「ピーター!」
「にいちゃん! にぃちゃあん……! うっ、うわあああんっ」
雷の魔術師が弟を受け取った途端、弟は大声で泣き出した。
周りの被害者も感化されて涙ぐみ、金目銀目が特徴の密偵は安堵の吐息をこぼす。
「ネロ殿、お疲れ様です」
「ああ。……ナディア様の勘は
「えっ、それって……よ、よくご無事で……!」
魔術師に魔術を行使する手段を奪われてしまえば、ただの無力な人間だ。
危ない橋を渡ったのだと想像した俺は青ざめる。
しかし、密偵を務めるネロ殿は肩を竦めてみせた。
「最悪を想定して、魔術を使わないで熟せる技術を磨かせていただいたおかげで無事だ」
「それは……ナディア様が?」
「ああ。魔術師じゃない密偵を二人つけてくださった。今、彼等は報告に向かっている」
……ナディア様、実は魔術師じゃないのか?
まるで千里眼をもって見通しているかのような的確さに鳥肌が立つ。
俺の考えていることが分かったのか、ネロ殿は苦笑気味に俺の肩を叩いた。
「ゼノン……さん」
ようやく弟君が泣き疲れて眠ったようだ。
雷の魔術師はふらつきながら呼びかけたので、俺は馬に乗るよう指示した。
「総大将の護衛の最中に暴力を振るわれたんじゃないのか?」
「うっ」
ぐっと押し黙る雷の魔術師は渋面を作る。
分かりやすい図星だ。
「だったら遠慮せず乗ってくれ。あと、同年代なんだし呼び捨てでいい」
「わ、わかった。……俺はイザヤ。ゼノン、本当にありがとう」
「礼なら俺達の心を動かしたナディア様にも言ってくれ。あの御方が俺達の指揮官として従軍しなければ、お前達の保護は叶わなかったんだ」
その後、ナディア様の人物像について聞かれたので、説明できるだけ話した。
やがてディック殿と合流し、敵の総大将を討ち取った
動揺した敵のほとんどが殲滅され、一部は捕虜として拘束。
俺達はディック殿と共に帰還し、魔術師達は専用の天幕へ連れて行かれた。
捕らえられた魔術師達は不安そうな顔をする者もいるが、大半が力を抜いていて、弱気な魔術師を
彼等に一杯のスープを振る舞うレイチェルやネイダは、配り終えると俺に気付いた。
「ゼノン! 無事だったのね……!」
「ああ。ネロ殿のおかげで、囚われた魔術師も救出できた。彼等にも……」
「もちろん、スープを運ぶわ。あ、ユリア様! 治療をお願いします!」
レイチェルの一声に、「人使いが荒いわねぇ」とユリア様が治療を始めた。
見た目は六十代前半で、純白の三つ編み、薄青緑色の瞳の美老婆。
魔術師専用の黒装束より白装束の方が似合いそうな彼女は、重傷者順に治癒魔術をかける。
「ほら、ゼノンもいらっしゃい」
「いえ、俺より先にイザヤ達を……」
「怪我を甘く見てはいけません。いいから来なさい」
有無を言わせない笑顔に気圧され、おずおずと従って治療を受けた。
……自分でも気付かない箇所を怪我していたようだ。
「ゼノン、彼女は……聖女様、なのか?」
「あ、いや、彼女も魔術師だ。治癒魔術に特化して、魔導院の長の師匠でもある御方だ」
「私は柄ではないですから、魔導院の副院長を務めさせていただいています」
そう言いながらイザヤ達の治療を手早く済ませて、備え付けの椅子に座った。
「ふぅ。ああ、そうだわ。ゼノン、後でナディア様へ報告に行ってね」
「その必要はない。今ここで聞くから」
天幕にやってきたのは、ナディア様とアンジェラ、マキシミリアン魔導院長、そしてサージェント元帥。
「……少し離れた方がよさそうね。ゼノン、こちらへ」
「は、はいっ」
急ぎ足で向かうと、ナディア様から温かい湯飲みを差し出された。
これは……レモネードだ。
遠征食の中で最も活躍した貴重な物資を分けていただけて、思わず感涙する。
「大役を
「っ……ありがとう、ございます……!」
深々とお辞儀しながらレモネードを受け取った。
程良い温度のおかげで火傷せず、甘味と酸味が疲れた体に沁み渡る。
ナディア様は
「捕虜の魔術師は、翌日にシャーウッド領へ護送する。シャーウッド辺境伯のご厚情だけど、
「「はい! ありがとうございます!」」
心身ともに安定した捕虜の魔術師達が、声を揃えて感謝した。
魔導院の魔術師や、国軍の軍人にも負けない統率力に、マキシミリアン魔導院長は当然と言わんばかりの笑みを浮かべるが、サージェント元帥は驚愕に目を見開く。
ナディア様は柔和に微笑み、また後で、とユリア様に声をかけてから天幕を出た。
将校が集う大本営にて、経緯の詳細を報告した。
アンジェラはナディア様の側で内容を書き留めて、それをナディア様へ渡す。
「……本当に、ネロが間に合ってよかったわ。彼等の報酬予定額に色をつけなくちゃ」
「それは……よろしいのですか? 今回の戦争の準備で、ナディア様は……」
魔術師達の装備のために資金を割いてくれた。それで金欠気味だと耳に挟んだ俺は、ナディア様が心配になった。
ただ、他人のいる前で個人の
もどかしく思うと、サージェント元帥が咳払いした。
「魔術師達の報酬は、陛下がご用意なさってくださる。無論、本来なら軍用されないはずの者達にも国が用意する。此度の戦では、重傷者は三桁だが、死者は二桁。特に死者は下から早く数え終えるほど、史上最小限で抑えられたのだ。奇跡的な生存者の数は、フェリス辺境伯がいてこそ叶った偉業なのだと、全員が理解している」
とんでもない偉業なのだと説明され、俺は度胆を抜く。
俺は唖然とするが、ナディア様は俺以上に驚愕のあまり目を見開いていた。
「故に、此度の功績に見合う報酬が、各々に支払われる予定だ。それと、炎の魔術師ゼノン。ディック大佐の報告より己を過小評価するな。己が功績を正しく伝えろ」
「は、はい。申し訳ございません……!」
深々と低頭すると、サージェント元帥は溜息を吐く。
「虐げられた境遇から自己主張を苦手とするのは理解できるが、我々はお前達を正しく評価したいのだ。もっと己の偉業を誇りに持ってくれ」
「……はい! 元帥のお言葉、しかと胸に刻みます……!」
ディック殿のように、俺を正しく評価してくれる。
目の奥の熱で視界が滲む。それでも力強く敬礼した。
「うむ。さて、フェリス卿。現在の食糧は?」
「明日の朝食を
「それはありがたい。では、宴会の準備に取り掛かるとしよう」
ニヤリと笑ったサージェント元帥に続き、将校達は腰を上げて料理の支度に入る。
野営の心得を叩き込まれているからか、全員が手際よく調理できる。
大量の男飯に加え、フェリス領で人気の軽食、ケバブとトルティーヤまで用意された。
「マキシムさん、これは年長の魔術師達とどうぞ」
こそっとナディア殿が魔導院長に重そうな鞄を渡した。
ガラスがぶつかり合う音に気になるが、魔導院長は中身を見なくても判ったのか、驚きの表情で目を瞠る。
「よろしいのですか……?」
「せっかくの祝宴だからね。甘口と辛口が半々あるから、二日酔いしない程度でね」
……なるほど、お酒か。
フェリス領の蒸留酒は強いと聞く。きっと氷で薄めて飲むのだろう。
ナディア様は将校達の輪に入って、持参した酒を振舞った。
しっかりアンジェラの氷で薄めているあたり、流石だと思う。
「ゼノン」
「……あ、はい。何でしょう」
「よかったな」
ぽん、と頭を撫でられて、ヒュッと喉の奥から変な音が出た。
息を呑む音にしては勢いのあるそれに、魔導院長は穏やかに笑った。
……ああ、参ったな。
フェリス領だけだった俺の世界が一気に広がり、明るく色づいた喜びにも、彼には全てお見通しのようだ。
父のような、祖父のような、尊敬する師の笑顔を見た瞬間、俺の涙腺は崩壊した。