アナトール王国の国土は、西隣のレヴェント帝国より狭いが、南西の海沿いのユルディス国より二倍以上も広く、
マグニフィカス公国との国境は、シャーウッド領を治めるシャーウッド辺境伯が守り、シャーウッド領に最も近い防衛都市をガスリー公爵が治め、防衛都市を通してシャーウッド辺境伯へ物理的にも精神的にも支援している。
いくつもの小国を抱える連合国とも周知されている大国――レヴェント帝国は、大陸の西と北に属国が密集し、東と南はアナトール王国とユルディス国があるため、交易の信用性を重視して属国は少なめ。
その国境は、フェリス領を治めるフェリス辺境伯が守っている。
交易の中継地点でもあり、大事な国防の
レヴェント帝国の悪徳貴族の圧政から逃亡した帝国民が真っ先に避難してくる問題もあり、フェリス領の土地に難民キャンプを
この問題は早期解決しなければならないけれど、今のところ見通しが立っていない。
ユルディス国は、南の国らしく亜熱帯・熱帯地域。作物の種類によって育てにくいが、熱気に負けない作物や果物なら豊富に実る。栽培に困難な農作物は、アナトール王国とレヴェント帝国からの輸入で充分。
両国は良心的で理性的。対立ではなく共栄し合う方が利益になると分かっている。
しかし、寒帯地域に建国されたマグニフィカス公国は、協調することができなかった。
陸も海も揃えた大国は、枯れかけた大地で
自分達は貧困に喘いでいるのだから、理不尽に栄えている国から奪えばいい。
……そんな思想が根づいている。
生きるために他者から物を奪う。それは貧民街の最下層にいる人々のよう。
無力のまま死にたくないから、正常な倫理観を捨て、死に物狂いで他人を殺す。それは生き物として当然の本能であり、弱肉強食。
けれど同時に、人類だからこそ持ち得る「理性」を手放す行為だ。
マグニフィカス公国の志願兵は、ほとんどが軍歴のない貧困に喘ぐ一般市民。
心に余裕がなければ勝率は下がる。しかし、勝つためなら命を捨てられる人間は恐ろしい。大切な家族を、友人を、恋人を、隣人を救えるのなら、自らの命を燃やす価値があるのだと。
まさに人間爆弾。そんな彼等を、マグニフィカス公国の貴族は使い潰すつもりだ。
王侯貴族は
行軍の途中で脱落した人々は報われないだろう。それがとても悲しい。
でも、私はアナトール王国の一貴族、フェリス辺境伯なのだ。
貴族として
残暑が和らぎ、夏から秋へ変わり始める季節の節目。
涼しくなると、野菜の他に麦の収穫期に入る。
つまり、マグニフィカス王国は農作物の収穫期を狙ったのだ。
勝てば豊かな土地と同時に食糧を得られる。
ただし、それは勝利してからの話。
勝率の低い賭けに出るほど、公国は愚かではない。
だが、勝機があるとすれば――
「此度の戦場はここ、ヴィーザル平原だ。軍は陣営、志願兵は野営を整えてくれ」
アナトール王国の郊外、ヴィーザル平原に到着してすぐ設営が始まる。
ヴィーザル平原はとても広く
私は、この森林が公国の狙い目だと予想しているので、今のうちに矢倉を兼ねた見張り台を建てる予定でいる。
建てるのは建設の知識と技術を持つフェリス領の志願兵と、相性の良い魔術師。
一応、フェリス領での行軍訓練の際に鍛えさせたので、すぐにでも完成する。
ひとまず設営の責任者に彼等を紹介し、指定の場所へ案内してもらった。
「ナディア様! 木材を調達してきました!」
「ありがとう。では、ネイダとヴァンス、木材の水分を抜いて乾燥させて。その後、ヴァンスとシュトルムはヘルシャー達と木材を組み立てて、アダムは足元を土台で固定して、要所を土魔術で補強を」
風を操って木材を運んできた魔術師に礼を言い、水魔術、風魔術の使い手に乾燥、二人の魔術師とフェリス領の志願兵に建設の指示を出す。
前世の故国には木組み技術がある。この世界では石組み技術で城を建てるが、木組み技術は浸透していない。フェリス領の大工に知識を与えると、彼等はあっという間に技術を身につけた。今では前世の宮大工に比肩する腕前だ。
工程が複雑で時間がかかりやすい技術だけど、魔術で接合部を削ってもらい、複雑化させずに骨組みと足場だけで充分。火矢対策に土魔術で補強と塗装を施せば完璧だ。
指示を出せば、彼等は気合を入れた声で応じ、素早く行動に移す。
志願兵と魔術師も訓練したおかげで、測量の工程をすっ飛ばしている。
感覚だけで削ったら、風魔術で浮かせ、志願兵が数人がかりで組み立てていく。
凄まじい早さで半分近くも進み、周囲にいる軍人達は唖然としている。
「フェリス辺境伯、進捗は……よろしいようですな」
現場監督を務めていると、将校に声をかけられた。
振り向けば、中年男性のギュンター大将が苦笑していた。
「ギュンター大将、
「いや、招集は一刻後。休憩時間も必要なのでな」
ギュンター大将は
家格は伯爵だが、現在は息子に爵位を継がせて軍人として従事している。
私は彼の孫と同じぐらいの年齢だからか、よく気にかけてくれる。
「それにしても、貴殿の兵士は凄まじい。これほど魔術師と連携できるとは」
感心するギュンター大将だけど、
「フェリス領では魔術師達は日常の一部ですから。ちなみに彼等は領軍ではなく志願兵。本職は大工で、物作りが好きな魔術師と仕事をするほど仲がいいです」
「なんと……! だからこれほど手際が良いと……」
「いえ、此度の戦のために、見張り台作りの訓練をしていました。生きて帰る確率を高めるための努力は惜しまず、
私の言葉に、ギュンター大将は「うぅむ」と唸る。
「貴殿の領民は、魔術師を恐れることなく日常に迎え入れているのですか。なんともはや……度量が広いのですな」
まるで異質なものを見るような目と感想だった。
否定しようと口を開いた直後、志願兵の一人が抗議する。
「いや、将軍様、それは違います。俺等も初めは怖かったです。魔術とかいう、普通の人間ならありえない力を使えるんです。女房も怖がってました」
「得体のしれない力を使えて、下手すれば相手も自分も傷つける。それをナディア様……うちの領主様が価値を見出した。俺達の日常をいいものに変えてくださった領主様の
見張り台を作る志願兵に続き、設営を終えた志願兵も加わる。
彼等も魔術師に恐怖していたけれど、魔術師達の気持ちを知って変わった。
「魔術師は領主様だけではなく、俺達の生活を助けてくれた。盗賊や害獣退治だけじゃない。寒い日には火を、倒れた奴には水を、骨を折った奴には治療を……」
「魔術が使えても、普通の人間だよなぁ。しかも、俺達を守るために戦争にまでついてきてくれてさ。そんないい奴等を嫌うなんて無理ってもんでさぁ」
「そうそう。あいつらはもう俺達にとって家族のようなもんです」
口々に魔術師への思いを語る、フェリス領の志願兵達。
胸が熱くなるほど嬉しくなっていると、仕事を終えたネイダが
私が手巾を渡せば、震える声で「すみません」と言って顔を隠す。
背中を撫でてあげつつ作業を見守っていると、半刻も経たずして終わった。
思っていた以上に訓練の成果が発揮されたようで重畳。
「お疲れ様。ヘルシャー達も、ネイダ達も、例の物資で英気を
「「はい! お疲れ様でした!」」
統率のとれた返事と一礼。周囲の軍人も驚き顔で、彼等を見送った。
例の物資とは、ライチのシロップ漬け。甘味と水分補給ができるから持ってきたのだ。
「さて、ギュンター大将。まだ四半刻は時間がありますね?」
「あ、ああ……いえ、あと半刻です」
懐中時計で確認したギュンター大将の返答に、ほっと安堵した。
「では、少し休ませていただきます。ギュンター大将も、ご無理は体に毒ですから」
「せっかくなのでお送りしましょう」
「ありがとうございます。お願いしますね」
一人で野営の場所に戻るのは不安だったから助かった。
安心から緩んだ笑顔で言えば、ギュンター大将も
フェリス領軍の印が入った、十人で雑魚寝できる天幕が立ち並ぶ。
その中でひと際目立つ、質の良い天幕。
兵士用の天幕の半分程度だけれど、私の他に、侍女を兼用する魔術師のアンジェラ、剣による戦闘も可能な女性騎士リリアーナが寝泊まりできる充分な広さ。
天幕の外ではアンジェラが鍋で湯を沸かしていた。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、ナディア様。レモネードは如何でしょう?」
「お願い。ギュンター大将も一杯いかが?」
「ご
リリアーナが用意してくれた椅子に座ると、アンジェラは手際よく用意する。
取っ手のない木製のコップに大匙一杯の液体を入れ、注ぎ口のついたお玉で湯を注ぐ。
木の匙で混ぜた後、私とギュンター大将に渡してくれた。
「ありがとう。……うん、美味しい」
最初に私が飲んで毒見を済ませると、ギュンター大将も飲む。
「この
「よかった。ここだけの話ですが、常温で長く保管していると醗酵してお酒になります」
「ほう、それは良いことを聞きました。我が領地では檸檬畑があるので、ありがたい話です」
ほっこりと癒されながら雑談をした。
これから戦争が始まるのだけれど、こうして気を緩められる時間があってよかった。
「ところで、フェリス辺境伯。魔術師の指揮ですが、どのような
ギュンター大将の質問に「ああ」と納得した。
送るついでに、私の指針を探りたかったようだ。
招集されたときに説明するつもりだったけれど、いいかな。
「おそらくですが、敵軍の総大将は強力な魔術師を最低一人は側に置くと思います。その魔術師の無力化のためにも、私の手の者が探りに向かっています」
「……探りに?」
実はフェリス領の密偵から技術を学んだ魔術師に、特務で裏工作を頼んでいた。
密偵や彼の存在を秘密にしておきたかったので、今まで明かせなかったが……。
「ええ。弱みだと物品より人質の可能性が高い。人質なら、私の手の者が救出する
私の推測では、順調にいけば三日前後で終わる。短期決戦を念頭に置いた作戦なので、どう事が進むのかは彼等次第。
「戦況を見て決める予定ですが……あれ?」
ギュンター大将を見れば、目を丸くして私を凝視していた。
私の考察は異常なのだろうか。前世の知識のおかげだけど、彼等は知らないし。
「これはとある戦記ものの小説を基に考えた作戦です」
「……フェリス辺境伯は、戦記ものの小説を好まれるのですか?」
「どちらかと言えば冒険ものや恋愛もの、成り上がりものも好きです」
この世界の娯楽小説は少ないけれど、少ない中にも名作はある。
お気に入りの本の話をすれば、ギュンター大将は興味深そうに相槌を打った。
布教できればいいなぁ。まぁ、難しいでしょうけれど。