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フィリマーリスを先に帰らせた後、地下街の商人に会うために広場から地下街門前まで移動した。門の付近に彼の姿は確認できない。流石に危険な夜間に待ち惚けする事はなかったようだ。再び彼がここに来るかどうか確証はないが、当てを付けるなら他にない。
半透明の化け物の体液は思っていたより匂い立つらしい。自分の鼻が慣れてしまって全く認知できていないが、通りすがる人々は皆距離を開けて私の様子を窺っている。早朝から居座っているので、余計勘繰られていそうだ。人の出入りが多い街と言え、こんな時間から観光する人間もいないだろう。向けられる視線に私は内心溜息をつき、商人が早く姿を現わさないかとうなだれていた。
それからもう少しばかり太陽が輝きを増した頃、彼はやって来た。私の姿を目に入れた瞬間走り寄って来て「どうだった!?」と開口一番尋ねてくる。お望みであろう鍵を渡すと、何度も感謝の言葉を述べられた。私が思っていた以上に嬉しかったらしく、涙を拭う仕草もみせる。仕舞いには「今は金を持ってきていないから、是非とも自分の店へ来てくれ。そこでちゃんとお礼をする」「地下街は工業区とやり取りしているから、滅多に出回らない希少な物もあるんだ」と興奮した声色で語った。傍から見ていても彼の歓喜は一入であろう。
しかし私は心労と疲労から、一刻も早く床に就きたい一心で話を切り上げた。
「その時に見慣れない格好のヤツが……あ、ああああ!」
身体を引きずる様にして宿に戻ると、覚えのある顔がいた。椅子の音を大きく立てながらその男は立ち上がっている。人に指を指すんじゃない。
その顔はどう見ても、前に私の財布を掏った本人である。何故ここに? 疑問が頭をよがるが、それよりもこの洒落た服の野郎を逃がさないようにするのが賢明だ。前は油断していたが、今回はそうはいかない。
がっちりと自分の背後にある扉を閉めた。鍵も掛けた上で、男に近づく。
「いやいやいや、これはまた……」
「クォコズ。あなたまさかとは思うけど、うちのお客さんから掏ったの?」
クォコズと呼ばれた男は非常にうろたえていた。想像していない再会を果たして、互いに驚愕しているのは同じらしい。だとしてもこの野郎、人に指を、指すな!
そしてフィリマーリスとは知り合いだろうか。彼女は恐ろしく面倒くさそうな顔をしている。判断に困る。ともかくフィリマーリスと友人であっても温情をかける理由にはならない。私は問答無用で奴の胸倉を掴んだ。
「わ、悪かった! 悪かったよ、つい出来心でやっちまったんだ」
「いっつもそればかりよね。もう少し他の言い訳を考えたらどうなの」
フィリマーリスは厨房に向かい「お腹空きませんか、何か作りますね」と、何事もなかったかのように振る舞う。突っぱねた対応を見る限り、彼と特別親しい訳ではないようだ。
私は顔だけ彼女に向けていた。拳がギリギリと音を立てる勢いで力を増していく。
「返すよ、返すから! 一旦手を放してくれぇ」
自ら悪事を働く割には情けない声で言うのでクォコズを解放する。手をばっと離すとよろける様に椅子へ腰かけ、安堵した素振りで胸に手をやっていた。何だその「凶悪な犯人に殺されかけたが助かった」みたいな反応は。その間も私は睨みを効かせたまま立っていた。フィリマーリスがいなければ既に二、三発程腹に打ち込んでやっていたところだ。彼女に感謝して欲しい。
この糞野郎の様子を見るにどうやら言い訳があるらしい。打算的にものを考えるなら、もっと入念にすべきだったろうに。今更だが雄弁を振って何を得れるか見ものである。
彼は両手を宙にさ迷わせながら口を開いた。
「今は、その〜……金が無いんだ。その代わりといっちゃあ何だが、あんた、他所から来たんだろ? 俺がナギャダのことを教えるってのはどうだ?」
「も、もちろん、ちゃんと金は返すって! ただ少し時間をくれないか?」
これは銀以下だ、間違いない。
「掏った金は返すから」と答えるだけで、律儀に待って許してやれるほど私はお気楽な人間じゃない。何よりこちらにどんな得があるのか。ただでさえ確証も保証も示せない盗人相手に信用などあるものか。
腕を組み、首を傾げて疑念を示す。ついでに足で音を立ててやった。彼はやや震える声で「例えば、そうだ」と言った。
「あんたイルトーラなら、宿場街の東に住んでる『賢者』を知っているか? アイツなら叡者達に引き合わせてくれるぞ」
どうだ言ってやったぞ、という風な顔で――椅子からそろりと何歩か後退するクォコズ。違う者、今のところ知っているのはクラゲ……ホワラと借りた部屋にいた「黒い霧」だけだ。イル・メ・トーラだからといって、異質な存在と好んで関りを持つ必要はないだろう。信仰だけならともかく、妙な術師でもあるまいし、むやみに接触する意味は現状少ない。
クォコズは良い反応を期待していたようだった。だが腕を組んだまま微動だにしない私を見て「じゃ、じゃあこの話はどうだ」と慌てて別の情報を提示する。
「最近、ナギャダにいる警官が行方不明になっているんだ。どいつも『この街の秘密を暴いてやる!』って、意気込んでいたらしいが。下手なイルトーラに関わると、碌な目に遭わねぇってのに」
「いや、あんたの事じゃねぇよ! 落ち着けよ、手を下ろしてくれ!」
「……それで、何だっけな。そうそう、あと地下街に『異形狩りの一派』がしゃしゃり出てきているってよ。まだ数は少ないそうだけどな。行くなら……異形に化ける奴なら特にだが、気を付けるに越したことはねえだろう」
――――
クォコズの言った通り、地下街ではやけに殺気立った連中がちらほらと窺えた。一帯に漂う悪臭のせいだろうか? 私も眉間に皺を寄せながら足を進めている。
宿場街の門から階段を下り、円形状の広場に出る。頭上は門番だったらしい化け物と戦った辺りで、日入れ穴がはっきりと見えた。ここは丁度真下に位置している。
悪臭の原因はやはりと言った具合で、宿場街の汚水だった。石造りの家々、その外壁を這うように伸びた水路は、全てそれが流れ来ている。最終的に地下街の汚水と合わさって、金網の張られた側溝を湯気を上げながら進んでいた。
「異形狩りの一派」と思しき奴らは、常に二人組で行動しているようだった。この広場に一組を見た。装束に統一性はなさそうだ。身に着けている物を見ても、特筆すべきことはない。あるとすれば、腕章の如く巻かれている、目の覚めるような青い布。他は至って普通。そう普通だ。
すれ違った時、彼らは立ち止まってこちらを見ていた。異郷の服は悪目立ちするが、それ以外にも理由があるだろう。彼らから獲物を探すような鋭い視線を感じ、私は心中浮足立つ。
……相手が一人であれば、良かったのに。何故だろう「黒い霧」と邂逅を果たした日から、「飢え」を覚えてならない。「胃を満たす」などという意味ではない。違う、違うが表現のしようがなかった。認めたくないのだ。
(「血」に飢えている? そんなはずはない!)
門の近くは居住している者が多いらしく、数は少ないが人通りがあった。上で戦ったあの化け物の被害は窺えず、騒ぎも無い。住居側には来ていなかったようだ。
最も「地下街は嫌われている」話が本当なら、ここで被害が出て住民等が助けを乞うたところで、門番・保安結社は適当な対応しかせず、知らぬ存ぜぬを突き通すだろう。
ひとまず、例の商人の居場所を尋ねるついでに、地下街のことを聞いて回るとする。
「あの商人ならもっと奥の方に住んでいるぞ。工業区の入り口のそばだ。しょっちゅう取引しているようだし、いい稼ぎはあるんじゃないか?」
「地下街から工業区へ行くには、最奥地からじゃないと入れないぞ。一応、工業区前までの近道もあるにはあるが、言って分かるほど親切な作りじゃないからな。それは自分で探してくれや」
「まあその代わり、宿場街と違って門番もいない、通行証も鍵も必要ない。臭過ぎて犯罪者もほとんど来ない。どうだ、良い所だろう? ガハハハッ!」
「? 君、知らない服装ですね。遠い街から来たのですか?」
「服装と言えば、最近植研会の人をよく見ますね。あの人達森の館にいるから、こっちまで来るなんて珍しいんですよ」
「彼らは会員服を着ています。茶と緑色の落ち着いた色合いのものですね。見ればすぐに分かりますよ。……服飾に関しては中々いい目を持っているようですが、やっている事はお世辞にも褒められるものではありません。見かけても関わらない方が賢明ですね」
「地下街はご覧の通り、暗いし湿っているし匂うしで、外の連中は滅多に来ない所だ。だから殺人とかの遺体を捨てたり、自殺する奴が良く来るんだよ。でも人目が全くない訳じゃないからさ、見つけちゃうんだよね、遺体を」
「正直言って迷惑だよ。警官に目を付けられるのは俺達だし、タダでさえ悪い評判も落ちるし。……死体を片付けるのは誰だと思っているんだろう」
「イル・メ・トーラの人間は、死んだら霧を生み出す。そして他の連中の力になるんだって。でもたまに、さっき言ったように自殺するようなのがいる。それで残った遺体からも一応、霧が出る。ああでも、時間が経ちすぎると霧すら成らなくなるみたいでさ、死体漁りするイル・メ・トーラ達はよくボヤいていたよ」
「……死人が可哀そうだよ全く。何の皮肉だってんだろうね」
地下街は複雑な造りだった。宿場街のそれとは違って、上下左右、縦横無尽に道が入り組んでいる(道と言っていいのだろうか、疑問に思う程に酷い)。梯子を使ったり、屋内または屋根を通る不思議な構造だ。継ぎ接ぎした家を、更に寄り合わせて無理やり道を付けた感じである。
道の先はほとんど推測できないし、しても見事に裏切られてしまう。森の中で養われた方向感覚を持つ私でさえ、頭が憔悴するぐらいだ。そのうち迷って袋小路に当たる。思わず天を仰ぎ見たが、ここに空はない。見通しの利かない、圧迫感のある場所でさ迷い歩いているせいか、苛立ちが積もってきていた。
立ち止まっていても仕方ないので道を引き返そうと反転したが、目の前に椅子に座る警官がいた。驚いて後ろに飛び退き壁にぶつかる。偶然拾ったランタンを持っていたから気づけたようなものだ。微妙に窪んだ角に、張り付くようにしている。しかし何でこんな妙な所に。せっかくだから道を聞こうと近づけば、悪臭と無数のハエが立ちこめる。死んでいた。
血の匂いは好ましいが、流石に腐臭は好かない。鉄面の下で顔をしかめながら、ランタンをかざし死体を見る。だらんと垂れ下がった右手には拳銃があり、側頭部を撃ち抜いたようだ。警官の左側には飛沫血痕がある。死後時間はそれなり経過しているようで、肌は張りを失っていた。
上からゆっくり下へ視線を移して、死体の足元に手帳があることに気づく。丁寧にハンカチの上に置かれていて、意外にも綺麗なそれを拾い上げる。「ここを読め」という意味か、栞のあったページを確認した。
『この街にはいけ好かない事が多かった。上級階区の住民も教会も植研会も。誰かが見ている、監視している。耐えられない。』
酷く歪んだ字は、彼の感じた恐怖をありありと表していた。脅されて書いたと言われても納得してしまう。
彼を死に追いやる事実がナギャダにはあるのか。違う者の事は他のページにも書かれていないので、彼はそもそも声や音、姿すら認識できなかったのだろう。なら違う者は恐怖の対象には該当しない。
では教会や植研会か? クォコズが「色々な叡智の者を信仰していて、教会も多い」「評判の悪い教会もある」と言っていた。話を聞いた地下街の住民は「植研会は関わらない方が良い」と言っているし、この警官はそれらの「悪い事実」を知ってしまい、逆に監視されていたのだろうか? この手記だけでは状況が掴めない。
警官の手帳をしまい、両膝をつき祈りを捧げる。これで彼が救われるならいいじゃないか。偽善的な行いでも、私はそれで満足した。
【 小ランタン 】
普通使われるランタンより小ぶりな作りのランタン。それなりの明るさ。
ナギャダでは鉱山労働者が携行用として、民衆が卓上の愛らしい飾りとして、広く使われている。
明かりは常に人を導く。それの元がどうあるにせよ、人には心の寄る辺が必要なのだ。
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(投稿:2018.04.26)
(加筆修正:2020.04.23)