間話



匡近と暮らす様になって早いもので月が変わろうとしていた。そして、当分の間とは言いつつも、後藤が通ってくるのが当たり前のようになっているのだった。

昼間は外で鍛錬に励む匡近を眺めていたり、後藤と日当たりの関係で協力して家事をする。

日に当たることができない。

それは家の中の掃除一つとっても一人で全ての仕事をこなす事はできないという事で、それがなんだか心苦しくて後藤に打ち明けた事はあったが
「そんなん気にしてないっすよ。
 出来ることをしたらいいんです」
と一蹴されてしまった。

それでも、ひいろが洗った洗濯物を受け取り、外へと干しにいく後藤の背中を見てなんだか切なくなる。

鍛錬に励む匡近の近くで洗濯物を広げる後藤。その光景は光に包まれている。

ーー羨ましいなぁ。

その時、匡近の振る木刀から風が巻き上がり干したばかりの敷布が飛んでいく。それを慌てて追いかける匡近と後藤。地面に付くことなく敷布を救出できたものの、後藤は匡近を正座させて何やら怒っている。

見えない仕切りが立っていて、そちらの世界にはいけなくて、自分だけが除け者になってしまったような、、全てが遠い感覚。それは、あちらの人たちには自分の姿など見えていないんじゃないかとすら思えてしまう。

「寂しいなぁ、、」
溢れた言葉にひいろ自身が驚いていると、正座させられていた匡近が控えめにひいろの方を見て小さく手を振っていた。


冷えた心に灯るあかり。

小さく手を振りかえすと、匡近は笑みを深める。しかし今度は、後藤に話を聞いていない事がバレて匡近は洗濯物の場所まで後藤に引き摺られ2人で洗濯物を干し始めるのだった。

ーーあったかいなぁ

ひいろは気づいていなかったが、彼女の頬も柔らかくほころんでいた。

「お茶、、入れよう」

ひいろは台所へと向かった。


ーーーーーー

「ひいろさん任務には連れて行かないんすね」
「まぁね。おかしな血鬼術を使うような鬼であれば協力してもらうかもしれないけど、ひいろはもう戦わなくていいと思ってるからね」
人を守り続けていたひいろだがその戦闘力はずば抜けて高い訳でもなく、どちらかと言えばその身を犠牲に人を守るというもの。
傷つき続けてきた彼女はもう血を流す必要などない。少なくとも匡近はそう思っていた。

干し終わった洗濯物が風に揺れる。
「実際どうなんですか?」
「それはどういう意味で?」
後藤が言いたい事は分かっている。敢えてひいろの事を鬼と呼んでいないのは彼なりの考えあってのことだろう。
「別に俺に不便な事はないけど?
 ひいろ、なんか言ってた?」
「一人で家事すら出来ないのが少し心苦しいって。」

「ああ、俺のことじゃないのね。良かった。
 その辺は縫製に頼んでみてる」
「縫製に……?大丈夫なんすか?」
2人の頭に浮かぶ光る丸メガネ。

「ひいろのこと見てないから大丈夫…だと思う、、、多分」

その時、百日がやって来て匡近の肩へと留まる。その足には紙が結び付けられていた。

{粂野氏、縫製係に来られたし}
やる気に満ちたその癖の強い文字は何故か自信満々に禍々しさを放っていた。

「なんか、嫌な予感がするんですけど、、」


ーーーーーー

「あれ?匡近任務に出ちゃいましたか?」

そもそも任務に出るとしても早すぎる時間であり、いつも任務前は声をかけて行く匡近が何も言わずに出るなど珍しいと思いながら、洗濯物を干し終えた後藤へ問う。

「そんな寂しそうな顔しなくても、じきに戻りますよ。」
「私、そんな顔してました?」
「そりゃもう。世界が終わるみたいな、、」
「それは嘘ですね」
「これはバレるんすか」

鈍いんだか、鋭いんだか、ひいろという少女は鬼であるはずなのにとても人間味が残っている。そうでもなければ、干し終えた洗濯物を眺めながら背を向けてお茶を飲む事などあり得ない事。
どうにも観察したくなってしまう。

「人を好きになるってどんな感覚なんすか?」

まるで今日の天気はどうですか?みたいにあまりにも自然にそんな事を聞くものだから、ひいろは飲んでいたお茶を吸い込んでしまい、盛大にむせた。もう、涙目になる程に。
後藤に文句の一つでも言ってやろうと思うのに、喉の奥で引っかかったお茶が言葉を紡ぐ邪魔をする。

「あ、なんかすんません
 でも、聞いてみたかったのは本当です」
やる気があるのか無いのかよく分からない目をしている後藤だが、思った事は言う性格の様でこうしてたまにひいろを冷や冷やさせる。
まだひいろが喋れる状態に戻らないと判断すると、俺は買い出し行ってくるんで。とさっさと出かけて行ってしまった。

「……もう、、なんなんだ、、」


ーーーーーー

小一時間程で匡近は戻ってきた。その腕には風呂敷包が抱えられていた。
おかえりもただいまもそこそこに、匡近は風呂敷を広げる、中から出て来たのは黒い外套。それをひいろに差し出す
「これは?」
「日除けの外套。
 縫製係に頼んでおいたんだ」
「日除け、、?」
「流石におひさまサンサンの中は無理だと思うけど、少しは動ける範囲が広がるかなって」
手の上に乗せたままキラキラした目で外套を眺めているだけのひいろから回収すると、手際よくボタンを外し彼女の肩に羽織らせる。ハッとしてひいろは自分でボタンを閉めると、手を通すところを発見して、まるでひよこの様にぴょこぴょこしていた。
「気に入った?
 あとね、首のところに大きめの頭巾が付いてるから、かぶることもできるよ」
現代でいうフード付きのポンチョの形をした外套は黒色ではあるがてるてる坊主の様で愛らしい。
「あれ?黒猫っすか?」
ちょうど買い出しから戻った後藤は外套を纏ったひいろを見て"黒猫"と言った。
言われた本人はなぜ猫などと言われるのか見当も付かない。
実は頭巾に猫の耳の様なとんがりが2つ付いていたのだ。
「はーー。粂野さんはこういうのが趣味でしたか。猫耳」
「なに言ってんの?
 日除けの意味を成さない布切れを何枚切り刻んで来たと思ってるの?
 これがあの中で一番まともだったんだっての。
 前田と一緒に鬼の前に引きづり出してやろうか?」

動くとふわりと広がる裾に楽しくなって右へ左へと回っていたひいろは"鬼"の言葉に動きを止めて首を傾げた。

「私、鬼ですけど?」

「っちょっ!!ひいろ?!!」
後藤は楽しげに匡近に視線を投げる
「前田の所にひいろさん連れて行くんすね」

ーー連れて行くわけがない。
  知っててそれを言うな。

匡近の腕が伸びてひいろを抱き寄せる。あまりに突然で驚く声が小さく上がるが。聞こえないフリをして後藤を見る。

「行かねぇよ。」

珍しく口が悪い。
後藤はそんな匡近の変化すら楽しくなって笑っていた。

こんな何でもない日が続けばいい。
ただそれだけで十分幸せと思うことができるから。 




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