一目惚れ3


「桜さーん!どうして一人で行っちゃうんですか!」
ドアの開く音と声に目を向けると、部屋の入り口に涙を浮かべた青葉の顔。
やはりあの足跡は青葉の走る音だったらしい。時々こうして他には一切目もくれず、一目散に走ってくることがある。
今回は何も被害が出ていなければいいのだが…
「……あ、青葉先輩…
 今日は無理かも。って言ったたじゃないですか?」
「そうだとしてもー!こんな山の中に一人で行くのは
 ズルいです!」
「…ズルいって…」
そう言えばこの人は、見かけに寄らず何か落ち込むような事があると「山奥で一人で暮らしたいなぁ」と泣きべそをかくような人だった。
生物学者を目指したのだって、植物を調べる為に"山奥に籠っていられる"と思っていたからに他ならず、まさか研究室に缶詰にされるとは思って居なかったらしい。

頬を膨らましながらも、隣に腰を下ろした青葉は目の前に広げられている女性の手記に手を伸ばそうとした。
「先輩!ストップ!!」
「…?」
「しゅ、、手記の方は私が見ますので、せっ、、
 先輩は…他の資料を確認して下さい」

ーーあれ?私は何を焦っているのだろう?

「…え?、、1人だと見落としが有るかも
 知れないじゃないですか」
「だっ、駄目っ…これは、私が責任もって探します。
 それとも先輩は女性が書いた、所謂(いわゆる)
 日記をズケズケと読み漁る、
 心知らずな人なのですか?」

「そこは桜さんの方が容赦ないですよ。
 いつも自らの好奇心を優先しすぎですから」

「……とっ!兎に角これは私がっ!
 私が引き取っるって決めたので!」
必死な桜に負けて、青葉は段ボールの他の資料に手を伸ばした。
「あっ。桜さん、桜さん。
 この女性の名前も、桜だったそうですよ。
 なんだか運命的ですね」

「……桜、、」


ーーーーーー

結局その場で青い彼岸花に繋がる資料に辿り着けず、桜は殆どの段ボールを引き取った。
飾り気のないシンプルな自室は段ボールが積まれ、まるで引っ越して来たばかりか、引っ越し間近の部屋のようである。

ーーもうこんな時間、、もう寝なきゃ

開いていた"桜さん"の手記を閉じ、電気を消して布団に潜り込む。体を包む布団という名の温もりはあっという間に桜を夢の中へと誘(いざな)った。





桜は見たことない和室に座っていた。
しかし何故か心の中は穏やか。むしろ居心地がいいと感じる。

見たことない和室にと思いながらも、もしかしたら覚えのある場所なのかも知れないと、知っている所を探す為、立ち上がって辺りを見渡していると、突然背後の襖が勢いよく開かれた。桜が振り向くよりも早く、桜は何者かに背後から抱きしめられた。

ーー…え?なっ!なんですか?!だっ誰?!

『桜、、会いたかった。』
「…っ!……!??」

ーー声が出ない?

『?……どうした?…何故、喋らぬ?』
その人は抱きしめていた手を緩め、桜の体の向きをぐるりと変え、向き直させた。
見えたその顔は、整った顔立ちながら額にツノが有る。額から目元にかけて筋が浮かび、人であるなら白目である筈の部分が深く紅い。中に浮かぶ瞳孔は深海の色に似ている気がした。
どう考えても人間とは違う姿であったはずなのに、その容姿に"怖い"という感情は湧いてこず、目を奪われた。

手はそのまま、彼もまた桜の顔を覗き込んでいた。それを認識した時にはその顔は息が掛かるほど近い。

ーーだ…れ??
桜がそう思ったからなのか、その人の表情は哀しそうに、不安そうに歪む。そんな寂しい顔をしてほしくなくて、桜の顔にも悲しい色が乗った。

腰の手が一つ離れて、頬に留まる。

ーーえ……。

唇に、触れる柔らかい感触。

目の前の誰かは桜に唇を落としていた。



ーーーーーー


「なっ!!!!」
桜は跳ね起きた。辺りはまだ真っ暗で、大声を出してしまった事に自ら驚いて、慌てて口を手で塞いでいた。

しかしそれは失敗だった。

唇に触れた自分の手が夢を上書きするかのように蘇らせる。哀しげな顔をした整った顔が近づき、柔らかく唇に触れたのだ。

あっという間に身体中が熱くなり、中でも頬が熱を持っているのが自分でも分かってしまう。
そんな熱を覚ましたくて、頬に手を当てたが、当てた手もポカポカで、自分を冷やしてくれるものは何一つなかった。

「…はぁぁぁぁ。なんて夢見てるの、、」

色恋沙汰に何の興味も持つことのなかった筈なのに、夢に出たその人の口付けは、今まで鍵のかかっていた感情の蓋をこじ開けたのか、突然に胸の鼓動を早めて、喉の奥はキュッと息苦しさを与えた。

《…桜》

蘇った声はあまりにリアルに脳内を駆け抜けて、居た堪れなくなった桜は布団を払い避けると、逃げるようにベランダに裸足のまま飛び出た。

「…一体どうしちゃったって言うのよ…」

手すりに体を預けていると、夜風が頬の熱を撫でて覚ましていく。だんだんと力が抜けていくと、しゃがみ込んで深呼吸。
それでも鼓動の速さはなかなか収まってはくれなかった。

落ち着いた頃に部屋に戻ったものの、裸足でベランダに出てしまったことと、あの温もりに再び包まれたら良くない気がして、床に転がりそのまま朝を迎えた。

ーーーーーー

「はぁーーー」

桜は本日何度目か分からない溜息をついた。
本人は自覚していなかったが、整った顔立ちの桜。ゆるく波打つ癖の付いた髪を指にくるくる絡ませて、物憂げな表情をしているものだから、そんな姿を見た人はぽーっと見惚れてしまったり、桜に声を掛けに行こうとして謎の黒い集団にどこかへ連れて行かれたり、桜の知らないところで攻防が繰り広げられていた。

「桜ちゃん。恋の匂いがするわ」
「匂い…ですか?」

声を掛けて来た蜜璃を見た桜の目は無意識に彼女の唇にたどり着いてしまった。

「あーーーー…
 …蜜璃さん…今日、私、駄目かも…」
再び熱を持つ頬を隠したくて手で覆い下を向くが、蜜璃には真っ赤になった耳が髪の間からチラリと見えてキュンキュンしてしまう。

「桜ちゃん!恋バナしましょー」



目が多い学生食堂を桜の手を引いて後にした蜜璃の足は、大学の敷地を出て、可愛らしい見た目に反して、そういったものとは縁が無さそうな一軒の定食屋さんで止まった。

招き猫ではなく、蛇の置物が存在感を放つその店は蜜璃の行きつけの定食屋さん。
若店主は蜜璃を見るなり、いつも蜜璃の来店するしないに関わらず、この時間は彼女の為に空けてある座敷に2人を案内した。
 


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