頂きありがとうございます」

 手本のような棒読みを披露されたクラゲは「あああお前という奴は!」とさらに体を震わせていた。「心がこもっていない!」とか言い始めたが、そのとばっちりを食らったのは私だった。

「お前、イル・メ・トーラの眷属。お前なら我らの『冥護』の有難みが分かるであろう? さあ、遠慮するな、申してみよ」

 は? と口をついて声が出たが、どういうことだ。「冥護」が指す意味も知らないが、ホワラの口ぶりだと私はすでに何か体感しているのだろうか。
 ホワラはふざけた動きをピタリと止めて、「なんと」と小さく呟いた。

「哀れな。あやつめ、まだ力がないと見てものを教えなかったか」
「では私が直々に教えてやろう。『冥護』とは、イル・メ・トーラの人間のみに与えられる。特に、我ら『叡者』の『偉大な加護』。偉大なのだぞ! 肝に銘じよ」

 ……具体的言うには「冥護」は「違う者」や「古い人間(昔の偉人とかだろう)」が持っている様々な力の特性。私達イル・メ・トーラの人間にはその微量を与えられているそうだ。冥護が発動する条件は多少あるが、あって困るものではない。
 という内容だったが、確かに私は「黒い霧」の異形として戦った時、言いようのない庇護ひごを感じる時があった。強いて挙げるなら3人組の異形の時。特に最後に戦ったホワラの異形相手では、自分の体が一瞬だが霧散していた。あれがなければ頭を潰されていたかもしれない。
 フィリマーリスがその話を聞いて、食い気味に待ったをかけた。

「3人組に襲われたって、宿場街であったんですか? 信じられないわ、そんな物騒なことがあるなんて」
「あまり深く考えない方が良いですよ。抵抗しなかったら、絶対殺されていたわ」

 いきどおりをあらわにしながら言う。彼らの身勝手な理由の行いからだろう。彼女は正義感が強いのかもしれない。
 私は「衝動的に相手を殺した」話は伏せた。一応自己防衛でも違わない。が、それでは後ろめたさが大きかった。良くしてもらっている彼女の手前でもあるし「嫌われたくない」という、それこそ身勝手な理由からか? 自分でも分からない。

「私、ちょっと前まで保安結社で見回りをやっていたので、宿場街の事ならよく分かっているつもりです。……本当に、とんでもない事を!」
「ああ、保安結社って言うのは自警団みたいな感じのところです。ほとんどは宿場街のイル・メ・トーラが活動しているんですよ」
「あれだけ見回りしていたのに、減らないでむしろ増えるなんておかしい!」

 ややふくれっ面となった彼女は可愛らしい。今言ったら間違いなく怒るだろう。
 聞いてみれば彼女もホワラの紋章を知っていて化けることが出来るという。「保安結社」の元一員で、ナギャダの生まれのようだし、当然私よりもイル・メ・トーラの事や、「化け物」の事も知っているかもしれない。思い切って「門番探し」の出来事、主に「半透明の化け物」について話すと、彼女は目を見開いた。

「そんな、おかしいわ。それだけ目立つなら保安結社の人達は絶対気づいているはずよ。いくらなんでも放っておくなんて事ないでしょうし」
「……もしかして人手が足りなくなった? ……この話は後でいいわね。お客さん、その『化け物』ってもしかして」

 「叡者でしたか?」という問いに、私はうなった。生憎、知識と判断材料が乏しい。人間っぽい見た目――とも言い難いが、そういう違う者もいるのだろうか。
 そこへホワラが割って入ってきた。

「叡者のようだが違うだろう。人間のイル・メ・トーラが感応かんのうし過ぎたのだろうな。でなければその様ななりにはならん」

「人間のイル・メ・トーラは叡者の影響を受けやすい」とホワラは言った。つまり私達にもあれになる可能性があるということか。少し鳥肌が立った。

 そして奴が「元々人間」だという事実に、私は負い目を感じる。見た目が人間とかけ離れていたから躊躇ちゅうちょも同情もなかったが、あれは結局人間だった。「人間と違えば殺しても良い」とあの時、自身が考えた事実に恐怖した。まるで故郷の連中と同じではないか!
 思わず手に力が入る。悔しいのか、怒っているのか、自分の中で様々な感情が渦を巻いた。
 フィリマーリスに「どうかされました?」と言われ、頭を横に振り思考を戻す。後悔しても仕方ない。今はやるべきことをしよう。
 私の落ち着きが戻ったところで、彼女はおもむろに考えるような素振りをする。

「その化け物が出てきたのは地下街の日入れ穴ですよね。地下街が心配だわ。保安結社はあっちへあんまり行かないし、警官は数が少ないし」

 ナギャダの警官は担当区分が広いようだ。ただイル・メ・トーラがいる中で(しかも「保安結社」とは、恐れ入る)、役に立つとは思えない。しかしあの化け物……イル・メ・トーラの人間が「地下街から来た」となれば、私が仕留め損ねた結果、住人がいる中で暴れまわっている可能性もある。かなりの犠牲が出ているかもしれない。
 私は正義感を理由にして、彼女に「化け物殺しに手を貸してくれ」と頼む。

「ええそうね、もちろんよ。私、こう見えても化け物退治は得意なんですよ。それに地下街の商人さんも、助けてあげたいですし」

 全く意外な答えだった。化け物が「元人間」という事は気にしていないのだろうか。そう考えていると、フィリマーリスは真正面から私を見据えて口を開いた。

「元人間でも、今はもう違います。身も心も化け物になった人へ、貴方の同情や情けが伝わると思いますか?」
「……ごめんなさい。私の父さんもそうやって、随分苦しんでいたから。この街に住むなら、そういう覚悟は必要なんです。分かってください」

 彼女も罪悪感がない訳ではなかった。放っておけば、必ず死者が出る。止めなくてはならない。そういう覚悟ができた人だったのだ。私はまだ「幼子」だ。

 しかしフィリマーリスが元保安結社の一員でも、宿を営んでいる身。断られる覚悟で言ってみたが、彼女自身乗り気だ。しかも「化け物」と戦ったことがあるらしい。「任せてください」と自信あり気に語る彼女を見ていれば、一度手酷くやられた私も、気力が戻るというものだ。あの商人にも、門番を見つけて知らせてやりたい。
 腹回りはまだ少し痛むが、歩いているうちに治るだろう。寝台から降りる私を、フィリマーリスは止めたが「大丈夫だ」と言って立ち上がる。彼女も仕方ないといった態度で後を続いてきた。

「留守番お願いね、ホワラ様」

「どうせ来るのはあのクォコズぐらいだろう」

 ホワラは気だるそうに空中を逆さまになって漂う。

「ともあれ気をつけたまえよ。お前たちが死ねば、遊び相手がいなくなる」

 そう言ったホワラは、次第に姿が見えなくなった。いや、向こうからは見えているかもしれない。「行きましょう」とフィリマーリスは先に部屋を出ていった。私も扉に手を置いて閉めようとする。

「愛おしき眷属よ、必ず戻り賜えよ」

 優しい声がした。






【 叡者 ホワラ 】
 違う者・叡者、下位眷属。ほぼ海月の姿をした、下位では最も古い眷属。

 空をゆったりと漂う姿は、まるで水中かと錯覚する。その様から一部の人間からは「姫様」と呼ばれている。

 人間との積極的交流は、図らずとも彼らに娯楽を覚えさせた。人間が犬や鷹を使い、狩猟を行うような、そういう娯楽である。

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(投稿:2018.04.26)
(加筆修正:2020.02.10)

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