7-2

 確かにナギャダは恐ろしい街だった・・・。今の私に、骨董屋の店主の言葉はあまり響くものではなかった。
 黒い霧、つまるところ「女王」との邂逅かいこうは、私にイル・メ・トーラとしての目覚めを与えた。そして、常にイル・メ・トーラの力の向上を目指す「飢え」と、捨てきれずにいる人間性とがせめぎ合いを起こしている。この事態に恐ろしいよりかは、自分の意志の弱さ――不甲斐なさが目についてた。
 それと月に「目」を見た時から、見える世界が若干変わった。これが普通だと感じていた、モヤ掛った世界が晴れた。知らない面が見えるという事が、どれ程感動的か!
 ともあれ、それで強調される格好になった好奇心により、私は「教会区」へ向かった。例の植物人間には悪いが、善意のみで行動できるほど徳の高い人間ではないのだ。


 門番は既に姿がなかった。最近の事件故に逃げ出したか、捕まったか。どちらにせよ少しばかり質の良い紙切れ――通行証にわざわざ金を出さなくて済むのは助かる。
 そう考えている所に保安結社の腕章を巻いた男が寄って来た。

「あんた、無事だったか!」

 第一声からして面識がありそうだが、生憎覚えていない。誰だったか。

「覚えていないのは無理もないさ。……あんた来たばっかりの頃に橋の下を覗いていただろう? その時に声を掛けたヤツだよ。『その下に興味があるのか』ってよ」

 ああと合点して、思い出した。親切な忠告をしてくれていた。私の行いのせいで全くの無意味だったが。

「俺はヘグドット。宿場街の見回り担当だ」
「『地下街に行った』って人伝に聞いてな。驚いたぞ、『イル・メ・トーラ』も知らないような人間が、しかも夜に出歩きやがったって」

 「保安結社員ヘグドット」は大きな溜息をついた。それには呆れも含まれていて、私は思わず顔に手をやる。面の縁をなぞる癖に気づいたのは、つい最近だ。

「まあいいさ。それよりも、あんたこれから『教会区』へ行くつもりなのか?」
「……別に通行証の金を取ろうなんて言わねえよ。ただ、心配だ」
「知っているとは思うが保安結社はもう、組織のていを維持できていない。最低限の治安を守るのが俺達の役目だったが……」

 ヘグドットはうつむく。所作の随所ずいしょにもどかしさが出ていた。

「……手遅れらしいな。歯止めのなくなった気狂い共がどう動くか想像もつかん」
「だから気を付けろ」

 彼は口をぎゅっと結び「詰所の合鍵」を渡して来た。私を信用したという訳ではないだろう。どうにもならないからこその自棄が痛々しい。

「せめて、見知った人間には死んで欲しくない」
「……俺は見回りに戻るよ。近所のヤツぐらいは守ってやりたいんでね」
 
 ヘグドットが立ち去る。背中は哀愁あいしゅうが漂っていて、何だか居たたまれない。私は義務感を覚えて、彼の姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。


――――


 巨大な鉄格子の門は象徴的な意味合いが強いらしく、普段使われているようには感じない。これが活躍するのは祭りの時ぐらいだろう。活躍と言っても開いて閉じるだけだ。そこら辺の家でもできる。
 番屋のすぐ脇に人一人が通れるような大きさの門があるので、いつもならこちらを使っているのだろう。門番がいない為に扉は閉ざされているばかりと思っていたが、そこは開いていた。
 考えてみれば当然の話だ。教会の中に犯罪紛いの事をしている人間がいるのなら、出入りがしやすいよう開け放つだろう。その事に恐怖している者が、ナギャダで一体どれくらいいるのやら。朝から賑わっていた商店を思い出して溜息をついた。

 息の詰まる狭苦しい門を過ぎると、宿場街とはまるで違う装いが新鮮さを与えた。天に登り詰めそうなほど高い建物。宿場街からの壁越しにもわずかに見えていたが、近くに来ると覆い被さるような圧迫感がある。それらのほとんどが「教会」というのは、正に異様。
 だが相変わらず脇道は入り組んでいる。至る所に案内板があるのは外部から来る巡礼者への配慮か、助かった。地図を広げ案内板と見比べながら確認し、メモを書き込む。私は骨董屋の店主が言っていた(そして「植物人間」と関係があるであろう)「オムニス教会」には向かわず、近場の別の教会へ足を向けた。

 元々私の家では――何の教えかは忘れたが(恐らくよくある農耕とかの神様だ)、それなりの信仰心が根付いていた。収穫した穀物や森から採ってきた木の実や植物は、必ず家の小さな置物の前に置いて、祈りの口上を述べてから使う。獣や家畜にしても、同じことをしていた。殺す前に許しの口上を述べて、殺して血を抜き、解体する。
 「なぜ?」とは聞いた事がなかった。当然といつも行っていたから。私達が食べなくては死ぬ事、息をしなくては苦しい事のように、それらも理由なく受け入れていた。
 今言うなら。故郷を離れ、旅で見聞きし体感した上で言うのであれば「自己満足」なのだ。祈りあがめる事で、少しでも恵まれる様に。祈りがあることで、自分の罪悪感を少しでも減らしたいという――。
 反吐が出る! 自分がやった事に罪悪感を感じて、他人に、しかもいるかも分からない、叶えてくれるかも分からない存在に「叶えて、許して」だなんて!
 ……詰まる所、私は故郷であった宗教が大嫌いになったのだ。これは記憶の中に必ず両親があることで、後に振るわれる暴力を思い出すからだろう。信仰したところで、はなから私に明確な救いはなかったのだ。
 だからナギャダの教会に入信しよう、という話ではない。ただ「ナギャダの教会は私に近い気がする」という、酷く曖昧な予感がしている。血生臭い、罪を罪とも思わない連中がいる街だ。「救ってください」などと半端な信仰はしないだろう。
 ミルユリルやオムニス教会の噂のように。


 薄く埃を被った長椅子達。長い事使われていないであろう燭台しょくだい。初見でも出入りがない事が分かる。
 「アヴァランギスタ教会」は昔は栄えたが、今は廃れた教会であると、残っていた修道士が言う。薔薇ばら窓のほの暗い光を浴びながら彼女は「自分がおそらく最後の信者であろう」しゃがれた声で続けた。

 「いずれ終わる日の為に、苦しくとも慈悲深くあらん」とする信仰は、イル・メ・トーラ以外の人間にも広がり、教会としてははかなげだが確かな地位を築いていた。
 ナギャダでは普通の人々を「只人ただびと」と言う。それに他意はなく、自分達とは違う人達という意味だった。只人にも恩恵があることは、設立当時でも珍しい事だったそうだ。

 曰く「邪教」。
 イル・メ・トーラに違う者へ信仰があれば、紋章を授けられるのが普通だが、ここアヴァランギスタではそれがない。代わりに太古に存在し、違う者を信仰していた「古い人間」の紋章を与えているのだとか。
 それ故、違う者であるはずの「アヴァランギスタ」の存在そのものが疑われた。挙句、現代のイル・メ・トーラの多くはあからさまな態度に出さなくても、只人を嫌っている節がある。その只人にまで加護を与えるのだからきっとくない違う者なのだろう――。
 噂は噂を。悪意と嫌悪を混ぜた噂が、教会を中心に渦を巻いた。三大教会として馳せていた信仰は地の底まで落ち、今や正に「終わる日」を目の前にしている。

 老婆の、長い訳でもない語りは、諦めの匂いを漂わせていた。ヘグドットの姿を重ねてしまう。
 その間、屋内で赤子が泣いていた。場所がいまいち把握できない。修道士も気にしていないようなので、誰かそばにいるのだろう。

「ここはもう、形だけ。信仰の骸だね。アヴァランギスタは月、『静かな月』を信仰する」
「むやみやたらにあがめる訳じゃないよ。静かに、薄暗い月の影に身を置いて、その月光が絶えぬようにするのが我々」
「何? 意味が分からないようだね。まあそのうち理解できるよ。分かる時期が来たら、もっと詳しく教えてあげよう」
「で、どうする? 月の影に住まい、月光を絶やさぬという誓いを立てるというなら、あそこへ」

 指差された先は、石造りの祭壇。何故か手入れされている揺り籠がある。肝心の修道士はあまり期待は抱いていないのか、さっさと椅子に戻って行った。
 私は正面に移動する。熱心に信仰する気がある訳ではない、面白半分だ。信仰によって「救い」とやらが本当にあるのか、誓いを立ててみようと思う。
 後ろの方からかったるげに「手を祭壇へ」と言われる。見透かされているのだろう。ともかく右手を台へ添える。
 すると揺り籠が、中に何もいないのに、ゆっくり揺れた。私は一切触れていない。祭壇に軽く手を添えただけだ。泣きじゃくっていた赤子が笑い声を上げた。どこから? この揺り籠から?

(「君もまた、茫洋ぼうようから逃げてきたか」)

 それを呆然ぼうぜんと見ていると、いだ頭の中に紋章が浮かぶ。屋内で響いていた赤子の声はそれっきりで、揺り籠も動きを止めた。

「おや、その子が笑うなんて。珍しいこともあるもんだね」

 修道士はぼそぼそと言って、だがそれっきり赤子のことは何も話さなかった。






【 詰所の合鍵 】
 保安結社員ヘグドットから渡された、門番詰所の鍵。実質、大門の鍵である。

 ナギャダの街では区画を設け、通行証の発行で人の流入を管理していた。無用な流血を避ける為、苦肉の策である。

 痛ましい歴史に基づいて、その区画は数を増やしていった。
 高い壁と遮られた視界は、彼らの距離を言葉なく語る。

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(投稿:2018.10.15)
(加筆修正:2021.03.02)

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