最初の三人

【注意】女性への暴言、汚い言葉があります。







 あれではまるで化け物ではないか――。

 完全な変異を遂げたミルユリルの亡骸を前にして、ヤガタは立ち尽くしていた。苦労して追い詰めたイル・メ・トーラの異形。だがその代償は、彼らにとって余りにも大きい。勝利の余韻は感じられない、虚無感が押し寄せていた。あの猛攻をどうにか生き残ったネペンテスも、息が上がっている。

「糞がっ。この糞売女ばいたがっ!」

 慟哭の合い間に、憎しみを込めて叫ぶネペンテス。彼らの後ろには、胴体を散らかされたステンタフが事切れている。目は開かれたままで、そばに行ってやることもできなかったのだ。
 連れてこなければよかったとも思う。だが彼がいなければ、今生き残った我々も死んでいただろうと、頭の隅では考えていた。


――――


「『酒が不味い』ってのは、こういう時の事を言うんでしょ?」

 ステンタフが開口一番に言う。呼応するように、ネペンテスは酒を口にしながら「もう一つ言えば『反吐が出る』だな」と付け足した。ヤガタもつまみを前にして、気だるそうな顔をしながら続く。

「それだけで済めばいいんだが。そうはいかないそうだ」

 ガヤガヤと騒がしい酒場の中で、集う三人は場違いな空気をまとっていた。いかにも「大事な案件ですよ」といった風である。
 理由はいくつかあったが、特に重要なことは二つに絞られた。

 一つ目の理由。三人が集う数か月前。ナギャダで殺人事件が起きた。当時の治安の悪さから考えれば、別段珍しいことではない。ただの殺人事件であればの話だが。
 どの人物も死体が無かった。冗談ではなく、大真面目に死体が存在していない。残っていたのは飛び散った大量の血液と、その人物達の手形ぐらいである。引きずった跡はなく、他に考えられるのは担いでとか、何かに入れて持ち去るぐらい。だとすれば、人間の死体は重い。一人で行えることではないはずだ。警官達は複数犯だと考えていた。

 だがヤガタがいぶかしがったのは「何かの足跡」についてである。当時それを見た多くは「死体を漁りに来た、獣か何かだろう」と言って気にも留めなかった。確かに獣。鋭い爪の跡がある。しかし本当に獣か? 彼は街で生まれ育ち、森に住む獣の事など良く知らない。一応として、ヤガタは知り合いの猟師に、スケッチした図を見せて尋ねた。「この足跡を見たことがあるか」と。猟師は首をかしげた。「さぁて。何だろうな? 狼にしては大きすぎるし、指が長い。もし大熊だったとしても、こんな足はしていないぞ」


 時を同じくして、ネペンテスは息を殺して物陰に潜んでいた。彼はその足跡の持ち主が、正に殺人を犯している現場に遭遇していた。腕っぷしに自信があり、用心棒として声をかけられることも多かった彼が、体を小さくして隠れている。もしステンタフが見たら腹を抱えて笑っていただろう。だが今は全く笑える状況ではなかった。

「(人間じゃねえぞありゃ。悪魔か? 化け物か?)」

 ぐちゃぐちゃと肉をむさぼる音の中に、時折骨を噛み砕く音が聞こえる。コイツは全て平らげるつもりらしい。一向に動く気配がない。月明りに伸びる影は、時折霧のように揺らめいていた。木箱の後ろから顔を出して、それの姿を拝む勇気はない。ネペンテスは身動ぎ一つできずに、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

「(早く終われ、早く終われ!)」

 無意識に体を震わせている彼の存在は、すでに気づかれていた。奥歯を剥き出してニタリと笑う化け物は、けれどネペンテスにかすめる程度に触れて姿をくらました。

 この話以外にも、ナギャダではたちまち「黒い化け物」の噂が広まった。被害者の多くは、最近アヴァランギスタ教会が教えている「イル・メ・トーラ」という血統であった。普通の人間と見た目に違いが無いため、自身がそれだと気づいていない者も多くいた。だから余計に犠牲が増えていったのだ。
 対抗策を全く行使できなかったわけではない。例にアヴァランギスタ教会は積極的に「異形と従者」の事も教えて回った。多くは人が所以ゆえんである「従者」を選び、化け物へ備えていた。しかし、戦い方などロクに知らないために、それも虚しい努力と終わったのだ。

 また同時期に、「黒い化け物連続殺人犯」とはまた違う、「異形達」が現れ始めた。人ならぬ姿の彼らは「ミルユリルの同胞である」と口を利き、「異形」へと誘惑の文言を吐いて回った。
 もちろんヤガタ達の耳にもそれは入った。イル・メ・トーラとして優秀な能力を発揮していた彼らだが、三人とも誘いには首を横に振った。ヤガタが初めて人を手にかけたのも、その晩だった。「異形」に襲われた中で、彼は「従者」に化けて戦い、初めて「生き残った」のだった。
 この事件を皮切りに、「従者」へと化けるイル・メ・トーラが増えた。またヤガタ等を含む「三人」に戦いの教えをう者も列を成した。だからなのか余計に血みどろが増え続け、ナギャダは混迷を極めていた。

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(投稿:2018.07.16)
(加筆修正:2018.07.16)

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