最終話4
何処か夢の端。水鏡を見ていた女性が顔を上げ、隣に座っている人に笑いかけた。
「半様も生を受けて、もう安心ですね。」
「主様が儂らの穢れも全て禊をされた故、
やはり歳月が掛かったんじゃな…」
「皆さん笑っていらっしゃいます。
良かった……」
「そこは心配など、して居らんかったじゃろうが」
「そんな事はありませんよ。来世の貴方も不器用な
様子でしたから、気が気ではありませんでした。」
「……腹立たしい。
桜は相変わらず抜けて居ったではないか」
「ふふっ。不器用を否定しませんのね」
「…長く生きて、口も達者になり居ったな」
「こんな私はお嫌いですか?積怒さん?」
「…嫌って居るなら、ここに留まっては居らんわ」
積怒の手が桜の頬に触れる。壊れ物を扱う様に優しく撫でて、反対の手では桜の体を抱き寄せた。
夢の中の積怒の目は、見えなかった筈だったのだが、桜が預かっていた錫杖の輪を返すと、再びその視界には光が戻っていた。
恥じらい、下がった桜の顔を積怒は撫でていた手で上を向かせると、ほの赤く染まった頬、そして柔らかく下がった目と視線が絡んだ。
「…積怒さん。貴方をお慕いしています。
昔も、今も…」
生前あの窓辺で呟いた。何度も、何度も。
届かないと思っても、口にせずに居られなかった。
「好きです。大好きです。…愛し」
言葉は最後まで続かない。積怒も聴き続ける事に耐えられなかったのだ。
口付けで言葉を遮っていた。
唇が触れ合っても、それでも足りない。もっと、もっとと欲が出る。頬の手は移動すると桜の手を握って、それでもまだ足りなくて指と指を絡めて握る。
いっそ溶けて一つになってしまえばいい。
抱き寄せた手は、髪を撫で付け、首の後ろで止まると、口付けは深く色濃く変わる。
飽きもせず、何度も角度を変えて。
死んだ後なのに、生きていた時より鼓動が大きく胸を打っている気さえする。
上下も曖昧で思考が追いつかなくなった頃、2人は少しだけ満たされて、お互いの顔を見る。惚けた顔の桜は今まで以上に愛らしい。恋は盲目とはよく言ったモノだ。他の物事など積怒は一切目に入りそうもない。
息をする度に戻ってくる思考は、今まで交わされていた口付けの感覚を連れて戻ってきた。桜は積怒の口元に目がいってしまって、頬が熱を持つ。
顔を隠そうと空いていた手を持ち上げると辿り着く前に手首を掴まれてしまい、両手共、積怒に掴まれて顔を隠す事は叶わなかった。
頬を赤くしても、せめても…と、逃げ回っていた桜の視線だったが、逃してはくれないと、観念し上がって、彼女としては"何か策略があった訳では無く"なのだろうが、その視線は上目遣いになっていた。
見上げられた積怒は、何かを試されているかの様に感じる。
「…一周回って、、腹立たしい…」
「……?」
握っていた手を解いて、桜を抱き寄せる。すっぽり収まる腕の中の温もりは手放せる気がしない。
ーーそれでも、、
「もう、逝かねばならんのだろうか…」
「天帝様にお叱りを受けるまで、
此処に留まってしまおうかしら、、」
「桜の我が儘など初めて聞いた気がする…
しかし、それでは一年に一度しか
会えなくなってしまうやもしれんぞ」
「大丈夫です。だって、ああしてあの子達は
また出逢えているのですよ…」
「じゃがな、、それは儂らが進まねば来ぬ未来。」
「……せっかくまた逢えましたのに…」
「それを言われてしまえば、手放し難くもなるが…
生まれ変わり達(あれら)を見ていて、
羨ましくも思うた」
鬼では無くなって、日の下で出会って、
恋をして、一緒に料理をして、一緒にご飯を食べて、
泣いて、笑って、怒って、仲直りして…
愛を知って、そしてゆくゆくは命を繋ぐのだろう。
広がる世界というのは夢がある。
「桜に飽きる事は無いじゃろうが、ますます
愛らしい桜を見ていられるなら、
進む事にも価値がある」
「怖くは無いのですか?
もし、水鏡は願望を写しただけで、
未来を見せた訳では無いとしたら…」
「出会わぬ理由は無い」
「それでもっ…」
「探す。見つからんでも探す。忘れても、
言葉を奪われても、視力が無うなっても」
腕の中の桜が積怒を見上げる。
「そういう運命にする。」
「……そこまで言われては、信じない訳には
行きませんね。
ただ…少しだけ、、少しだけゆっくり
行きましょう?」
手を繋いで、並んで、語らいながら。
歩くようなはやさで…。
それくらいの我が儘なら、天帝様も見逃してくださるでしょう?
積怒が無言で頷くと、腕の中の桜が両手を積怒の肩に手を置いた。
「…桜?」
疑問で名前を呼んだのと同じタイミングでその手に力が入った。
立ち膝に背筋は伸びて、桜が積怒の唇に口付けた。
いつか自分だけが貰えなかった桜からの口付け。空喜でなくても嬉しい。可楽でなくても心が跳ねる。この時間が終わってしまうのは哀絶でなくても哀しい。
柄にもなくポカンとしている間に、桜は立ち上がっていた。
怒りの感情しか持たなかった筈の自分に他の感情を与えてくれた桜。
その存在をきっといつまでも愛しく思うことだろう。
「……参りましょうか」
お別れの為の出発。哀しいけどそれでも大丈夫。
来世の私達は笑っていたのだから。
私達は信じて歩き出す。
手を繋いで、ゆっくりと。
運命が行き着く先の笑顔のために。
終。
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