「お客さん! ああよかった、怪我とかしていませんか?」

 宿の戸を開けた途端、フィリマーリスが走り寄ってきた。その勢いのままベタベタと体を触るので、慌てて止めさせる。彼女からすれば他意はないようだが、私はあまりいい気はしない。……とも言い切れない。下心があるのは誰だって同じだろう。

「ところで、その後ろの方は、……もしかしてあの商人の方ですか?」

 フィリマーリスに言われて振り返る。さも当然のように「やあ」と片手を上げているのはコンスタンティンではないか! 何故ここに? 私が棒立ちしている合間に、彼はそそくさと宿内に自らの陣地を作り始めた。何だ、商いでも始めるつもりなのか。傷薬や血薬、包帯、見たことのない乾物、甘い香りのする鮮やかな菓子、チャームかアミュレット的物もある。クォコズは手際よく並べられる物を見て「おお、いいモンあるじゃないか」と言い、宿屋の主は「まあ便利」と喜んでいる。……本気で商売をやるのか?

「どうせ工業区にはしばらく行けないだろうからね。ならイル・メ・トーラ相手に商売した方が金になると思ったんだ」

 「よろしく頼むよ、あんた」と当然のごとく握手されたが、これは門番探しの謝礼として払った金を、ここで回収するつもりなのか。中々にたくましい商売精神だ。めまいがする。

 遅い夕食は肉と野菜が大量に入ったスープだった。スープが出汁に見えるぐらいの量である。クォコズはつまみ食いを狙っていたようだが、早々に厨房から追い出されていた。そういう時にり師としての経験を生かすことはできないのだろうか。

 フィリマーリスは大変良くしてくれている。宿屋でありながら、食事の準備もきっちりと行うのはかなり珍しい。少なくとも今まで泊ってきた宿というのは、食事は出されたとしても簡素な内容だ。少々干からびたパンと、良くて干し肉。安全な睡眠を確保するだけでも有難いのだ。

 食材費がかさんでいるだろうと考え、金を払おうとしたが笑って断られた。「宿のことは気にしなくていいわ」と、丁度空になっていた皿にスープが注ぎ込まれた。ちょっと待ってくれ、好意は嬉しいが流石にこれは多い。

「いやぁ、こんなに美味しいなら宿屋辞めて飯屋でもやればいいのに」

 私が食い切れなった分を、コンスタンティンが旨そうに口へと運ぶ。クォコズが離れた所から恨めしそうに見ているのが面白い。フィリマーリスは少し困った顔をしながら「料理だけなのはつまらないから。宿が好きなの」と返していた。

「そういえば、イルトーラ。地下街はどうだった?」

 自分だけ食事にありつけていないせいか、若干ふて腐れながらクォコズが問う。
 濁流のように記憶が駆け巡る。宿に帰ってきてから話していない事は、異形狩りの一派と植物人間あたりか。クォコズは「他のイルトーラが考えることは分からないが」と、私の返答を待たずに続けた。

「アンタが地下街に行ってからすぐだ。保安結社の人員と警官が、失踪しっそうしている。しかも、今まで聞いたことがない程に」

 場の空気がにわかに硬くなる。

「門番も見回り組も姿が見えねえ。……それに便乗してなのかミルユリル教会や、植研会の連中が宿場街に雪崩れ込んできてやがる」
「……アンタ、何かしてないよな?」

「ちょっと待って、保安結社の人達はみんなイル・メ・トーラよ。そう簡単にどうにかされる人達ではないし、する人達でもないわ」
「それに、この人が原因みたいな言い方はやめて」

 フィリマーリスは食って掛かり反論するが、動揺は隠せていない。その時彼女の頭上に歪みが見えた。徐々に青白い触手が数を増やしていく。

「やれやれ『女王』が動いたか」

 たがう者、ホワラは緩慢かんまんな動きで姿を見せた。「女王」はミルユリル教会の信仰する違う者だ。「動いた」という事は、何かしらイル・メ・トーラ達に働きかけをしたという意味か。私がナギャダに来た時点で、それを把握できる力があるなら不思議ではない。
 コンスタンティンが「声が聞こえるけど、何かいるのかい?」と困惑の色を隠せていない。後で説明しておこう。

「あれは『力』を欲している。より濃化された力を得るには、イル・メ・トーラの人間同士で精錬する他ない」

「おいクラゲ神。何だ、その精錬って」

「クラゲではないし、神でもないわ。白痴はくちめ」
「……噛み砕いて言うならば、同族の『捕食』ぞ。お前達の言う異形なれば、そちらの方がより早く、能力を高められるのだ」
「心当たりがあるな、イル・メ・トーラの眷属よ」

 自分の口が真一文字になる。クラゲ、クラゲとからかってはいたが、やはり「叡者えいじゃ、違う者」と呼ばれるだけはある。私が宿場街や地下街で「行ったこと」は把握しているようだ。薄々察していたらしいフィリマーリスが擁護ようごしようと口を開く。

「お客さん、……その時は仕方なかったでしょ! この人は何も悪くないわ!」

「話を聞け! こやつの行いが『善か悪か』は問題ではない。女王が一度接触すれば、人のイル・メ・トーラは同じようにするものだ。……例外もあるが。人のイル・メ・トーラお前達にとって共喰いは、何も珍妙なことではないぞ」

 いつの間にか逆さまに漂うホワラ。これの関心はあくまで「女王」だ。私の心情、評判など蚊帳かやの外である。クォコズが片眉を上げ怪訝けげんな顔し、フィリマーリスは肩を怒らせていた。

「まあフィリマーリス、落ち着けよ。……話を戻すぜ。最近の保安結社や警官の失踪しっそうは、ミルユリルの女王様が、イルトーラに共食いさせて強くしようって勝手な理由で起こしているって事で良いんだよな?」
「それが原因だとして、保安結社と警官だけがこんなにも減るもんなのか? しかも警官は、イルトーラと直接関係はないぜ」

 クォコズは眉間にしわを寄せる。さりげなくスープの具を食っていた。いつの間にスプーンを用意した?
 コンスタンティンが申し訳なさそうに手を上げる。皆が視線を向けた。

「口を挟むようで悪いんだけど、良くも悪くもこの人がきっかけになったんじゃないかな。『あの門番の化け物が倒された』って話は結構広まっているみたいだし」
「どうして俺も知らなかった化け物のことを、皆が知っているのかは分からないけどね。……とにかくその話がすぐに広まって、ミルユリル教会と植研会は騒がしくなったと思うよ」
「いつもの、殺しじゃなくて『イル・メ・トーラの中から化け物が出た』ってなれば、皆それなりに騒でしょ。保安結社も警官もそっちに目が行っちゃって、教会とか植研会への警戒が薄くなったんじゃない?」

「ほう。私の姿が見えぬというのに頭は良い良い。片や随分ずいぶん不出来なものよのう」

 ……外野がうるさい。コンスタンティンは彼なりの推測を示した。
 私が倒した門番の化け物。あの事件が波及している範囲が思いの外広い。「殺人」はよくあるようだが「化け物になる」というのは少ないようだ。まあ有られても困るのだが。
 クォコズは誰にもとがめられないことをいい様に、堂々と食事を進めながら口を開く。

「はぁ〜? とすると、偶然起きた騒ぎに全員乗っけられて、そう思っていたら実は虎視眈々こしたんたんと敵は行動していたって?」

 あきれてものも言えないという風に、クォコズは溜息をついた。フィリマーリスは悔しそうに唇を噛んでいる。

 その考えには全く同感せざるを得ない。危うい均衡きんこうの上に成り立っていたナギャダの勢力図が、私の行い一つで盛大に崩壊した。
 本来であれば「イル・メ・トーラの中から化け物が出た」事象に対して、団結して対応するべきだった。しかし現実はどうだ。保安結社や警官は弱い立場の人々を守る為、イル・メ・トーラに対して・・・・・・・・・・・・警戒を強めた。きっと内輪揉うちわもめも起きたのだろう。誰しも互いに疑いの目を向けていれば、協調なんてできる訳がない。
 傷んださくは軽く蹴っただけで折れるものだ。ミルユリル教会や植研会はこの事件を好機と利用し「目障りだった連中の排除」と「人材確保」に走った。保安結社と警官はまんまとはめられた訳だ。


――――


 スープを完食したクォコズは、腹をさすりながらふんぞり返る。……幸せそうだ、もう何も言うまい。

「そういえばホワラさんよ、ミルユリルの女王様はコイツにも会ったことがあるんだよな? 『一度接触したヤツは云々うんぬん』なんだろ?」
「だとしたらいつ会ったんだ? 地下街と教会区は通じてねぇ。それにこのイルトーラがナギャダに来た時は、宿場街と教会区の大門は閉じられたままだぜ。通行証を持っていないコイツが、行ける訳ないんだが――」

 糞野郎め! 最も触れられたくない話を蒸し返してきやがった。
 ガタッっと大きな音を立てて立ち上がった私を見て、彼は驚きおびえる。フィリマーリスが私の肩へ、落ち着くよう手を置いてきた。

「どうなさったんですか、実際行っていないんでしょ? なら別に怒るような話じゃないですよ」

 そうだ、私はその教会区にまだ一度も立ち入ったことがない。「女王」なんて一度も会ったことがない。何も怒る理由は無い。なのに何故苛立いらだちを覚えるのだ。
 心はざわざわと、言い知れぬ不安を抱き、くすぶる。違う、認めたら終わりだ。きっと私は「人でなし」になる。
 ホワラは、も当然と真実を告げる。

明瞭めいりょうに説明せねば、理解できんか? それとも事実に気づいたか。……お主は既に邂逅かいこうを果たしているぞ。忘れた訳ではあるまい」
女王あれが姿を見せるのは極まれだ。故に、多くの人のイル・メ・トーラは『黒い霧』と認知する」
「『飢え』はその時触発され、力を求め共食いを始める。未知への好奇心は、女王の望み、その蓋然性がいぜんせいをより確かなものへと昇華させる為だろう」
「そしてあわれにも走狗そうくとして放たれ、有象無象の一つと扱われる所。……あれの眷属であるならば、女王自らが出向いたことに、歓喜で震えるべきであろうな! 特にお主は、女王に溺愛できあいされているのだ」

 愕然がくぜんとする私に対し、ホワラは笑っているのか奇妙な言葉を並べていた。ほとんどの言葉は、羅列られつした音にしか感じられなかった。でも「良かったな」だけは聞き取れた。
 聞き取れないはずなのに。

 「黒い霧」は確かにたがう者だった。ミルユリル教会の「女王」と呼ばれる違う者だった。……私はずっと、この街に来てからずっと「自発的に行動している」と思っていた。
 でも違った。女王につかわされていただけだった。クォコズが疑った通りじゃないか。一匹の走狗のせいで、人が大勢死んでいる。

 でも自分の意思じゃなかったんだ! 人を殺したのも、人を食ったのも、化け物を倒そうとするのも、好奇心で探ろうとするのも――。
 「全て」が、全て自分ではなかったのか。全て女王の意思だったのか。

(本当にそう思っているの?)
(少なくとも途中から「欲しい」と思ったよね)
(殺してでも「食いたい」と思ったよな)
(そうして「人間を食い殺した」だろうが、お前)
(お前がやったんだよ。お前が行動したんだよ)

 得体の知れないものが、体をいまわっている気がする。腕をさする。体は冷えきって、気持ちが悪い。喉元を引っく。部屋の影から覗かれているように感じる。手を握り締める。気が休まる事はない。見なくてもいいものが見える。頭が震えた。
 フィリマーリスの目が恐ろしくなって、クォコズの目が私を嫌悪し、コンスタンティンは怯えている。
 そう見えるだけ。何が正しい。どれが事実なんだ。

 来なければよかった。こんな街。村で耐え忍んでいた方が、余程よほど良かったじゃないか。自分が自分でない何かに使われるなんて、おかしいじゃないか。
 この不気味な感傷を、なぐさめてくれる、寄り添ってくれる者はいないのか。そういえば「友達」は? 私の唯の友達はどうしたんだ? 地下街に入って以来、声が、気配が、感じられない。
 不安で息が詰まる。立ち止まているのが落ち着かなくて、走って外へ飛び出る。「友達」がそばにいるはずなんだ。周囲を見渡すが、いない、……いない! 代わりにあるのは「月のような目」で、こちらを責める様にじっと見ているんだ!


 けたたましい絶叫が宿場街に響くが、それを不審がる人々は少なかった。ほとんどはそこにいないか、無視したか、あるいは同族の覚醒を喜び、あるいは窓に映る怪奇の影に怯え、同じように気狂いを起こしていた。
 片割れの大きな月は、日を追うごとに明るさを増している。人とたがう住人達が、それに呼応するように、姿を見せ始めていた。

 幼子は、の者の知らぬ所で、その哀れな姿を嘲笑あざわらっている。共に歩まんとするなら、より深い方へ、深い方へ。深淵を超え、なお深いそのへ。
 幼き眷属よ。お前が私を気に入るように、私もお前を気に入っている。か弱きお前の為に、死は遠い所へ追いやった。さあ、おいで。お望み通り遊んでやろう。その血は既に目覚めたのだから。






【 フィリマーリスの具沢山スープ 】
 フィリマーリスが作る肉と野菜が大量に入ったスープ。
 食べると一時的に体力の底上げと、異常耐性が付加される。

 あふれんばかりの具材に、香辛料の利いた塩味が基本。飽きが来ず、芯から体を温める。

 量が多いとなげく事はない。それは人を思うゆえの優しさであるのだから。

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(投稿:2018.04.28)
(加筆修正:2020.04.30)

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