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「あら、本当ですか。ナギャダは……ちょっと変わっているけど、良い街ですから。沢山観光して行ってくださいね」

 朝起きて早々にフィリマーリスへ声をかけた。宿の主である彼女は、難癖付けるような態度や素振りは一切なく、悪意がある訳ではないことも分かった。しばらく世話になりたいと伝えれば喜ばれ、街の観光を勧められた。彼女に数日分の金を渡し、宿を出る。その時カウンターを見やったが、昨日いたはずのクラゲの姿はなかった。

 部屋で「黒い霧」に語り掛けられた。あれは私の「力が足りない」と言っていた。同時に「力をつけろ」とも話した。意味が分からず詳しく聞こうとしたが、すぐに霧散したのだ。気づけば頭痛は消え失せて、視界の歪みもなくなっていた。超常現象なのか、いわゆる霊的な何か、か。巨大クラゲも同類だろう。誰かに話すにはあまりにも根拠がない。
 長旅の疲れが取れていないのだろう。きっとそうだ。昨晩の現象も、一時的な幻覚だと思っている。
 肝心の「イル・メ・トーラ」についてもこれから調べるつもりだ。今日はせっかく訪れた大きな街なのだ、観光に専念しよう。

 宿場街は思いの他広く、入り組んでいた。そして街の所々で、川もないのにアーチ状の石橋が掛けられていた。下へ降りる階段や梯子はしごなどもない。何があるのかと覗いてはみたが、ひたすらに暗い影が落ち込んでいるだけだった。

「その下に興味があるのか?」

 声をかけられて振り返る。腕章を付けた男が、物珍しそうにこちらを見ていた。

「暗くて見えないだろうが、ここの下には『街』がある。まあ、普通の観光客は行けないがね」

 改めて覗き込んだが、そんな風には見えない。街の下に街があるなんて、どんな構造をしているんだ。わざわざ嘘を吐くにも、至極当然と話しているので、適当に相槌あいづちを返しておく。

「それと、しばらく泊っていくなら、夜には出歩かないように。最近殺人と失踪者が多くてね。観光客も例外じゃない」
「イルトーラならなおさらだ。気を付けろよ」

 彼はそう言うと、同じ腕章を付けた数人の元へ向かった。彼らは自警団か何かだろうか。親切にも物騒な忠告をされたので、心に留めておく。役に立つことはないだろう。

 観光客以外にも外部から来た人間がごった返している。身なりから巡礼者だろうか。結構な人数で、周りには一瞥いちべつも寄こさず歩いている。そういう風変わりな団体がいくつかあった。流れ行く先を目線で追っていると、一帯に響くような声量で、御託ごたくを述べている人物が目に止まる。

「天上こそ、我らの偉大なる母であり父なのです。天上の瞳にまみえれば、より良い人生へと昇華できるのです」

 誰しも素通りしていく中で、熱心に粘り強く語りかけている。それに感応かんのうしたのか、一人だけ歩みを止めているようだ。足が悪いのか、松葉杖を携えている若い男は、おもむろに口を開いた。

「その天上様は、例えばこんな俺を助けてくれるのか?」

「天上はいつも我々を見守っています。我々は天上にまみえるよう、日々努力を重ねなくてはなりません。」

 青年は期待していた答えを得られなかったのか、がっくりと頭を下ろして去っていった。

「いけませんよ、天上はあなたを見ています! 諦めてはいけません」

 人間とは現金な生き物で、窮地におちいると大半はその信仰を捨てる。理由は単純で、助けは来ないから。あの青年は実感のある救いを求めているが、「敬虔けいけんな宗教」なんぞに大それたことはできない。結局金だ。
 少しずつ遠ざかっていく姿を眺めていると、宣教師はまだ諦めていないのか、叫ぶように言葉を連ねていた。


 商店も多かった。ひっきりなしに声をかけられた。私の恰好かっこうは少しばかり、この賑わいから浮いている。途中、中年の男にぶつかってしまった。私の不注意のためだったが、彼は「気にするな、観光を楽しんでいってくれ」と、こころよく許してくれた。彼が立ち去った後、私は懐が軽くなっていることに気づく。しまった、奴はり師か。振り返ったが姿は雑踏に消え見えない。人混みの中で警戒をおこたった後悔が胸中を渦巻くが、ここは勝手知らぬ街。諦めるしかなかった。

 その事件の後もしばらく散策していた。故郷の隣街と比べ物にならない、大きな街だ。歩くだけでも面白い。それに慌てたところで、どうにもならないのは今までの旅で学習した。なに、これだけ人口が多いなら、靴磨きや荷物持ちの仕事一つぐらいできるだろう。

 宿場街の中央は商店と宿屋が軒を連ねる大通りで、それを挟んだ両側には骨董屋、服屋、連れ込み宿などが見て取れる。骨董屋をのぞいた時、主人は大層暇なようだった。ちらりと目線を寄越しただけで、話しかけてくることはなかった。大方、冷やかしか何かだと思ったのだろう。
 店の棚はどうにも悪趣味な品物が多く置かれていた。中には古い医療器具の様な物や、生前の想像もつかない珍妙な骨格標本がある。これでは客が来ないのも頷ける。店主は塵一つなく、使いどころが分からないような品々に羽箒はねぼうきを掛けていた。


――――


 ナギャダでは基本、門で街を仕切っているらしい。確認した限りで宿場街には4つの門があった。どれも門番がおり、彼らは腕章を付けていた。商店の通りで会った男の物と同じに見える。
 しかし何のための門だろうか。昔城があって、防衛のために周囲に街が築かれたとかいうなら、納得できなくはない。
 とにかくそこを通るには「通行証」が必要だと、気味の悪い笑みを浮かべながら門番は言った。今一文無しの私には意味のない話ではあったが、腰に手を伸ばしてきたのでかわす。舌打ちをされたが、そういう趣味は生憎持ち合わせていない。


 南西側の人気ひとけのない門へ再び立ち寄った。門番の休憩所であろう建物に、鍵が掛けられていなことに気づく。物騒な。交代の要員もいないじゃないか! 不審に思って(ちょっとした好奇心もあったが)中に入った。そこには日誌と、書置きが一枚だけ残されていた。書置きには、

『大分前から俺の周囲を子供がはしゃぎ回っている。手を引かれた。虚空こくうが踊っている』

 とあった。文は殴り書きされており、最後の方は暗号文のようだった。日誌には複数の筆記で事細かく、日々の様子が書かれている。こちらは書置きに比べれば割りと丁寧、いや普通の字体だ。ペラペラとめくり、書置きの人物が担当したであろう適当なページで目を留める。

『ミルユリル教会の連中が番屋前まで来るようになった。散々警告したのにも関わらず、神経の図太い奴らだ。追い払ったが、なにせ人が多い。今度俺が担当の時は、人数を増やす』

 教会の宣教活動だろうか。随分見境がないようだし、この一文だけで粘質さが伝わる。少しページを進めて、別の担当日を読む。

『次にミルユリル教会が来ても邪険に扱わないでやってくれ。できればすぐ俺に連絡して欲しい。彼らのおかげで、最近調子がいい』

 妙な変化だと感じる。いくら何でも態度が変わり過ぎている。その後のページでも、この門番は何度か「ミルユリル教会」の名前を上げているが、全くと言っていいほど好感的な事ばかりを書き残していた。
 不思議に思ったが、特に関心を引かれることもなかった。屋外に出て大きく一息つく。門番の気狂いなど知ったところで、意味はない。

「そこで何をしている!」

 びくっと体を跳ねかせて振り返ると、珍しい、警官服だ! いや、そうじゃなくて。走り寄ってくる顔を見れば、嫌疑をかけられているのは間違いない。怪しい事をしていたのは間違いないが、盗みを働いた訳ではないのだ。ただの「好奇心」から――これでは信用も糞もないな。

 ……小一時間は説明に費やしたと思う。無実を証明する為に、外套がいとうを脱いだり腰鞄こしかばんをひっくり返してみせた。全く、踏んだり蹴ったりだ。自分が原因だから、それこそ弁解の余地はないことぐらい分かっている。
 警官にさえ「余計な事をするからだ」と呆れられたし、「もうそういう事はするな」と釘を刺された。

「ただでさえこの街は犯罪が多発しているんだぞ。これで観光客にまでやられたら、たまったものじゃない!」

 「ここに来る連中は頭がおかしいんじゃないか」と、彼は肩を怒らせながらその場を去っていった。しかしお勤めが忙しいようで、少し離れた所から高い笛の音が響いている。
 警官は暇な方がいいと思うが、世の中簡単には行きそうにない。


 宿場街は一通り巡ってしまったし、これ以上何か得れる事はないと思う。ナギャダの最終的感想としては、金持ちの観光客なら楽しめそうな街だと感じた。貴金属や宝石類で作られた、煌びやかな装飾品の取り扱いが多かった。次いで、金属製品。よく分からない機械から農具。果ては革裁縫の太い針まであった。農具や針は捻出ねんしゅつできそうな価格ではあったが、他はかなりの稼ぎがなければ、目にする事もないだろう。かく言う私も、ここに来て初めて見たものばかりだ。

 そうだ金だ。思い出したと同時に汚い暴言が突いて出た。スリ師に有り金を全部奪われて、いい気でいる方が無理だ。「飢え」も感じるし、一旦宿に戻り、駄目元でフィリマーリスに仕事はないかと聞いてみようか。皿洗、いや客引きとかなら役に立てそうだ。
 そう考え、動きかかった時である。

「ちょっとあんた、旅の方。待ってくれないか」

 足を止めれば、宿場街では見ない格好の男が歩み寄ってきた。服装もそうなのだが、腕が異様に長く、そこに巻かれた布から白と黒の斑が覗いている。相手は私の視線を気にすることなく――鉄面越しなので気づく方が無理だ――口を開いた。



「よかった。誰も俺の話を聞いてくれなくて、困っていたんだ。……実は最近ここの門番の姿が見えないんだ。彼を探してはくれないだろうか」

 彼は哀れっぽく言うと、私がすぐに反応しなかったせいか、溜め息をついた。人に頼み事をするのに、いくら何でも性急しやしないだろうか。あまりに突然の事で、苛立ちは若干鳴りを潜めた。少し遅れて私は「門の先には何があるのか」と尋ねた。

「あ、ああ! この門は地下街の入口なんだ。宿場街の丁度下にあるんだよ。俺はその地下街の商人なんだ。でもよ、ここ数日門番が来ていないんだ。いい加減戻りたいんだけどよ、門番も鍵もないんじゃお手上げだ」

 彼は首を横に振り、うなだれる。本当に街の下に街があるとは。私は率直に「他の門番や警官に頼めばいい」と言ったが、彼はうなだれたまま答える。

「地下街の人間は嫌われている。『汚物』とね。……だから、まともに会ってもくれないよ」

 それを聞いて私は、何とも不憫ふびんに思えて仕方なった。確かに彼の衣服からほのかに漂う悪臭は、好かれるものではない。宿場街は恐らく、汚水を下へ流しているのだろう。これだけ発展した街なのに、宿場街で下水道的なものが見えなかったので不思議だった。地下街の住民はその割を食っている。
 だがこれらを含んだ上で、見た目の異質さ、例えば彼らの長い腕の事を考えたとしても、邪険に扱う必要があるだろうか。犠牲を押し付けているというのに。妙に腹立たしい。

 それはそれとして、丁度金のない状況で、こんな話をされれば少しの図々しさが顔を出すのも人間である。頼れるのは私だけなようだが、タダでやる訳にはいかない。それに上手くすれば門番からせしめる事ができるかもしれない。彼の頼みを受けることにした。

「おお、そうか、そうかい、助かるよ。ありがとう。……そうだ、話を聞いてくれた礼だよ、受け取ってくれ」

 私の手に少しの金を握らせ、「頼んだよ」と震える声で告げられる。よほど嬉しかったらしい。話を聞いただけで金、しかも金貨を持たせるとは。だがまだ門が開くと決まったわけではないのだ。日が暮れ始めた中、残っていた良心に背中を押されて、街の影へと身を潜ませた。

『夜には出歩かないように』

 当時それを守っていれば、こんな事には、こんな頭がおかしくなるような事にはならなかったのだ。






【 ナギャダ保安結社 】
 街で続発する殺人・誘拐事件を防ぐために結成された自警組織。所属するイル・メ・トーラの人々が、門番や見回りを当番制で行っている。

 望まれる平穏が、必ずしも皆同じとは限らない。故にたがい別れ、ここでは暴力が生まれた。

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(投稿:2018.04.26)
(加筆修正:2020.02.10)

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