正午になる前に到着して、街中を練り歩く。
道路整備で物流は好調。たまに見回りをしている警備兵とすれ違う。
街を行き交う人々は笑顔だし、活気づいている。
でも、目を逸らしてはいけない部分も確認しなければならない。
「お嬢様、そちらは……」
「
事業に失敗して路頭に迷う者。
借金で家を手放さなくてはならなくなった者。 理由は様々だけれど、私は彼等を見捨てる気はない。
そのための政策も、既に手を打っていた。
「……思っていたより少ない。それに、とても清潔ですね」
貧民街に踏み込むと、セバスチャンは驚きの声色で呟く。
彼の言う通り、貧民街だというのに道端で
「去年の秋に手入れしたの。少し安めだけど丈夫な共同住宅を建てたり、教会に寄付金を送って活動してもらったり」
「教会というと、国教のシンクレア教ですね」
アナトール王国の国教――シンクレア教。
聖女クレアが興した教会だ。
病に
行き場を失った子供には居場所を。
王都を本部に、各領地に支部の形で教会を構えている。
フェリス領にも教会があり、定期的に炊き出しが行われている。
以前は貧民街まで手を入れられなかったらしいので、ボランティア活動を望む人に呼びかけて助けてもらった。
初等校を義務教育と定めたおかげで、読み書きも計算も習得した者も多い。
今では貧民街を拠点に、内職や店の手伝いなどで稼いで生活している人もいる。
下水道が完備されているので、多少は体を洗えるように共同の浴場も作った。
ただ、お風呂は手間暇がかかるため、二週か三週に一度しか営業できない。
「炊き出しのおかげで行き倒れる人もいなくなった。病気を予防するために清潔でいられる施設も作った。でも、まだまだね。魔工製品の給湯器も開発している途中だけど、なかなか温水にならなくて難航しているし」
魔工製品は、前世の家電製品のようにはいかない。
何故なら電気と異なり、動力源である魔晶石のエネルギー源の正体が一切不明なのだ。
魔の結晶の石≠ニ称されている通り、もしかしたら「魔力」なのかもしれないと想像したのだけれど、この世界に魔法は存在しない。
異世界だからファンタジー小説のように魔法が使えたらいいのに……。
私の不満は、意味のない願望なのだと自覚している。
それでも魔晶石という未知の動力源を秘めた物質があるから、どうしても「魔法」への妄想が膨らんでしまう。
無意味だと分かっているのに、諦めきれないのよね。
気持ちが密かに浮き沈みしてしまう。
そこで、不意に聞こえたセバスチャンの震える声で、現実に意識を戻す。
「病気……
感動しているセバスチャンに苦笑して、貧民街の周辺を眺める。
すると、ちょうどシンクレア教の司祭がいた。
「こんにちは、ノア司祭様」
「……! ナディア様!」
挨拶すると、灰色の髪に黒い瞳の青年が、私を見て驚きの声を上げた。
フェリス辺境領の教会の責任者、ノア。今年で二十歳になる若き司祭。
「どうしてこちらに?」
「領内の視察。ノア様は?」
「風邪を
「それはお疲れ様。貴方の善行に、神のご加護があらんことを祈ります」
手を組んでそっと目を伏せて、心からの言葉を贈る。
顔を上げると、ノアは穏やかに微笑んでいた。
「貴女のおかげで満足に活動できています。医療に関しても、高等校に通わせてくださって」
「少しでも多くの民を救えるようにするのが、私達貴族の務め。もし何かあれば遠慮なく言って。助けられることがあれば力になるから」
「ありがとうございます」
深く頭を下げたノアに、「では、私達はこれで」と言い残して貧民街から出る。
定期的に清掃するよう呼びかけているから、空気の質に違いはない。それでも
「さて、そろそろ食事に――」
その時、悲鳴が聞こえた。
驚いて狭い路地へ目を向ければ、三人組の男達が女の子を捕まえて押さえつけていた。
人攫い。その単語が頭に浮かんで、片手を挙げる。
すると、少し離れて護衛してくれているフェリス辺境伯の護衛騎士が駆けつけた。
「あの男達を捕らえて」
「はっ」
抵抗していた女の子に麻袋を被せようとした男達に、騎士達は険しい顔で向かった。
物の数秒で片付いたが、問題を解決するまで安心できない。
「屋敷の牢に連行して。人攫いだから、組織なのか、他に被害者がいないか調べて」
「畏まりました」
硬い声で命じると、騎士達は神妙な顔で一礼し、連行していった。
ひとまず襲われて怯えている女の子に向かい、目線を合わせるために膝を折る。
「怪我はない?」
「……はい」
青ざめている女の子はぎこちなく頷く。痛ましさに眉を寄せ、そっと手を伸ばす。
びくりと震えたけれど、思い切って抱きしめた。
「もう大丈夫。もう怖いものはいなくなった。……無事でよかった」
湿っぽい声で安堵の言葉を呟くと、女の子は喉を引き攣らせて泣き出した。
「泣きたいなら泣いていい。大丈夫、誰も咎めないよ。だから、我慢しないで」
「ひっ、くっ……う、ぅっ、あああぁぁぁっ!」
私にしがみついて泣き叫ぶ。
痛ましさから、私まで涙が溢れた。
可哀想という同情より、世界の全てに
人前では簡単に泣けない。同情を買って
恐怖と不安を押し殺して、涙を見せないようにするのは案外難しくない。
でも、他人の優しさに触れると、虚勢が
前世の私も、人の優しさには弱かった。泣かないように気をつけても、無償の思い遣りは心を締めつけた。
時として同情は人の心を傷つける。それを知って、なるべく弱みを見せないために泣かないように
ひねくれているのだと思った時もある。それでも落ち込んだ時に
無償の優しさは、心を癒すこともあれば傷つけることもあるのだと初めて知った。
それでも私は女の子の心を救いたくて、無理やりだと思いつつ泣かせた。
私は申し訳なさから熱くなる目を閉じて、女の子の頭を撫で続けた。
そうして落ち着いた頃に、護衛の騎士が戻ってきた。
「お嬢様、そちらはどうなされますか?」
「連れて帰る。被害者だし、重要な証人だから。まぁ、それはご飯を食べてからね」
私もお腹が空いているし、女の子も空腹なのか腹の虫が鳴った。
赤面した女の子に微笑ましくて小さく笑い、訊ねた。
「私はナディア。貴女の名前は?」
「……ない、です。捨て子、ですから」
捨て子と言われて、思わず眉を顰める。
おそらく私と同い年。にもかかわらず名前がないなんておかしい。
何か訳ありだと悟り、女の子の外見を確認する。
ふわふわの髪は、汚れから少しくすんでいるが白っぽい。瞳は鮮やかな薔薇色。痩せているけれど顔立ちも愛らしくて、磨けば光る原石と言えた。
なんだか天使に見えてきて――
「アンジェラ。天使の意味がある名前だけど、どうかな?」
「……え。私の……名前、ですか……?」
「そう。貴女は磨けばきっと可愛くなる。だから『天使』がぴったりだと思ったの」
眼がこぼれ落ちそうなくらい目を丸くする女の子。
呼吸が止まるほど固まった彼女は、また瞳を潤ませて涙を流した。
驚いたけれど、それは嬉し涙だと感じて微笑む。
「気に入ってくれた?」
「……はい。嬉しい、です。ありがとう、ございます」
目を擦った女の子は、ぎこちなくお礼を言った。
私は「どういたしまして」と笑顔で返し、立ち上がる。
「じゃあ、ご飯を食べに行こう」
こうして、アンジェラを保護して昼食をとった後、屋敷に戻った。