柚の木
ある日ある夜、身重の女は柚の花咲く木の下でどこか遠い目をした男に出会う。
「……あなたは、、柚の木の精さん?」
『………………』
その女は子供を身篭っていた。
見た目では分かりにくいが、僅かに腹に膨らみがある。
腹の子は父親を失っていた。
結婚も身籠った事も死別にしても全てはそんな時代であったといったところ。子の父を恨むようなことはないが、残念ながら引きずって生きるような間柄ではなかった。
そんな中、彼女は月夜に見かけた男に目が留まる。どこか浮世離れしたその姿に、惚れたとかそういうものではなくただ目に留まった。
敢えて言うのであれば興味が湧いた。
その男が鬼であり、鬼舞辻無惨と呼ばれている事を彼女は知る由もなく、柚の花を見上げる無惨の顔がとても儚げに映っていた。
「これ、柚の木なんですよ
白くてかわいい花でしょう?」
女は無惨に笑いかける。普段であれば、人間扱いされない事に怒りを覚え、その命を奪っていた彼であったが、なぜかこの時この女を殺そうとは思わなかった。
よく笑う女(ひと)だった。
好奇心が強いのか身重であるにも関わらず、ぴょこぴょこ動き、何度も転びそうになる。
何故かその度に無惨は手を差し伸べてしまった。
そしてまた彼女は「ありがとう」と笑う。
ーーーーーー
『何故、毎夜、毎夜、身重の体で外へ出る?』
「あら?心配してくださるの?
大丈夫よ。家の者は気づかないし、
気づいても気にしないわ。それに…」
出会った頃より少なくなった柚の花を見上げる。
「私にはおひさまの光は強すぎて、昼間は外には
出られないのよ。皮膚が弱くて、
すぐに赤く火傷のようになってしまうの」
無惨は目を剥いた。鬼でもないのにそんな事が起こる人間が居るとは思ってもいなかった。
そんな驚きなど露知らず、少し膨らんだ腹を撫でながら「この子には日の下で走り回って欲しいわ」と微笑む。
無惨の中でこの女を鬼するという選択肢はなくなっていた。自分と同じ太陽に憧れを抱く者。
最初に命を奪わなかった理由を見つけた気がしていた。
ーーーーーー
「そんなにしかめっ面していたら、幸せは逃げてしまいますよ?」
女は隣に座る無惨に笑いかける。
無惨の眉間にはますます皺が寄った。
「あー。ほら、また!」
伸ばして!伸ばして!と言いながら自分の眉間を人差し指で伸ばしている。
『苦しむ事が多すぎて、
笑い方などもう覚えてなどいない……』
女の顔がキョトンとした。
ーーコロコロと表情の変わる女だ。
「そういうこともあるのね。
まだまだ世の中、知らないことばかりだわ…」
座っていた女が立ち上がる。
「そうだわ!!でしたら私と見つけましょう?
貴方が笑顔になれる事を!!
こうして夜にも美しいものは有るのですよ
一緒だったらきっと笑い方も思い出せますわ」
女は無惨に手を伸ばし立ち上がらせると、その手を空へと広げる。空には無数の星々が儚げに、そして力強く輝いていた。
「下ばかり見ていたら損だわ!」
彼女はまた無惨に笑顔を向けた。
ーーーーーー
いつのまにか柚の花は終わり、青葉の目立つ姿へと変わるころ、女の腹の膨らみも大きくなっていた。
無惨が笑う事はなかったが、その分女はいつも無惨に微笑みかけていた。
そんな2人の逢瀬に終わりが近づく
ーー今日はよく蹴るわね。
ぽこぽこ元気で何よりだわ
柚の木へ歩みを進める。
いつもは静かなその場所が、いつもと違う雰囲気になっていた。
ーーえ?なんで?
女の目に肩から血を流す無惨の姿が映る。
「どうしたんですか?!え!!なんで?!」
駆け寄ると傷の深さに衝撃を受けた。
『こんなもの大した事はない。それより逃げなさい』
「たいした事ない訳ないじゃないですか!
嫌よ!嫌。そんなの嫌。」
近づいてくる足音に女は顔を向ける
カチャリと聴き馴染みのない音がした。
ーーあれは何?
ギラリと光る刀身に女は背筋に冷たいものを感じた。しかしその心は立ち上がる。
「貴方は逃げてくださいませ…」
そう言うと無惨に背を向け刀を持つ男達の前へ両手を広げ立ちはだかった
「おやめ下さい!!
この方が何をしたと言うのですか?!!」
男達はざわめく。女の耳には「人間」「鬼」と2つの言葉が届いていた。
ーーなにを言っているの?
「良いからどけっ!!!」
「今殺さねば、また悲しみが生まれる!!」
男達は女を突き飛ばし無惨へと刀を振る。
地面に転がり、腹に鈍い痛みを感じた。しかしそれよりも、傷を負ったあの人が殺されてしまう。その考えが女の体を動かした。
すぐに立ち上がり、刀を持つ男達を追う。
「鬼舞辻死ねぇぇえええーーー!!!」
無惨の目には刀がゆっくりと下がっていくように見えた。傷は既に見る影もなく刀を持つ鬼殺隊士を迎え撃つべく手を敵へ向けていた。
ーー触れずとも殺せる
その間に割り込む影
無惨も、鬼殺隊士も目を見開く。
刀は無惨ではなく女を斬りつけ、そして……
膨らんだ腹に刺さっていた。
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