いつかの話2


櫻を背負い夜道を行く。
脇目も振らずに、見つからないようにだけ神経を尖らせて歩き続ける。水が流れる音がし、やっと橋の上までやってきたと思った。

空気は冷たいはずなのに、熱で火照った櫻の体温のせいか、見つかってはいけないという緊張感からか、額からは汗が流れて仕方なかった。

半は怖がらせたくなくて櫻に多分初めて嘘をついた。

「珍しいですね。こんな時間に
 父上が外出を許してくれるなんて。」
「・・・・・・ええ。・」
「…半さん。雪は降るでしょうか。
 今日は随分と冷えますものね。

 雪は好きです。
 どんなに汚れた世界でも、すべて真っ白綺麗に
 してくれるんですから。」

小さな咳をはさんで櫻が言葉を続ける。

「半さん。

 ……嘘をつくのは苦しいですよね。
 そんな事を貴方にさせてしまってごめんなさい」
「……、、なんで、」
「分かりますよ。ずっと一緒に居たのですから。
 それに貴方は…
 熱も引いてないのに連れ出したりしませんでしょう?」
「・・・・・・・・」

「半さん。私、死ぬ事自体は怖くはないの。
 だって、
 生きていても貴方と結ばれる事は無いのでしょう?
 だったらそれでも良いかなって思うの。」
「、、そんな事を言わないで下さい、、
 私は櫻さんに生きていてほしい」

「……そう望んでくれる人は少ないんですよ」

「櫻!!」
二人の後方から呼び声が聞こえ、そこには実質櫻の結婚相手。大きく肩を上下させ慌てて探しに来た様子だった。

ぽんぽんと半の肩を叩き、櫻は背から下ろされると、笑顔を浮かべて現婚約者へ進んでいく。

ーー行かないで、、殺されてしまう、、
  櫻、、

手を伸ばしたくても櫻がそれを小さく静止した。

「もう見つかってしまいましたね。
 少し外に出たくなって半さんにお願いしたんです。
 ですから彼を責めないで下さいませ。」

「"少し"と言う距離では無いだろう?」
「中々外に出れませんので、感覚が分かりませんでした。
 ご心配をお掛けしてすみません。」

婚約者は櫻を抱きしめた後、抱き上げると橋の欄干に座らせた。

半は自分の心臓の音がうるさいほどに聞こえていた。二人が何かを話していても、半の耳には届かない。
櫻が控えめに声を立てて笑った。
婚約者が櫻を殺そうと企んでいても、証拠がない以上、使用人の立場で下手に動くこともできない。

ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、、

婚約者が半を見て妙な笑みを浮かべたように見えた、、、

櫻の体が後方へ傾いていく、、

ーー駄目だ!そっちに倒れてはっ!!

半は走って手を伸ばした。

指先が一瞬触れたのに、掴むには至らず、半の目には困った顔をした櫻が、水飛沫に飲まれる姿が映る。

考えてなど居られなかった。
すぐに後を追って川に飛び込む。真っ暗な中必死になって視線を巡らせ、櫻の姿を探す。
ーー絶対に助ける。
「…はし、、た、、」
川の音に紛れて僅かにその声は聞こえた。
その瞬間、不思議な程に辺りは鮮明に見えた。
月明かりなのか、他の何かの影響なのか、それは分からなかったが暗い川の中に櫻を見た。

水の中で必死に泳ぎ櫻を掴むと、呼吸を確保しながら岸へと急ぐ。
ーー冷たい水が感覚を奪ってしまう前に…
足が地面に触れ、ホッとしつつバチャバチャと水音を立てて川の流れから離れた。
ーー体温が、下がってしまう…

強く抱きしめ、なるべくその体温を保とうとしていた。
「、、半さん。、痛い、ですよ。」
弱々しくもクスリと笑う声が聞こえた。
「、、でも、、わたし、、半さんと一緒で幸せなの…。」
半は声が震えて上手く返事ができずにただ頷き続ける。
「…ねぇ…雪、、、半さん。、、見えますか」
櫻の言葉に空へ目を向けると雪が舞い始めていた。
しかし、本当は今だけは降らないで欲しい。
それでも、一緒に見られた事が嬉しくてだんだん視界が歪んでいく。

「必ずまた、、、会えます…。
 だから、、生きて、、、
 また、手を繋いで、、歩きましょうね…」

ーー冷たい、熱い、寒い、痛い、

どの感覚が正しいのかよく分からなくなってくる…それでも半にあるのは"櫻を守らなくては"という意志。

「…ちっ、、」

小さく舌打ちが聞こえた。

そちらを向くとそこには婚約者。川へ落とした犯人の筈なのに水浸しでこちらを睨み下ろしていた。
遠くから段々と声が聞こえ始めた。
その声は櫻の両親の声。叫びにも似たその声は櫻が彼らにとってどれだけの存在であるかを物語っている様だった。
「ここです、、櫻さんを助けて下さい、、」
寒さで震える半の声はほとんど音にならない。
ーーもう声が出なくなっても良いから、今だけでも、、
  届いて、、
大きく息を吸って、口を開こうとした瞬間だった。

「貴様なんて事をしてくれたんだ!!自分の気持ちが
 届かなくなったからといって無理心中を図るとは!!」

婚約者は大声で半を怒鳴り付けると、呆気に取られた半の腕から櫻を奪い取り、半を蹴り飛ばした。

ーー意味が分からない、、
  川に落としたのはお前だろうが、、

地面に伏し、顔を上げた時、櫻の母親が櫻に駆け寄るところで、自分の着ていた上着を脱ぎ、それでくるんで抱き寄せていた。
母親は婚約者が櫻を助けたのだと思い込み、ありがとうと繰り返す。
そして視界を遮る様に父親が半の前に立ち塞がると、婚約者も一歩引いて父親の隣に立つ。

「半!!家が没落したお前を、
 櫻の願いで使ってやっていたというのに!
 この恩知らずめが!」

「…違う、、川に、、」
ーー落としたのは…

櫻へと伸ばした手は父親に振り払われ、更に振り子のように戻り半の頬を打った。
そして罵声が続く。

「黙れっ!!お前の言葉など信じられるか!!
 愛しさ積もって憎さ万倍か?!
 情けなどかけてやらねば良かった!!」

「わ、、私はどれだけ悪者にしてくれても構わない!
 だから早く櫻さんを…」
「どの口がそんな事を言う!!
 お前が櫻を殺そうとしたのでは無いか!
 二度とその憎たらしい顔を見せるんじゃ無い!」

どれだけ真実を告げようとしても、
どれだけ櫻の身を案じようと、
没落した半の言葉は聞き入れられない。

ーー櫻の命の灯だけは、それだけは消さないで、、

「こんな人放って!早く帰りましょう!!
 櫻が、、櫻がぁ、」
取り乱す母から櫻を抱き上げると、半に目も向けず父は足早に家の方角へ歩き出す。ふらりとよろめいた母の肩を婚約者は支え後に続いた。


肩越しに振り返った婚約者が、ニヤリと笑ったのが、半の目に映る。

そうしてそのまま櫻を連れて闇世へ溶け込むようにその背中は消えていった…


数日の後、櫻が息を引き取ったのを

半は風のうわさに聞いた。


白く積もったはずの雪は雑踏に茶色く色を変えていた…


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