選択5
小さな紅葉のような可愛らしい手の上には見覚えのある桃色の匂い袋。
ーー詠さんがくれた、、あの、、
という事は、、
「……大きく、、なりましたね…」
くりくりとした目が、桜を見ている。
小さな手の上では大きく見える桃色の匂い袋を受け取ると、桜は手のひらで包んで胸の前で握りしめた。
ふんわり香る藤は懐かしくて、優しい詠の笑顔が蘇る。やはり形見の懐刀より、こちらの方が温かみがある。
「君がこれを預かってくれたから、
大切だって言える人ができました。
私は人を好きになる事を学べて…。
…君のおかげです…。ありがとう…」
涙が溢れて仕方ない。
好きになったのに、たくさんの約束をしたのに、その存在は消えてしまった。
「……いたいたい?」
丸い目が哀しそうに桜を覗き込む。
「、、うん。でも、、大丈夫だよ」
やっと、四鬼達がいなくなった事と事実として向き合っている様な気がした。
桜の膝の上に上半身を預けている子供の頭を撫でると嬉しそうに目を細める。
子供の方は桜に返したはずの匂い袋を再び手にすると、にぎにぎと遊び始めていた。
「あー!!しー君お部屋入った!!
姐さん!しー君、先生起こしちゃったよ!
しー君。駄目って言ったでしょ」
「むーーー」
「"むー"じゃないよ!」
頬を膨らませて不満な顔をした子供は、襖の向こうから嗜めているのに柔らかな雰囲気の方ばかりが印象に残る青年の言葉に、むきになって桜の布団にしがみついた。
「気にしないでください。起きた後にこの子…
しー君?が来たので大丈夫ですよ。
それよりも、お助け頂きありがとうございました」
「いいえ。大したことはしていませんよ」
半開きだった襖が開いて、そこには見覚えのある女性が座っていた。この子、しー君が居るなら何も不思議なことはない。記憶と違うのは前に会った時より明らかに血色も良く、健康的に見えるという点だった。
膝をついたまま、深々と頭を下げるものだから桜も驚いて頭を下げた。
「先生。おかげさまで、私もこの子も元気に過ごして
おります。匂い袋をやっと返せると思ったのですが…」
桜は母親の視線を追って隣に目を向けると、匂い袋を首に掛け直し、手の中に収めているしー君の姿。
「……良いんです。
もう。私には必要が無くなったのです。
だから、どうぞ貰ってください」
「でしたらせめて、日も暮れますからこのまま
泊まっていってください」
ありがたい申し出だったが、桜は首を振った。目的地はここではないのだから、直ぐにでも向かわなければいけない。
ーーーーーー
「夜道は…」
鬼に襲われて医者を失った村だけあって、その存在に対する危機意識は強いらしい。
しかし桜は微笑むと、ただ大丈夫ですと口にした。
家の表でさよならしようとする桜に、しー君は愚図り、母親に引き剥がされて尚、桜に手を伸ばしていた。
何故こんなに好かれているのかは分からない。それでも、桜の方も離れ難くなりそうな程で、正直嬉しかった。
それでも桜は親子に背を向ける。
ーー何としてでも月様の所に…
何が出来るか分からない。
無駄足かもしれない。
それでも決めた事だった。
頭を下げて家を、、村を離れて行く。
山道を足を早めて歩いていく。
空の赤みも消えて、気の早い金星が存在を主張し始めた空を見上げて、一息。走り出そうとしたその時だった。
「先生!!助けてください!!」
その男性の声は今出たばかりの村の方からやって来る。
「先生ぇ!!!待ってください!」
聞こえないフリをしようかとも思った。
けれど、心の中で自身に問う。
何が出来るか分からない
目的地に向かう事と
私が必要だと呼ぶ声に足を止める事。
どちらを選ぶのかと。
《私達は必ず鬼舞辻を討つ》
ーー月様は私に害を為さなかった。
そんな人が傷付いていいの?
「先生…助けて、、ください。
産婆先生が…間に合わないんです」
桜に追いつき腕にしがみ付いた男性の手は震えている。
産婆と聞いて、桜は先ほど別れたばかりの、しー君と呼ばれたあの子の事を思い出していた。
まんまるな目が、笑って、むくれて、ぐずって…
《儂らは感情の化身じゃ》
ーーそうだ、、四鬼さん達のこと、
子供みたいと思った事があった。
だから、離れたくなくなってしまうのね…
一度、月を見上げた。
ーーごめんなさい。
私はやっぱり、彼らの影を追っていたいようです。
それと、、必要とされる人でありたい。
震える男性の腕に片方の手を乗せる。
「急ぎましょうか。
戻ったらたくさんお湯を沸かしてください。」
桜は男性の後を追って村の方へと戻って行った。
ーーーーーー
朝日が眩しい。
産婆先生が到着して桜は母子を引き継いだ。
空が白む頃まで気の置けない状態は続いていた為、解放された今、昨夜の出来事は夢だったのではないかとすら思ってしまう。
溢れてくる疲れに、縁側に寝転んだ。体は怠い。でも、心待ちは穏やかだった。
小さい命は桜の手の上で大きく泣き声をあげた。温かくて、不思議で、でも、自分の事みたいに嬉しかった。
視線の先では雲が流れていく。何も変わらないのに、何かが変わって、それでも時は進んでいくらしい。
ーーようこそ、悩ましくも愛おしい世界に。
たくさん喜びを見つけて
たくさん怒りを感じて
たくさん哀しいとないて、でもその先に
たくさん楽しいと笑って下さい
怯えなくて大丈夫です。
人を憎まなくて大丈夫です。
独りになったと思っても、
存外、あなたを思ってる人がいます。
だから意固地にならずに、顔を上げて
愛に気づいて下さい。
私にも出来たのだから
きっとあなたも出来ます。どうか幸運を。
朝の光は、温かくて、いつの間にか桜は夢の中へと迷い込んでいた。
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