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「ここを離れて一緒に行こう?」
鬼の子改め、ひいろの視線は匡近の右手と顔を行ったり来たりしたあと、ゆっくりと手が持ち上がり匡近の手の上に重なろうとしていた。
しかし、その手は止まり、重なることは無く手を握りしめて膝元へと帰ってしまった。
「私は、、、行けない、、
弟が許してくれるまで」
その顔はひどく苦しそうで、
だからといって踏み込んでくれるなと
拒絶していた。
ーーーーーー
下弦の陸を斬ったのは今朝がた。そして日がまた暮れようとしていた。今、匡近と実弥は藤の家紋の家にいる。
ひいろに一緒に行けないと言われてしまえば、もう長居する理由はなく、とりあえず報告を上げに戻らなければいけない。共に戦った事など全て報告に上げ、今のところひいろは人に害を及ぼす事はないため、早急の対処は必要なしとお館様には報告をするつもりだった。
ここを出るのも今夜か、明け方かと言ったところだろうか。
「なぁ。弟が許すまでってどういう意味なんだろうな」
「アイツの弟なんて、もう生きては居ねぇだろ?
弟の子供か孫かを見守ってるって事なんじゃねェの?」
社のできた当初を知っていたと言う事はそれなりの歳月を過ごしていると言う事になるのだ。
《ないと言ったら嘘になってしまう》
人を食べたいと思った事はないかという問いの答えが頭をよぎる。
匡近の頭の中で仮説が組み上がっていく。
人の事を勝手にあれこれ決めつけてしまうのは良くないことではあるが、ひいろが血鬼術を使えた事も匡近の中では引っ掛かりを持つ要因の一つだった。
しかし、もしその仮説が当たっているならば
ひいろは弟が死んだのを知っている。
そして、そうなれば実弥が言った子孫を見守っていると言う可能性は無くなってしまう。
ーーじゃあ、ひいろを許す弟とは誰なんだ?
「考えたってどうにもなんねェだろ。
俺らだってすぐ次の指令が来て、アイツの事もじきに忘れる」
いつも鬱陶しい程に絡んでくる匡近が物思いにふけっている為、実弥もなんとなく調子が狂うのだ。
「鬼狩り様、失礼します」
そんな中、二人の部屋に屋敷の主人の声が聞こえてきた。そろそろ開く襖の向こうに、かしこまった顔が控えていた。
「どうかしましたか?」
「お客様がみえましたが、お通しして良いでしょうか?」
匡近と実弥は身に覚えのない来客の言葉に顔を見合わせた。
ーーーーーー
気まずそうに背中を丸くした青年と、ゆらゆらと揺れながら鼻提灯を膨らませる老人が匡近と実弥の居る部屋へと通されて来た。
「えっと?用というのは?
鬼がまだ居るなら今すぐにでも向かいますよ!」
「いや!違うんです!!鬼が出たとか、そういうことじゃなくて、、その、。用があるのは俺じゃなくて。
あの、、ボケた筈のじいちゃんが、鬼狩り様が訪れているって話をひとづてに聞いたらしくて、なら会わなきゃいけないって、、暴れ出して、、」
青年はげっそりした顔で老人の方へ目を向ける。なにやら一騒動あっての現在のようだった。
聞くところによると、彼らは代々と続く医者で藤屋敷とは鬼殺隊士の診療の依頼を請け負う間柄なのだという。来訪者が何者か分かったタイミングで、揺れていた老人が前屈(まえかが)みに勢いよく倒れ込んだ。
「じ、じいちゃんっ!!!頭!頭!大丈夫!!」
「ここはどこじゃー?もう飯か?」
「違うよっ!じいちゃんが鬼狩り様の所に連れて行けって言ったんじゃないか!!話があるって言ったのにボケてたらそもそも話にならないじゃないか!!しっかりしてくれよー!」
涙目になりながら話す青年の姿は少々不憫に思えてしまう。
鬼狩り様?と呟く老人に「そうだよぉー」と弱々しい声が上がる。
途端に老人が醸し出す空気が変わった。
「お見苦しい所をお見せして、申し訳ありませんでした。
この度はお話ししたい事がありまして、お疲れのところとは思いましたが、こうして参上させていただきました」
老人は居住まいを正すと、今までのボケた様子が嘘のように流暢に話し始めた。それには匡近も実弥も、連れてきた青年ですら驚いた。
しかし、老人は自分を連れて来た青年を別室で待つようにと言い部屋から追い出す。
「それで話と言うのは?」
「まず、今回この地に訪れましたのは、山に住む鬼を斬るためなのでしょうか?」
「その口振りじゃ、アイツのことを知ってるって訳だな?」
「今回は斬るためじゃなくて、あの子に害があるのか見極めるためです。
偶然にも他の鬼を斬る事になったんですけどね」
匡近が下弦の鬼との戦いを簡単に説明すると老人はそうですかと、言葉を吐き出したが、その様子から何やら複雑な心境が伺えた。
膝の上で拳を握り締め、老人は意を決したように口を開いた。
「あの子をこの土地から解放してやってはもらえないでしょうか?もう、あの子がここに縛られ続ける必要は無いのです」
こうして、老人を介してひいろの過去と向き合う物語が幕を開けた。
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