体に接触しないように、三人は距離を保つ。ネペンテスは悶え苦しむ化け物を見て調子を取り戻したのか「どうだ見たか!」と笑っていた。だが苦しむばかりで中々事切れない様子から、ステンタフは不安を覚える。

「これ、本当に死にますよね?」

「でなきゃ困る。……そうでなかったら、直接首を斬り落とすしかないな」

 ステンタフから投げ渡された血薬で、ヤガタの腕の治癒が大きく進む。対してミルユリルの体は、腐っては治り、腐っては治りを繰り返して、終わりが見えない。次第に「腐り」は遅くなり、治癒も目に見えて衰えていく。
 いよいよ化け物の死か――。三人は思ったが、甘くはなった。

「おのれ。腐り血で殺そうなどと、ああぁぁ汚い、汚い。……あああああああ汚い、汚い!!」

 ミルユリルは金切り声を上げながら、体中を掻きむしる。最後にのけ反り、絶叫したかと思えば、バキバキと音を立てて「変身」を始めた。

 顔が引きつるのが分かった。ヤガタ達は茫然ぼうぜんとそれを眺めるだけで、体が固まっていた。化け物の体は変な方に手足が曲がったり伸びたり、骨が突き出たりして徐々に巨大になっていく。
 ダンと地面に振り下ろされた手は地鳴りを伴った。上げられた頭は目玉が増えている。奇妙なほどクビレができていて「蜘蛛くも蜥蜴とかげを足した様な姿」と言えば伝わるのだろうか。

 「おおおおお」と、人の声とも言えぬ声を出す怪物は、手を振り上げる。三人は慌てて避けようとするが、複数ある腕の一つがステンタフのいる足場を崩さした。彼は受け身を取ったが、逃げ遅れて悪目立ちし、そこへミルユリルは腕と長い尾を使って攻撃を繰り出した。

「ステンタフッ!」
「バケモンがッ、こっちを向けこっちを!」

 勇敢にもネペンテスはミルユリルに突貫した。ステンタフの逃げる隙を生み出そうと、ネペンテスは力を振り絞って武器を叩きつける。思っていた以上にそれは、相手の体にめり込み、傷を作った。当初より皮が薄くなったのか、悲鳴を上げるミルユリル。もちろんネペンテスに目を向ける。今度は彼が逃げ場を失った。ステンタフはその間に何とか離れたが、何発か食らった為に戦う力は残っていなった。血薬はヤガタに渡した分しか持って来ておらず、十分な治癒は見込めなかった。

 その状況でも希望を捨てなかったのはヤガタであった。ネペンテスとミルユリルの間に入るが、しかし彼も「病み上がり」。その鉄爪は威力を発揮できず、逆にヤガタの体へ負債を蓄積させていった。

「何とか……何とかするさ。そうだ、いつだってそうやって来たからな」

 ヤガタは何度目かの膝を着く。ネペンテスも限界を迎えて、盾は何度もたたき落とされた。

「そっちの『生きの良い手負い』より、もっと楽に食えるのがこっちにいるぞ!」

 ステンタフはあらん限りの声を上げる。まだミルユリルに意識があるなら、自分に興味を向けると、確信めいた自信があった。

「何考えているんだ野郎っ」

 ヤガタは目を見開いて、ただただ驚いていた。ネペンテスも同じで、「とっくに逃げている」はずだったステンタフが残っていることに、大きく動揺した。彼の体はおびただしい血で濡れており、このままでは失血死するだろう。

 何をするつもりだ? あれで一体何ができるというのだ?

 怪物となったミルユリルが、動かない彼を両手で掴み上げて大口を開ける。するとステンタフはニヤリと笑って、何かを投げつけた。それは吸い込まれる様に、ネペンテスが傷をつけた箇所へ向かった。ロクに音もたてず、銀のギザ刃が突き刺さる。

「特注品の投げナイフだ。柄に『腐り血』が入っている。今のアンタにはおあつらえ向きだろ? ……冥途の土産に持っていきな」

 言い終わるか否か、ミルユリルの傷口は泡を吹き始めた。彼女はさらに絶叫して暴れ始める。投げ捨てられたステンタフは、勢いよく地面に当たり、骨が砕けた。ヤガタは急いで助けに入ろうとするが、ミルユリルの無数の腕が無茶苦茶に叩きつけられる為に、近づくことすらできない。ネペンテスはこの猛攻からヤガタを守るために、歯を食いしばった。

 唐突に動けないステンタフの胴体が抉られた。「相棒」と叫ばれた声も虚しく、彼の体は原形を失った。
 血がそこら中に巻き散らかされ、ほぼ同時にミルユリルも崩れ落ちた。強烈な悪臭を放つ血溜りの中に、彼女の、怪物の首だけが残った。

「女王は見ておられる。お前も、お前達も」
これから始まる・・・・・・・のです。……お前達の血からも、いずれ『素質あるイル・メ・トーラ』が現れるでしょう。私達の血を吸い、そして女王の礎となり、伴侶となり、子を成すのです」
「私の成し得ない夢。女王の夢。……ふふふふ。どこに逃げようと、何をしようと意味のない。もう手遅れ。……我ら血の忌子いみごには」

 じゅうじゅうと音を立てながら、残ったミルユリルの頭も溶けていった。不穏な言葉を残して。

 だが、今生き残った彼ら二人には、ひたすらどうでもよかった。ミルユリルの血が霧となり、二人に吸収されていることすら意にかいさなかった。駆け寄った遺体へ、哀れにもすがり付く男二人の姿は、虚しいばかりである。


 この時、ステンタフはまだ生きていた。運が良いのか、悪いのか。彼の命は、ミルユリルの「赤い霧」により、若干の延命に繋がっていた。そして同時に、彼女の言葉の意味に気づいてしまった。
 本当に「もう手遅れ」なのだと。自分達がいくら足掻あがこうと、街には「イル・メ・トーラ」が溢れかえっている。ミルユリルの遺志は、「女王」がいる限り、信者達へ引き継がれるだろう。そして、それを良しとしない「従者」達が、彼らを殺し、また殺される。

 血は精錬される。

 それが狙い・・・・・だったんだ。人を食う・・・・ことが目的ではなかったんだ。イル・メ・トーラ同士の殺し合いが、より強いイル・メ・トーラが、女王の夢を叶えるのだ。
 これを何とか伝えなくては。声を出そうにも全く音にならない。体は動かない。瞳だけがヤガタを覗いた。だが彼の目は既に、怒りや、恨みに染まっている。いけない。それは魔物の手の中だ。奴らの思惑の通りなのだ――。


 ヤガタは、ステンタフの息があることに気づいた。声も体も使い物にならない彼の瞳には、「奴らを殺せ」と訴えているように見えた。

「ああ勿論もちろん。勿論、許すわけがねえ。あの畜生共。思い知らせてやる。……きっと、皆殺しにしてやる」

 ヤガタの心は、異形への復讐に大きく傾向していた。「奴らがいなければ、こうはならなかった」と、今までになく殺気立っていた。ネペンテスもまた、単純で純粋、義理人情に厚い男であったが為に、ヤガタの考えに同調してしまった。

 ステンタフが息絶えた時、彼らはまるで何事もなかったかのように、墓場を去った。来た時と違った事と言えば、人影が三人から二人になり、口数と、気の知れた罵り合いが無くなった事。それと「異形の祖が従者により殺された」という事。
 それら以外は、普段通りの輝かしい朝日が、街を照らし始めていた。


 生き残った二人の指南により、「異形狩りの一派」は誕生した。彼らの逸話・・は、後にナギャダで「上手くやれ」を示す「親指、人差し指、中指を合わせる」仕草に残った。
 ミルユリルの遺志を継いだ信者達は「ミルユリル教会」を名乗った。彼女の逸話・・は、後に代々教会長へ「異形の覚醒」として伝えられた。

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(投稿:2018.07.16)
(加筆修正:2018.07.16)

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