冀求(ききゅう)
小さく歌が聞こえる。この声は明らかに桜のもの。積怒は逸(はや)る心を抑え、早足になりかけていた歩調をおとした。
あくまでも"なんでもないこと"と平然を装って、声の出所である部屋の襖を開いた。
部屋の中に居た桜がこちらを向き微笑む。
「積怒さん。今日は早いですね」
この顔を見られるだけで、気怠さを振り切り寝所を出て来て良かったと思う。
因みに早いと言っても、生活が昼夜逆転している鬼であるから、陽も一番高い場所を通り過ぎ、帰り道に至った後である。
鬼たちと生活している桜ではあるが、陽のあるうちは青い彼岸花を探しにあちこちに出かけたり、調べ物に出かけたり、夜は四鬼達と話をしていたり、眠る時間は2、3時間と随分と短くなった。それでも支障なく過ごせているため、問題と思っていない。
さて、簡単な挨拶が済むと桜は再び視線を落とし、何やら作業を再開した。積怒は何食わぬ顔をしてその場にいるわけだが、期待していたものが足りない。
そう。桜は歌う事をやめてしまったのだ。
しかし、歌に引き寄せられてやって来たなど思われたくない積怒は"歌"という単語を口に出す事が出来ない。
今は桜を独り占めだと言うのに、何を話せば良いのかも思い浮かばず、桜を眺めるだけ。
「如何しましたか?
その、、無言で見られていると、、不安です…」
『む、、何をしている』
「…?これですか?
だんだんと秋がやってきますから、
彼岸花の群生地を纏めたり、周囲の気温などから
開花時期の予測を立てる等して効率よく探す準備
……積怒さん?」
言葉を切ってこちらを向いた桜は、立ち上がると積怒の隣に来て座った。
「何か悲しませるような事をしてしまったですか?」
積怒には桜の意図が分からない。
『それはどういう意味じゃ』
バタバタ!!
『聞いてくりゃれ桜!!可楽がな!!!』
イラッ!!
瞬間的に突撃してきた空喜より可楽への怒りが一気に限度を超える。
『腹立たしい、腹立たしい…』
ーーバタバタと音を立ておって。
桜との時間を邪魔しおって。
…悲しい顔をさせおって、、、
もちろん最後の一つは自分への苛々。
積怒は立ち上がると。入り口で固まっていた空喜を掴んで『邪魔だ』と避けさせると、そのまま部屋を出て行ってしまった。程なくして笑い声と怒鳴り声、走る足音に続いて雷が落ちてやっと静かになった。
『…可楽は大丈夫じゃろうか、、、』
まさかこんなにも機嫌が悪くなるとは思っておらず、空喜は思わず可楽の心配をしてしまったのであった。
しかし、居るはずの桜からの返事はない。
不思議に思った空喜が視線を向けると、考え事をしているのか桜は上の空で、積怒が出て行った入り口を見つめていた。
ーーーーーー
ーーなんだか調子が合いません、、。
別に避けているわけでもない。なのにどうしてか積怒と話す機会を桜は逃し続けていた。
機嫌が良さそうにやってきたはずなのに、悲しげに見えたあの時の事が頭から離れない。
あの少しの時間に一体何をしてしまったのか…考えても何も浮かばない。
心にモヤモヤが広がっていく。
好きという感情は、幸福感を膨れ上がらせてくれるものだが、ご丁寧に上手くいかない時まで悲しみまでも山盛りにしてくれるのだから本当に厄介で、、
「、、嫌だな、、」
空は青いのに、桜の目にはくすんだ色に見えた。
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