ひいろが隠れ住む小さな家の戸を声をかけながら匡近は勢いよく開けた。
中は明かりも灯されておらず、暗闇の中わずかに息を呑む音が聞こえた気がした。
ーー何かおかしい。

「ひいろ?」

数日ここで過ごした匡近は蝋燭がある場所を覚えていた。マッチを擦(す)り蝋燭に灯ったあかり。それが映し出した室内に匡近は息を呑んだ。

部屋の床を染める血の赤。
そして、血の付いた手斧が落ちている。
匡近は蝋燭を乗せた燭台を高く掲げ血の跡が示す先を灯りで照らした。

ーーまさか、ひいろが人を、、、?

そこには布団に包まった膨らみが一つ。
匡近は、日輪刀に手を掛けつつ、その布団の塊に向かって声をかける。

「ひいろ。何があったの?」
「……どうして来たんですか?」
「やっぱり一緒に来てもらおうと思ってさ」
「だから言ったじゃないですか、弟が許してくれない限り私はここから離れる訳にはいかないんです」
「君が言う弟は、もう生きていないだろ
 どうやって許してもらうっていうんだ?」
ひいろの肩が跳ねた。
「……それでも、ダメなんです、、」

「じゃあなんでそんなに苦しそうなんだ?
 どうして泣きそうな声なんだ?
 どうしてこっちを見ないんだ?」

匡近はひいろが包まっている布団を力任せに剥ぎ取った。優しい声色で話していた匡近が強行手段を取ったことにひいろは驚く。匡近の顔が見えた途端に涙が溢れ出したが、見られたくなくてひいろは顔を両手で覆った。

「どうして今日なの?
 よりによって、、なんで今日が新月なの?」
顔を覆う手の隙間からは涙が次々と滑り落ちていく。そして匡近は布団を剥ぎ取ったことで気づいた。

部屋を染めていた赤はひいろの足首から流れていたと。
片方の足首から先がない。

「これ、、、ひいろが自分でやったの、、か、、? 、、、なんでこんな事を、、

 どうして、自分が傷つく事を選ぶんだ、、、
 なんで涙を流してまで苦しい事をしてしまうんだ……」
「……匡近に何がわかるのですか?」
「何も分からないさ。
 だってひいろは自分の事は何も話してくれないじゃないか。」

「どうして話せるって言うんですか?
 なんて言えばいいんですか?

 ……弟を食べたあの日から、その日と同じ新月の度に血が欲しくて仕方なくなって、ある人に届けてもらう血だけでは抑える事ができなくなって、、
 ……欲望に負けて人を襲う事が怖くて、新月の度に足を切り落として、夜が終わるのを醜く待ち続けているんですって……
 そう言えばいいって言うんですか?

 知られたくないに決まってるじゃないですか。
 言えないに決まってるじゃないですか。

 私はどこまで人である事を捨てなきゃいけないんですか、、、
 笑顔を向けてくれた人に怪物だと幻滅されなきゃいけないんですか、、」

《許されるその日まで》
そう口にした人の顔などもう覚えてはいない。
いくら人を助けても、誰も「もう良いよ」とは言ってくれない。喉の渇きばかりが段々と強くなるばかり。いつか自分を見失って人を傷つけてしまうくらいなら日の元に出て自ら命を絶ってしまおうと何度思ったことか。でも、それでは弟は食べてしまった事を許してくれない。そして死後の世界で会う事も叶わない。
最期にそばにいてあげられなかったことも、死んだ体を傷つけてしまったことも、もう謝れない。

生きる事も、死ぬ事も苦しくて仕方がない。
それでも、自分がした事の罪の重さを知っているから「許してください」なんて言える立場ではなくて。

「医者のお爺さんから話は聞いたよ。
 ひいろは醜くなんてない。
 必死に内に住み着いてしまった鬼と戦い続けている女の子だ。
 実弥の血はね、稀血と言って、鬼にとって極上のご馳走なんだよ。でも、ひいろは実弥の血を前にしても自分を手放さなかった。刺されて血を流しても少女に危害は加えなかった。
 俺にはここ数日見てきた真実だけで充分ひいろを信じる事が出来る」

もう苦しまなくていいんだと、匡近はひいろの体を抱き寄せた。
「やめて!!血が欲しくてたまらなくなってしまう!匡近を傷つけたくない!近づかないで!!」
「飲みたいならあげる。
 俺の血以外飲まないと約束してくれるなら。それでひいろの苦しみが軽くなるなら、俺はそれでいい。」

匡近の顔は真剣だった。彼が優しいのは十分わかっている。だからこそ匡近に頼ってはいけないと思う。彼を食い潰してしまいたくないから。

「何を言ってるか分かっているんですか?」
ゆっくりと。でも確実に少し離れてと、ひいろは匡近の体を押し返した。離れはしたが、匡近は放しはしてくれない。


「……もう、、頸、落として、くれませんか…

 もう、、疲れてしまいました……」


匡近を向いたひいろの目は悲しみに沈んでいた。しかし、押し返した後のその手は縋り付くように匡近の隊服を掴んで震えている。


「それは、、嫌だ。
 ずっと人を守ってきた君が笑って居られないなんて変だろ。泣いてるなんておかしいだろ。

 もう、ひいろは自分の為に生きて良いんだ。
 弟だって、とっくに許しているさ。
 たとえ君の弟が許さないって言っても、俺がひいろを許す。
 誰にも文句言わせない」


だからもう大丈夫だよ
そう言って再び抱き寄せると、その体はすっぽりと匡近の腕の中に収まる。
声を押し殺してひいろは泣いていた。

ーーーーーー



拒絶しようと思っていた。大暴れして手に負えないと思わせて、頸を斬って貰えばもう楽になれると。でも、どうしても匡近を傷つけるような事はできなかった。

でも、今は傷つけなくて良かったと思う。
出会えて良かったと思う。

とくん、とくんと、匡近の心臓の音が聞こえていた。その音は心地よい。

「……匡近の音がします」
「ん?」
「生きてる、音がします

 ……この音は、、好きです」


思いがけず知る事になったひいろの過去はやはり悲しみが色濃いもので、本人は"弟を食べた"といったが、実際は片腕で踏みとどまっていた。それで血鬼術を使う事ができているならば、きっと弟は稀血だったのだろう。若しくは弟は最初から恨んでなどおらず、姉を慕う気持ちが、長い歳月を過ごさなければいけないひいろに血鬼術という形で、力を与えたのかもしれない。どちらにしても、姉も弟も互いにその身を案じていたのだろう。

優しい心がそこにはあり続けた。

どうかその心まで鬼に食われてしまう事が無いように、最期は笑っていられるように側に居たいと匡近はそう思うのだった。


ーー花が咲くように笑う君の顔は
          ーーーーーだから。



「……匡近、、音が早くなりました、、」
「………気付いても言わなくていいの!」
 




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