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 黄色みを帯びた月光が降り注ぐ。真上の空はまだ夜の冷たさがあるが、あと数時間と掛からずに太陽が顔を出すだろう。

 気持ちがいているのか、早足で最短であろう道を進む。フィリマーリスと軽く打ち合わせをしながらだ。彼女は「自分の方が戦い慣れているし、打たれ強いから」と言って、「私が前、あなたが後」と提案してきた。「もしあなたが最悪戦闘に参加ができなさそうなら、石でも投げて相手の視線を誘導するだけでもいい」――そういう話までされたが、いくら何でもおんぶにだっこ過ぎるだろう。戦闘未経験、ではないのだ。自信を持って「はい、戦えます」と言える程でもないが……。
 無論、ただ黙って棒立ちしているつもりはないし、前回のような失態を犯すつもりもない。自分の実力は把握できたのだから、後は行動で示せばいい。あの三人衆のような自惚うぬぼれはない。

 問題の広間に再び訪れたとき、化け物はまた中央の日入れ穴からゆっくりとい出てきた。だが私が見たあの最後の姿ではない。どういう原理かは知らないが、初めて遭遇した時の姿に戻っていた。
 フィリマーリスは「うぇっ」と小さな声を漏らす。

「思っていたより気持ち悪い。……さっきも言った通り私が前で、あいつの視線を引きつけます。あなたは隙を見て攻撃してください」

「無理せず冷静に」と続けて、彼女はホワラの異形へ姿を変える。少しもおびえることなく、化け物の眼前へと躍り出た。奴はすぐに反応し、突進してくる。
 突進と言っても遅く、まるで軟体動物のそれを、彼女は難なく避けていった。断続的に身体ごと突っ込んでくる怪物は、その都度体勢を整える事に時間を要している。フィリマーリスはこの動作を見切って、鞭のようにしならせた攻撃を繰り出した。2、3発当てるとすぐに距離を置く。非常に安定した戦い方だ。安心できる。
 化け物は、これではらちが明かないと考えたのだろう。距離を保ったフィリマーリスに対して、異質な長い腕を駆使し攻撃しようとする。
 何度も言うが、奴は基本動作が遅い。今の状態・・・・なら少し走れば普通の人間でも避けきれるだろう。つまり、熟練の元保安結社員相手では、永劫えいごう通用する事がないのだ。

 化け物の注意がフィリマーリスへ完全に向いたところで、私も両手を構えた。素早く奴の背後へ回り込み振りかぶる。ぶちぶちっという音を出して、確かに当たった感触がある。当たってはいるが、触手もどきがうごめいているせいで、本体の肉を裂いている手応えがない。見た目柔らかいゼラチン質ばかりだと思っていたが、場所によっては分厚い毛皮のように機能していた。
 これは厄介やっかいな。相手の観察をしていると、最初かち合った時の自分の愚かさが悔やまれた。あれでよく生き残れたものだ。

 視界の端に動きをとらえたので、反射的に体を屈める。頭上を半透明の塊が勢いよく過ぎて行った。化け物は、背中側にいた私に気づいたのだ。次に構えられた巨大な腕は、その位置からして振り下ろされるだろう。一度退いて奴の攻撃をやり過す。奴の腕は丁度2人分空いた距離に下ろされた。加速するのに丁度良い間隔だ。ぐっと踏み込み、鋭い突きを繰り出す。
 フィリマーリスは化け物の注意を再度戻すべく攻撃していた。奴はもう一方からの脅威にやむなく体の向きを変える。私はそれをしっかり確認してから、今度は化け物の横へ引っ付いた。あの突きを繰り出した後、加速は落ちることなく継続している。
 化け物の横っ腹の皮は背中側より薄いようだ。私は腹を叩き潰された恨みも込めて、左右の手を熊手のように振るう。素早く、鋭く。4連撃から最後に溜を取って、強烈な一撃をくれてやった。少しは効いただろう、胴が千切れる苦しみを味わえばいい。

「下がって!」

 フィリマーリスが叫ぶ。私は慌てて後ろに飛び下がった。攻撃に夢中になって、奴の動作を見ていなかった。あきれた! 「自惚うぬぼれはない」とか言いつつ、戦い始めるとこれだ。素人感丸出しじゃないか。
 落ち着け、冷静になれ、相手をよく見ろ、欲張るな!

 前の時のようにうずくまっていた化け物の腹から、ぶくぶくと得体の知れない物体が膨らみ、破裂した。周囲に夜空のような体液が飛び散り、水っぽい音を立てる。

「嘘でしょ。こんな話ってあるの?」

 彼女も初めて見た化け物らしい。驚いてはいたが、場数を踏んでいるだけはある。少しの動揺も見せず、冷静に奴の肥大した触手をかわしていく。

「あいつの攻撃は大振りよ! 腹の方に潜り込んで」

 何度目かの動作の後、彼女は私に向かって言った。この短時間にフィリマーリスは「避けるだけ」の行動を繰り返し、攻撃の癖を見極めていた。
 私は言われた通り腹側へ入ろうとする。その間彼女は化け物の顔正面へ素早く接近し、ビンタのような攻撃を繰り出した。奴の気を引いておとりとなるつもりらしい。心の中で感謝を告げて、私は化け物との戦闘に集中した。
 奴は触手が背中側にあるのと、その大きさのために逆に近い位置を狙いづらくなっているようだ。肝心の攻撃も、大きな音と威圧感を出すだけで、実際はほとんど私に届いていない。
 大丈夫だ。避けれない攻撃ではない。欲張らなければ問題にすらならない。

 化け物は焦ったのか、私に意識を集中し始める。フィリマーリスに向けていた視線を、あからさまにずらしてきた。そこまでやっても、化け物の膨れた触手は私に届かない。そればかりか変異した後は動きも鈍重としていた。
 フィリマーリスはその絶好の機会を逃さない。体をじり縮めて大きく溜めを取る。瞬間弾けるかの如く両腕の触腕を振り払った。触手は周囲に鋭い音を響かせながら、奴の頭部に直撃する。レンガが砕けたのかと思った。肉や骨が潰れた音には聞こえなった。普通の生物なら死んでいるだろう。
 人の悲鳴のような金切り声を、化け物は上げる。耳をふさぎたい衝動に駆られたが、止めを刺す事を優先した。地面を2回ほど蹴り上げ、奴の正面に移動する。倒れたところに私が追い討ちをかけた。頭を押さえつけ、化け物の喉笛を食い千切った。

 静かに体を起こしたので、まだ生きているのかと距離を置き警戒する。しかし化け物の体はしおれるように色を失い、大量の赤黒い霧に変化していった。一部の残った体液は、まるで腐った魚の強烈な臭いを発している。

 緊張から解放された自分の呼吸は荒い。心臓は音を立てて存在の主張をしていた。勝ったんだ。あの生理的嫌悪をもよおす化け物に! 思わず声を荒げた。私は勝った、奴を倒したぞ!

「倒せて良かったわ。初めて見た化け物だったから、どうなるかとちょっと心配していたの」

 彼女も怪我一つない。肩の力を抜くように腕を振っていた。ホワラの異形姿だと両腕の触手がわらわらと動いて、どうにも愉快な踊りを踊っている人型クラゲだ。少し面白い。
 ひとしきり勝利と無事生き残れた感覚を味わい、落ち着いてきたところで残った奇妙な色の血溜りに目が行った。星のように光る中で、別の光を反射する何かが見えたので拾い上げる。べっとりとした液体を振り払っている間に、フィリマーリスも異形の姿のまま近寄ってきて覗き込んだ。腕全体を使って音を出す程振ったが、中々粘着質だ。あまり取れなかったので仕方なしに手で血液を拭う。察しはある程度していたが、どうやら鍵のようだ。

「この鍵……。あ、プレートに字が彫ってあるわ。……地下街門?」

 鍵は宿場街と地下街を繋ぐ門のものだった。

 本来持っているはずの門番が行方不明になり、化け物が表れた。ホワラは化け物アレが「人のイル・メ・トーラがなる」と言っていた。加え、化け物が鍵を持っていた事を考慮すると、

「門番があれになった、ということ?」

 理由は分からないが、フィリマーリスの言う通りだろう。「門番は化け物になっていた」のだ。
 ……私は善意と、少しの打算で人助けをしようとしただけだった。それは尋ね人を結果殺す事になった。後味の悪い達成感とはいい皮肉じゃないか。

 紆余曲折うよきょくせつはあったにしても、地下街への門の鍵は手に入れた。あの商人に会わなくては。
 腕が元の形に戻る。鍵を握りしめると、どっと疲労が押し寄せてきた。疲労もそうだが、心も重い気がする。先程の勝利の余韻と達成感は、一体何だったのだろう。

 空は白み始め、2つの月は消えかけていた。

 見えない「友達」が歓声を上げている。






【 感応の化け物 】
 姿形は様々で、主にイル・メ・トーラの人間が叡者の姿に似通った変質を遂げる。

 多くはナギャダ保安結社により葬られ、または気付かれる間もなく消えていく。

 ある種の人間たちは、叡者へ渇望を向ける。しかし理解の及ばなかった彼らは、同族を利用した俗物的な研究を続けた。その成果はやはり、人間の域を出る事はない。

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(投稿:2019.04.22)
(加筆修正:2020.02.10)

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