いつか≠フ約束
密やかな会話を終える頃、シーナが淹れたての紅茶を運んできた。
渋みは少なく、風味豊かな香ばしい紅茶は美味しかった。
「そういえばシーナ。君は陛下を見て、どう思った?」
「ゴフッ……!?」
唐突すぎるジェイソンの質問に、紅茶が呼吸気管に入りかけた。
盛大に咳き込んだ俺にシーナが慌てて、背中を撫でられる。
ふと、撫でられたところから体温以外の温もりを感じた。
「だ、大丈夫?」
手巾で口元を抑えながらシーナを見やれば、心配そうな表情で俺を見つめていた。
「ゴホッ……あ、あぁ、大丈夫だ」
一気に苦しさが消えて、ピタリと咳が止まった。
自発的に治癒魔法を使っている様子はない。おそらく無意識の内に使っているようだ。
無意識下で治癒魔法を行使するとは、上級魔導師を超える
シーナの境遇を知る俺だからこそ、無意識下で治癒魔法を使わなければならない状況が、アポイナ村では日常茶飯事だったのだと気付いてしまう。
この繊細な魔法の技量も、謁見の間で披露された古代魔法も、アポイナ村で生き抜くために必要だったから。それを改めて理解させられた。
……しかし今、指摘する点はそこではない。
「ジェイソン、何故……その質問をここでする?」
俺がこの場にいる時に、どうしてシーナに『私』の質問をするのだ。
ジト目で見据えれば、ジェイデンは目を細めた。
「アルヴィス様がおっしゃったことを思い出しまして。『シーナさんは陛下と対等でいられるようですが、年頃の女性のような反応はしなかったのです』……と」
アルヴィス、余計なことを……!
ジェイソンが興味を持つ話題に、俺は頭を抱えたくなった。
「陛下を一目で惚れてしまう女性は数知れず。その中でシーナは違うとお聞きしたので、少し気になりまして。それで、どう思っている?」
確かに、シーナは花嫁候補達と異なる反応を見せた。『私』は嬉しかったが、男としての魅力を感じられなかったのではないかと不安が過る。
そんな俺の心境に反して、シーナは困り顔で答えた。
「……分からない。策士だけど、誠実な人だとは思っているけど……」
「……策士? どこがだ?」
これには俺も興味が湧く。どうして「策士」の印象を持ったのだろうか。
「私がご褒美は小金貨一枚って言ったのに、王貨の一割って誘導したから。……あの時、すごく叫びたかった」
「どんな?」
俺が続きを促すと、シーナは目を据わらせ、クッと拳を握った。
「『誘導したなコノヤロー!』……と」
「ブフッ」
「引きつると不敬になるから我慢したけど、顔が痛くなって……新手の拷問かと思った」
「ふぐぅッ! フハッ! アッハハハハハハ!!」
少々乱暴な発言に、飲みかけの紅茶をティーカップの中で噴き出したジェイソンは。遠慮の欠片もなく大爆笑。
まさかあの時、誘導したことに怒っていたなんて……。
……それにしてもジェイソン、笑いすぎだ。普段の
「そ、それは大変だったようだね。けど、そうか。陛下を見て、どう思ったかさえ『わからない』とは……」
「だって陛下自身のこと、よく知らないんですよ? 表面的なら漠然と感じても、根本的なものはちゃんと接してみないと解りません」
続けて答えた理由に、胸の奥が温かくなる。
シーナは優しい。謙虚で、真理を曲解なく確かめようとする誠実な姿勢を忘れない。
ただ俺個人としては、謙遜しすぎて己を卑下してほしくないのが本音だ。
指摘すれば、シーナは称賛を否定する性分を直す意思を持ってくれた。
人の
とはいえ、今のシーナを形作っている性分は、長年の集団暴力から心を守るために形成した結果である要因が強い。
自尊心を踏み躙られ、
シーナには幸せになってほしい。できることなら、『私』の手で幸せにしてやりたい。それができない今が酷くもどかしく思うが、強引に詰めず、ゆっくり時間をかけよう。
「では、俺はそろそろ戻ろう。シーナ、無理をしない程度で頑張ってくれ」
今後は『魔導騎士アレン』として、シーナと会える機会が減る。
『竜帝アンスヴァルト』としての職務だけではなく、翌週から始まる花嫁候補とのお茶会の段取りや、それぞれの予定合わせの報告を確認しなければならない。
シーナの『番』疑惑について、ジェイソンと話し合う機会でもあったのだが、アルヴィスが気を利かせてくれたおかげで会えたのだ。二人には感謝しなければ。
もう少し語り合いたい気持ちを抑えながら、俺は名残惜しく腰を上げる。
その時、シーナに手を掴まれた。
突然のことに驚いたが、それ以上に手のひらに押しつけられた中金貨に戸惑う。
「これは?」
「旅でいろいろ買ってくれたでしょう? そのお金」
「こんなには使ってないが……」
花嫁候補の護送中では、シーナは基本的に安いものを選んでいた。宿では少食な胃に合う食事、もしくは安価な屋台料理で済ませる場合がほとんどだった。
花嫁候補や護衛隊と比べて経費が掛かっていない。むしろ、突発的な勧誘が原因で予算を超えないよう、野営では自然の恵みを採取したりして、人一倍気にしてくれていた。
おかげで予算以内の旅費で、帝都まで無事に護送を終えられたことに、ソフィーや護衛隊に携わったティモシー達が深く感謝しているくらいだ。
着替えといった服飾代は、俺個人の予算で揃えられた。地方の収穫祭であっても、一緒に食べられる料理でなければ遠慮していたくらいで、遊戯系の屋台は俺から勝負を持ち出さなければ乗り気にならなかった。
はっきり言って中銀貨にも届かなかった。花嫁候補護送の旅費を合わせても小銀貨の範囲で納まってしまう。
「いいから! 細かいことは気にしないで」
「いや、これは細かくない……」
「男なら四の五の言わずに受け取る!」
絶対に細かくない金額なのに、強気な口調で押し通そうとする。
旅の間で貨幣の価値を学んだはずなのに、無欲が過ぎるのではないか。
唖然とした俺は迷った末にあることを思いついて、シーナの手のひらへ中金貨を戻す。
「なら、これで俺に似合いそうなものを買ってくれ」
「え? でも……」
「プレゼントを贈り返してくれるって約束だっただろう?」
旅を始めた初日に、秋物のコートを贈った。黒髪に瑠璃色と紫色の双眸といった濃い寒色系であっても、暖かみのある茶色のコートはよく似合っていた。
その時にシーナから、贈り返したいと宣言されたのだ。
この中金貨は、その時のためにとっておいてもらいたい。そう願ったのだが……
「……これは、竜帝陛下から受け取ったお金だから。私自身で稼いだお金じゃない、他人のお金でプレゼントを贈るのは……なんだか、私の気持ちがこもっていない気がする。だから、アレンにプレゼントを贈るなら、ちゃんと自分で稼いだお金で贈らせて」
自分で稼いだ給金で、俺への気持ちを込めた贈り物を用意したい。
シーナの真心を込めた言葉の前に引き下がれなくなってしまう。その上、貸し借りが全く無い、対等の関係でありたいと願われてしまえば……折れるしかなかった。
「引き止めてごめんなさい。お仕事は無理しない程度で、応援しているね」
「あ……ああ」
シーナは「頑張れ」とはっきり言わない。一番に相手の心身を案じて、そっと優しく背中を押してくれる言葉を選ぶ。
その言葉にいつも心が温かくなり、抱きしめたい衝動に駆られる。理性を総動員させて耐えきった俺は部屋を出ようとしたが、置き土産を残したくなった。
「休暇が取れたら会いに来る。休暇が重なったら、一緒に街へ出掛けよう」
「! いいの?」
「ああ。約束だからな」
少し寂しそうだったシーナの表情が、明るく変わった。
まるで
「うん。約束!」
確実な予定ではない口約束であっても、いつか≠目標に頑張れる。そんな気持ちが込められた笑顔に、ギュンッと心臓が締めつけられた。
呼吸が止まりかけたが、ちゃんと笑顔を返せただろうか。
結局は最後まで
「……やるぞ」
いつの日かシーナと街へ出掛けるために、『私』も職務に励もう。
改めて意気込んだ俺は『竜帝』の姿へ戻るために、ガンドルフの執務室へ向かった。