帝国の商会



 ルゥビーン商会は、幼少期にレヴェント帝国に移住した異国人、フョードル・エレミエフが立ち上げた巨大な商会。
 宝飾品や芸術品を筆頭に、加工食品や魔工製品を手広く取り扱っている。
 多少の障害をものともせず乗り越え、およそ三年の歳月を経て、レヴェント帝国で一、二位を争うほど屈指と名高い商会に至った。


 品行方正、清廉潔白を掲げて、誠心誠意を込めて客をもてなす。
 商人として優れた手練手管てれんてくだにより、東のアナトール王国、南のユルディス国を含む、隣国との交易に一役を担うほど皇室から信頼を勝ち取った。
 レヴェント帝国だけではなく、他国でさえ知らない者はいないほど知名度を得たのだ。

 そんなルゥビーン商会の会頭を務めるフョードルは、一言で表すなら商人の中の商人。
 利益不利益を第一に考え、損得勘定そんとくかんじょうをもって対人関係を推し量る。部下も従業員も数字として見ているが、個人の能力を重視し、適切に配置することで商会を運営している。
 才能・能力こそが全て。不出来な部下は即座に切り捨てるような為人ひととなりだった。
 そんな彼の人柄を根本的に変える出来事が起きた。

 ルゥビーン商会は、およそ三年の歳月をかけて規模を拡大し、当時の国一だった商会を追い抜いた。それでも世界で最速と称される偉業だった。
 しかし、一年前のアナトール王国で、新たに創立された商会は、その記録を上回る。

 フィリア商会。玩具・美容品・女性専用の商品から始め、食品や調理器具、家庭的なものから業務用の魔工製品、果てには新種の食品など幅広く扱う総合商会。
 創立からわずか一ヶ月で凄まじい売り上げを叩き出し、数ヶ月で貴族だけではなく庶民にまで知れ渡り、半年で国内屈指、一年を経て国内一に至り、国内だけではなく、隣のレヴェント帝国とユルディス国にまで知名度を広げた。
 驚異的な急成長ぶりは、まさに社章の「猫とネモフィラ」を体現したようだ。

 女性だけではなく男性にも好まれ、富裕層だけではなく、庶民にも親しまれている。
 ひと月毎に新しく展開するほど商品の種類も豊富で、天井が見えない。

 当初は矜持プライドが傷つけられた。初めて敗北と屈辱くつじょくを覚えたのだ。
 誰にも負けない才能を持っているのだと自負していたというのに壊されてしまった。
 嫉妬しっとを覚えたのも初めてだった。



「あの商会は素晴らしいです! 従業員や商品だけではなく、職場の環境や雇用制度に関しても、何から何まで超一級でした!」

 偵察ていさつに向かわせた従業員でさえ絶賛した。その手腕を確認するために自らおもむいた。

 そして、常識を覆された。

 女性は結婚すれば家庭に順じ、職を手放すものだ。
 怪我も病気も自己管理能力が欠けている故に辞めざるを得なくなる。
 そういうものだと思っていた。

 だが、フィリア商会は違った。

 女性は家庭を持ち、子供を産んでも勝手に解雇されない。
 怪我や病気で働けない場合、休養期間をもうけられる。
 職務中で負傷すれば、程度によって治療費の数割を商会が負担する。
 出張先の交通費と宿泊費は商会が受け持ち、成功すれば特別手当が用意される。
 男女に差別がなく平等。さらに自由意思を尊重し、望む道を選べる。
 一人一人に対して真心まごころを込めて丁寧に接し、サービス精神を忘れない。

 フョードルは恥を忍んで自ら潜入調査に出向いた。

 驚くことに、フィリア商会では正規の従業員に至るための学習期間が設けられていた。
 先輩従業員の下で指南を受け、自分に合う仕事の方法を見つけ、自分に合う配属先を選択する権利が与えられる
お試し期間≠ニいう猶予ゆうよだと説明された。
 これら全て、フィリア商会の会頭が発案して導入した制度。

 客だけではなく従業員を大切にし、そのための環境作りを惜しむことなく打ち込む。
 さらに聞いたところ、会頭自身が製品開発部門の部長をになっている。つまり、会頭自ら考えた商品が数多くあるということ。
 紹介された会頭自作と発案の商品は、フョードルでは思いつかないものばかり。

 ――完敗だった。
 フョードルの常識が、完膚かんぷなきまで粉々に砕かれたのだ。



 調査が終わったフョードルは、宿泊先の部屋で悄然しょうぜんしきっていた。

 貿易が完了するまで、あと二日もかかる。
 だが、早く帰りたい気持ちが先立つ。
 今まで商会のために多くの出会いを求めてきたのだが、その精神がもろく崩れかける。
 無気力に天井の木目を見詰めていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。

「……入ってくれ」

 今は誰とも会いたくないのだが、仕事だと思うと放棄ほうきするわけにはいかない。
 許可を出せば、「失礼します」と女性の声とともに扉が開いた。

「フョードル会頭、こちらを」

 腹心の秘書である女性が硬い表情で何かを差し出す。
 受け取ると、それは白い封筒。
 送り主の名前を確認すると……

「……は?」

 思わず間抜けな声が出てしまうほど驚いた。驚きすぎて頬までつねってしまう。
 夢ではないと理解した途端、ペーパーナイフで開封し、手紙を取り出す。
 ざっと目を通し、瞠目した。

「……これは、冗談ではないのか?」
「それが、フィリア商会の会頭補佐を務める方が直々に届けに来られて……」

 会頭の右腕である会頭補佐。その重役に就く者が直々に動いたということは、会頭自ら伺いに来たと言っても過言ではない。

「手紙には、なんと……?」
「……フィリア商会の会頭が、俺に依頼したいことがあると」

 手紙の最後に会頭の名前の上に、猫とネモフィラの紋章が調印ちょういんされていた。
 商会の社章は会頭でなければ扱えない。それが押されているなら本物である証拠。

「いかがなさいますか」
「……決まってる。便箋びんせんの用意を」

 謎に包まれたフィリア商会の会頭。
 いったいどんな人物なのか、この目で確かめる機会ができた。
 この機を逃すはずがなく、フョードルは迷うことなく返事をしたためた。