5-3

 せめてかすり傷でも負わせることが出来れば――。
 何度もチャンスはあった。今もそうだ。黒鎧目掛けて振ったはずだ。だというのに爪は切れもしない空気を引っ掻いた。一歩後ろに下がられただけ。それだけなのに、今の自分との実力差は明確だった。

「速いな」

 黒い鎧の「異形狩りの一派 ウィルソン」は私の攻撃を見て言った。「思っていたより」の意味だろう。そこに苦戦をいられている雰囲気は感じられない。
 彼は右の盾付き鉄爪を胸の前で構える。防御の体勢。だが攻めるには危険すぎる。
 一瞬の間。固まった自分の腰の後ろ、左側に衝撃を受けた。

「いけませんよぉ。戦闘中に迷うのは」

 電気を帯びた矢で動きが鈍る。痺れている間に矢がまた放たれた! 今度は左側面。正面右からは黒い鉄爪が伸びる。
 私は踏み込み「敏捷」を使ってウィルソンの脇を抜けようとする。二つの影が視界から消えた直後、背後から風を斬る音。

「いや〜すばしっこい! こんな異形がまだいたんですね」

「言う暇があるならちゃんと狙え!」

 振り返ってようやく息が出来た。時間は大して経っていないのに、酷く長く感じる。悪態をついている異形狩りの一派は、切羽詰まった私とは全く違う様子を見せていた。

 かわされる、防がれる、いなされる。時折当てることが出来たとしても、ほとんどは極浅い。従者の遅い治癒でも治るぐらいの、なんて事はない傷。
 私は攻撃の手を全く緩めていないはずだ。にもかかわらず、追い詰められているのは私だった。

 「異形狩りの一派 ウィルソン」は黒鎧。右手は小盾付きの切れ味の良い鉄爪、左手は刺す事に特化しているであろう真っ黒い鉄爪を備えていた。冥護めいごの効果か分からないが、彼の振るう攻撃威力がえげつない上に、隙も無い。罠を全く匂わせない大振りを見せ誘い込み、次に来るのは致命を狙った一撃である。引き際も良く、近接において攻守完璧だ。
 もう一方の「異形狩りの一派 ジョージ」は軽装の鎧。変わった弓を持っていることから、まあそういう攻撃をするのだろうとは思っていた。しかし、矢一本一本が放つ衝撃は普通のものとは訳が違った。その上電気をびているのだ。矢から稲妻が轟音をともなって吐き出された時は肝が冷えた。
 この二人組が厄介な事この上ない。どちらも長短激しい能力だ。互いのそれを完璧に把握して、なおかつ補える経験が圧倒的な強さを生んでいる。

 息を整える時間はない。ジョージの構えは矢の電気を広範囲・多段的に与える攻撃だ。奴との距離が在り過ぎる。「敏捷」があっても、このままでは攻撃範囲から抜けれない!
 駆け出し「冥護:流動する霧」も発動するが、一時的だ。バチバチと光る矢が霧を掠める。実体化した体に軽度ではあるが電撃が走った。硬直する体を無理やりひねる。黒い鉄爪が空いた所へ突っ込んで来た。
 私は紙一重で避けた状態から手を振りぬく。が、ガンッと音を立てウィルソンの右腕にある盾に防がれた。腕は衝撃でしびれる。それを無視しとにかく横に跳び退けた。止まっていると不味い。さっきの二の舞になる。
 自身の筋肉が悲鳴を上げていた。異形の身体能力に物を言わせて、さっきから無茶苦茶な動きをしたせいだ。そうでもしなければ、逃げる云々うんぬん以前に死ぬ。

「素人ながら、良い動きだぜ。まあ、それも飽きてきたな」
「……そろそろ見納めにしようや」

 何をコイツ、ぬかしやがって! 顔面に一発入れたいところだが、思うように動けない。この状況に苛立ちと焦りは募るばかりで、どうすれば打開できるのか分からなかった。見えるはずもない死が、自分に向かって来ている。
 しかし幸運な事に、黒い鎧の奥で弓を大きく構えようとする姿を見た。これだ! ウィルソンにフェイントをかけ抜け出す。加速しさらに「敏捷」を使って速度を上げた。

「甘かったな」

 目の前にまで迫ったジョージから、ぼそっと吐き出された言葉を理解できなかった。
 爪が届くか届かないかという距離で、彼は迷いなく矢を放った。ただ一本の矢が、私を貫き周囲の空気ごと巻き上げる。風穴を付けられただけでなく、吹っ飛ばされたのだ!
 派手に転がって受け身は取れない。だがそれどころではない。血が抜けているせいか、押し寄せる本能的恐怖のせいか、体が変にこわばりだしてきた。動け、逃げろ!

「怖いよなぁ、分かるぜ。これから何が起きるか分かっているのに、何もできないってのは本当に怖いからな」

 背後から。ぞっとして、けれどもう遅かったのだ。もたついている間に左腕が飛んだ。前へ倒れ込んだ途端に左足がつらぬかれた。 

「それを骨の髄まで教えてやる」

 右、左と足が斬り落とされた。食いしばって耐えていた悲鳴は、それであっけなくくうへ出た。再生される神経が痛みを倍増させ、筋肉が動く前にまた切り落とされる。残った右腕を掴まれ、向き合うように持ち上げられた。

「生きたまま食われると、どれだけ苦しいと思う?」

 ウィルソンの目は深い憎悪で出来ている。私を見ているようで、見ていない。いつの日かの後悔と怒り。それを晴らせずに溜め込んだままいる生霊。
 背筋が凍える。これから来る激痛を、幼少期に与えられた暴力を、自分が何度も相手に与えたであろう痛みを、想像できない。構えられた彼の左鉄爪は、ゆっくり私の胴体へ向かって来た。ぐっと押し当てられたかと思った途端、腹を突き抜ける。

 悲鳴と絶叫が混ざった声。

 痛い痛いとも言えない、言葉にすらできない! 反射的に、ただどうにかして抜け出そうと身をよじる。それは余計な痛みをもたらすだけで、少しの改善にもならなかった。

「これがっ、貴様らの大好きな殺しだぞ!」

 ウィルソンは吠え、歯をむき出している。彼は同時に鉄爪をひねった。瓶の側にへばり付いたジャムをこそぎ落とすように、ゆっくりと力を入れて捻る。
 痛いかどうか定かでない。皮膚や内臓が引っ張られて回って千切れている。ただ叫んでいた。意識が飛んだ方が楽だ、いっそ素直に殺してくれという時に、ぴたりと刃は動きを止める。それだから、痛覚がまだ生きている事をはっきりと理解できてしまった。
 再生する臓器。開いた皮膚と口から血の泡が出る。ぶしゅぶしゅと空気が抜けて、血があふれ出した。
 私が「戻って来るまで」無慈悲な猶予ゆうよを与えられている。この「刃を捻って止める」という行為は、私の声が出なくなるまで延々と繰り返された。


――――


「死にました?」

 大した関心もなさそうにジョージはウィルソンに問いかける。彼は近くの柵に寄りかかり、哀れに痛めつけられている異形の様子を見ていた。

「反応は薄いが、まだ平気そうだな」
「珍しいぜ、これだけされて気絶しないのもよ」

 「大したもんだ」とウィルソンは続けるが、目には言葉に比例した感情は宿っていなかった。
 死にかけの異形は、拷問じみた行為を長時間にわたり受け、虫の息である。瞳孔が大きく開いて、何を見ているかも分からなかった。再生能力が機能してはいたが、微々たる血管や筋線維を作るだけに終わっている。
 それでもウィルソンは許せなかった。「こいつ」がではない。思い描くは見たこともない異形誰か。そいつによって、恐怖と痛みの中で死んだであろう妻子。むごたらしい死を体験した、愛おしい妻子。

 異形を見ると、どうしても彼女らの姿がちらついた。助けられなかった後悔と無念。それを晴らすべく、異形を殺す。
 ウィルソンは右手の死にかけを掲げて、目を合わせた。

「なあ、よく分かったか?」

「……どうせ聞こえちゃいませんよ」

 ジョージが茶々・・を入れるが、ウィルソンは無視した。
 「何が」とは問わない。言わなくても分かるはずだ。いかに自分が恐ろしい事をしているのか、いかに不毛な行為だという事が。
 覗いた異形の目には、糞っ垂れで諦めの悪い、いつの日かに見た同じ顔が――。

 おもむろにウィルソンが咳き込む。ジョージが一瞬怪訝けげんな顔をしたが、突然ウィルソンへ突進した。された方は急な出来事に対処できず、つかんでいた異形を放り出した。

「これは! ……クッソどこからだ?!」

 「いってえな、何するんだ!」というウィルソンの罵声ばせいを気にすることなく、ジョージは周囲を見渡した。それが不味かった。
 いつの間にか一帯に漂う塵。地面に転がる死にかけの異形を不自然に避けている・・・・・。発生源はコイツではない。それなり広範囲に広げられる「異形由来の塵」と言えば二つ。本体が近くにいるはずだ、でもどこから? 人目に付きにくいからと潜っていたが、入り組んだ道が裏目に出ている。
 盛大に咳き込み始めたジョージは、一気に体をむしばまれた。

「悪趣味な事をするからだ!」

 頭上から聞こえた声にウィルソンははっとした。ジョージは声の発生源目掛けてやっとこさ矢をるが、手応えはない。

「ヘ、タ、ク、ソ!」

 気を取られているうちに、液体が飛び散る音が響く。続いて来る鉄臭さに、しまったとウィルソンは顔をしかめていた。この匂いは血薬だ。あの死にぞこないに投げ使われたのだ。
 ここで逃がしてなるものか。瞬時に足を動かし、立ち上がりかけていた影を突き刺すが空振りに終わった。距離を置いた黒い異形は、外皮が形成しきれていない。
 まだだ。まだ成せる。

「ゲホッゲホッ。……かしら、この相手は不利だって! 一旦引きましょう!」

 ウィルソンは歯を食いしばった。最初、異形一人だけだったはずの状況が、どういう訳か今は異形二人になっている。あと一歩というところまで、持ち込んだのに。
 見知らぬ黒い異形、それはいい。問題なのはもう一人の「ノフナフ」の異形だ。痩せこけた揚羽蝶の様なそいつは、自慢の「羽」で飛び回り、中距離からの毒や麻痺の攻撃を得意とする。油断ならないのは鱗粉を用いた大爆発。この場でやられてはたまったものではない。
 「すすけた双鉄騎士」である自分の攻撃は、両手の二鉄爪という武器の為に、かなり接近する必要がある。唯一の中距離攻撃である魔術は、あまり得意ではない。その穴を埋めるために相棒として組んだのがジョージだ。「雷撃の弓兵」の攻撃は全て弓矢を介するため、近接戦闘にはめっぽう弱い。だが中遠距離となると、話は別である。彼の独壇場が開かれるのだ。

 しかし肝心のジョージは、乱入してきた異形の攻撃からウィルソンをかばった為に、もろに毒鱗粉をくらった。足元がおぼつかず、今にも倒れそうである。普通であれば即死級の猛毒だ。日頃愚痴っているばかりだが、彼の能力が高くて良かった。だが弓矢を扱うジョージがこの状態では、すばしっこく空を飛び、必要以上に接近しないやからを相手にするには分が悪い。
 腰にある投げナイフを使おうと手を伸ばした。たかだかナイフの十数本。当てることに苦労はしないが、これだけで異形相手を仕留めきれるとは思っていない。あくまでも牽制けんせいや誘導に使う補助的投擲とうてき道具なのだ。
 素早く投げられた二つの銀色は真っすぐ進み、実際どちらの異形にも当たった。しかし彼等は無視を決め込んで、こちらへの攻撃を優先している。ウィルソンは内心舌打ちをしていた。

 そうこうしているうちに黒い異形の傷はほとんどえてしまった。素人同然で非常に打たれ弱いが、あの速さと攻撃の鋭さは目を見張るものがある。たった今、奴に与えた傷は無意味になった。
 この黒い異形、現状は「強い」という程ではないが、放っておくにはいささか不安が残る。何よりも目だ。この目はあの性根が腐った教会長と似て、闘争を好んでいるものだ。見たところ「血真紅のブローチ」は身に着けていない。まだ教会と接触していないのであれば、これを狩る機会はいくらでもある。囲い込まれる前に、潰してしまえばいいのだから。……焦る必要はない、そのはずだ。

 冷静に目の前を掠めていく赤い爪先を除けながら、ウィルソンは退路を考えていた。犬死ほどむなしいものもない。

「どうしていつも上手くいかねぇんだ。クソ」
「……ナギャダにいる限り、逃げ場はないと思え!」

 煙幕筒を使い、足止めを行う。その間に顔の青いジョージに肩を貸し、退路を急いだ。ウィルソンにとって「逃げる」という行為は、屈辱くつじょくでしかなかった。奥歯がぎりぎりと音を立てる。それでもジョージを死なせるわけにはいかない。己の自尊心と罪悪感が、余計にそれを許さなかった。
 後悔の中ではいつも、亡霊がささやいてくる。

『お母さん、お父さん! 地下街に綺麗なお花畑があったの!』

 彼らだけで行かせたのが不味かったんだ。

『そうなの? じゃあ、お祈りの後で行ってみましょうね』

 あの時から俺は何も変わることができなかった。

『うん! きっとびっくりするわ』

 異形のせいで犠牲が増えるのはもう沢山だ。

『お父さん。どうして助けに来てくれなかったの?』

 娘達の亡霊が、いつも俺を責め立てる。






【 異形狩りの一派 】
 イル・メ・トーラの特に「異形」が行う「同族の捕食」に異論をていし、「異形を狩る」集団。現在はウィルソンがまとめ上げている。

 習わしの通り必ず二人一組で行動し、また一派は「従者」に変身する事を決まりとしている。「青い証布」は一派の印しである。
 「ミルユリル教会」とは完全な敵対関係にある。

 人ならざるはつまり、行動によって示される。しかし、より人でありたいと願う姿も、みにくい憎悪を苗床としているなら、何も違うことはない。

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(投稿:2018.04.26)
(加筆修正:2020.04.30)

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