生家2
行く機会など今まで沢山あっただろうに、どうして今まで生家に行こうと思わなかったのだろう。例え建物が残っていなくとも、その場所が消えてしまうわけではない。知ることはいつだってできたのにそれをしようと思い至らなかったのだ。きっと最初は変わりゆく日々について行くのがやっとだったからだろう。しかし次第に蝶屋敷が桜の家となっていき蝶屋敷(そこ)が桜の居場所にかわった。のちに複雑な思いを色々と孕むのだとしても。
それは多分幸せな変化だった。
そして蝶屋敷から別の道を選ぼうとしている今、出自を改めて振り返りたくなったのかも知れない。
「アオイさんすいません。
付き合ってもらうことになってしまって」
「構いません。
そのあと買い出しに協力してもらいますから。
今日は安心して重いもの買いますよ」
ーーだから、一緒に帰りますよ……かな?
「大丈夫。今日はまだ居なくなったりしませんから」
「…ずっとは居られないんですか?」
アオイの少し寂しさを含んだ声が聞こえた。
いつもハキハキした声とは違って、罪悪感が湧いてくる。しかし、居場所を与えてくれるその一言は確かに嬉しくもあった。
アオイに笑いかけながら角を曲がった途端に、日の光が差し眩しい。光に目を慣らしながら細く目を開けると。光の中に見覚えのある建物が見えた。
「あった……」
近くを歩いていると思いながらも、街並みは変化して今の今まで確信が持てなかった。それが突然記憶と合致し、いつの間にか玄関先へと桜は走っていた。玄関扉を目の前に立ち止まると、記憶との照合を繰り返す。
ーー看板がある事以外、変わってない…。
今、生家は画廊としての役割を担っていた。
ーーーーーー
桜にはとても不思議な空間としか言いようがない。随所に記憶が点在する空間なのに、見知らぬ絵が並んでいる。この画廊はあくまでも生活の中に馴染んだ形で絵を見せる嗜好で、意外にも絵の取引の方も好調らしい。
絵は二の次で桜は生家の記憶を辿って回る。"生活に馴染んだ絵"という方向性なだけに、どこか生活感があって、それを演出している食器をはじめとする小物も桜には覚えのある懐かしい物が多かった。一階の最後に足を運んだのは父の書斎。そこは桜が自室の次に好きな場所だった。知識の詰まった本棚に、机の上には羽ペンとインクの瓶、そして前方に置かれた小さい引き出しには父愛用の懐中時計が数点収められている。それらは父にぜんまいを欠かさず巻かれ、いつもカチカチと時を刻んでいた。
先に室内に居た2人組の客が旧書斎を後にすると、桜 1人が部屋に残った。
カチ、カチ、カチ、カチ…
「…嘘…。」
しんと静かになった部屋で耳に届く時計の音。時を刻むはずのその音は、まるで有りし日へ時を巻き戻しているかのようで、目を閉じてその音に聞き入る。
心が満たされたような気がしてゆっくり目を開けると、目の前に一枚の絵が飾られている事に気づく。その絵には三輪ほどの彼岸花が描かれていた。
しかし不思議な事にその花弁は青い。
「不思議ですよね。私の知ってる色ではないのに
惹かれるものがある。」
桜の背後にはスーツのジャケットを羽織った1人の男性が立っていた。
「突然すいません。私、この画廊を管理している者です。
珍しい年頃の女性がいらしたと思ったら面白い
巡り方をされていて、お話してみたくなりまして」
「……あ、えっと、、なんだかすいません…つい、、」
この男性が8年前の出来事を知っているのか分からない以上、"ここに住んでいた"とも言えず桜は口籠もってしまった。
怪しく思われているのかもしれないと思って、手荷物検査をされるのか?警官を呼ばれてしまうのか?と色々な悪い考えが巡って頭の中がぐるぐるして、汗が吹き出してくる様な気がした。
カチ、カチ、カチ、カチ…
と懐中時計の音が桜の耳に届く。
規則正しいその音はまるで父が落ち着きなさいと諭しているようで、一度見失いかけた現実へと引き戻す。
「懐中時計、、毎日ぜんまいを巻かれているのですか?」
「??、、よくお気付きになりましたね。
見えるように展示してませんのに。」
男性は桜の脇を通り過ぎ、白い手袋をはめると机の上の引き出しをあけ、桜を隣へと導く。
「ここの御主人の愛用品です。とても大事に
されていた品ですので、買付人の目に止まらぬ様
僭越ながら私がゼンマイを巻いて
こうして静かに人を待っているのです」
「人を…待つ?」
「ええ。御主人は残念ながら既に他界されています。
しかし、この方のお嬢さんはご存命で、私は
そのお嬢さんにお会いできるのを
心待ちにしているのです。」
「確か名前は…」と男性は内ポケットから手帳を取り出しパラパラとめくる。
「そうです。名前は桜さん」
「桜」
男性が手帳から顔を上げる。
驚いた様な、嬉しそうな、泣きそうなそんな顔。桜は男性に微笑んだ。
「永らくお待たせしました。桜は私です。」
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