蝶屋敷の記憶4
なかなか寝付けずに桜は縁側の柱に寄り掛かり月を眺めている。
眺めていると言っても、意図して見ているわけではない。
つまり、心ここに在らず。
言葉にできないモヤモヤは段々と自分が醜いものである様な気がして桜を黒い影で包んでいく様だった。
「夜は冷えるよ」
声に視線を向けるも、桜の心は動かない。
直ぐにまた空へと視線は帰って行った。
詠は桜のとなりに腰を据えると同じように月を見上げた。
「私はね、氷の呼吸を使うんだ。
大切なモノを失くして
心がとても冷え切ってしまったから。
だからね、本当は桜さんの所にいるのは
私ではいけないんだよ。
私は凍らせる事は出来ても、
溶かす事は不得意だからね」
桜は詠へと視線を向け、その視線は数日ぶりに交わったような気がした。
「しのぶさんの育手を引き受けたのも、
桜さんの視野が広がってほしかったからなんだ」
一緒に居れば嫌が応にも世界は広がる。
未来のある桜はもっと世界に触れなくてはいけないのだ。
「………ぃゃ。」
小さな声と共に桜の瞳からは涙が溢れ出す。
「、、どうして詠さんまで
取り上げられなきゃいけないんですか?
近頃は詠さんはしのぶさんと一緒ばかりです
私には何も残っていないのに、、
しのぶさんは嫌です。
詠さんとの時間も、蝶屋敷での仕事も居場所も
全部取られてしまう。私はしのぶさんと比べて
できない事が多いから、要らない子になってしまう」
自分でわかっていた。
しのぶより器用でない事も、鬼殺隊士には向かない事も。
だからこそ不安なのだ。
ここにいる理由が欲しくなってしまうのだ。
"助けられたからここに居る"そんなふわふわしたものじゃ無く、ここが私の家と言えるようなそんな物が。
「確かに、しのぶさんの方が器用だね」
涙を流す桜の隣で詠がカラカラと笑い声をたてる。
「でもね。要らない子にはならないよ
誰がなんて言おうが桜さんはここにいて良いんだ」
涙の止まらない桜の頭を詠が撫で続けている。
それは、鬼の襲撃にあってから初めて流した涙。
涙と一緒に桜の中では家族との記憶が蘇ってくる。
母はしっかりした人で、少しポケポケしている父をいつも「手のかかる人だわ」なんて言いながら世話を焼き、嬉しそうに笑っていて、実はその父は家の外では同僚に頼りにされる会社の役職付きの人。母の事も桜の事も大切にしていて、仕事が忙しくない時は色々な所に連れて行ってくれた。大好きな家族。そして世話を焼いてくれるお手伝いさん。少し癖のある長い髪を「今日はどうやって結ぼうかしら」と櫛を通すあの時間が好きだった。
もうその時間は訪れない。
記憶と、不安と、詠の言葉と、
もう何に対して泣いているのか桜自身でも分からない、、
そんな桜の背後に人影が近づいていた。
「ちゃんと声出るじゃない」
その声は夜の空気に凛と咲いた。
驚いて振り向く桜の体を声の主はぎゅーっと抱きしめた。
「、、い、いたい、です、。」
「私、森景は要らない。
私が欲しいのは鬼狩りになるための力よ。
桜の大切なもの奪ったりしないわ」
「せめて師匠とか、師範と呼びなさい
しのぶさん」
「だっておかしいじゃない!氷の呼吸出来ないのよ?!
師と呼んで欲しいなら、
ちゃんと出来るように教えなさいよ!!」
未だに桜にくっつき続けるしのぶを引き剥がして、詠は笑顔を見せた。
「ほら、しのぶさんにも出来てない事はあるんですよー」
負けん気の強いしのぶは出来ないことを認めたくなくて、出来る調薬や、怪我人の世話を焼く事に精を出していたのだった。
「誰しも得意不得意、向き不向きがある。
私は2人にそれを補い合って成長して欲しい」
「2人、、補い合って?」
不思議そうに呟く桜に詠は「すぐに分かるよ」といいながら、桜としのぶの頭を楽しそうに撫で回した。
やめなさいよ!と抵抗するしのぶと
されるがまま、ポカンとしている桜。
その日はしのぶが最後まで抵抗を続けたものの、3人布団を並べて川の字に眠りに付いたのだった。
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翌日
「しのぶちゃん、、詠さんの呼吸と多分、、
空気の入る場所が違うんじゃないですか?」
「え?」
「あ、いや、想像ですけど、、
腹式呼吸と肺呼吸とあるじゃないですか…
空気をたくさん取り込むから、腹式呼吸と思いがちですけど、、詠さんの動きを見てると…」
「桜、、ちょっとやってみるから見てて」
しのぶも両親を失っていた事を桜は後に知った。姉は生きているという違いはあるものの、同じ痛みを経験したしのぶを嫌いと言った、あの気持ちはいつの間にか無くなっていた。
そして、失ったモノを憂いていても、何一つ戻る事はない。手の中にあるものを大切に。手にする物を大切に。そういう胸中に至ったのちは、生きる事が少しだけ楽になっていった。
鏡合わせのようなどこか同じで、対照的の2人はそうして詠の願いも受けて成長していく。
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