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「食べてしまうのがもったいないです」
先程からひいろは金魚の形をした飴細工と睨めっこを続けている。
光を透かしてみればキラキラと輝き、ヒレが揺蕩(たゆた)う その姿は今も水の中を泳いでいる様だった。
「俺は食べ終えたから、器を返してくる」
少し待っててくれと匡近は立ち上がった。
先程まで焼いた鶏肉がゴロゴロと乗ったどんぶりがあったはずなのだが、いつの間にか匡近の胃袋に収まってしまったらしい。
前に「2人分食べないと」と言った彼は本当によく食べる。その割に体型は変わる事なく、それだけの栄養を自分が吸い出しているのかと思うとひいろはなんとも複雑な思いがしていた。
離れて行く匡近の背を眺めながら飴の金魚の鰭(ひれ)を喰む。
「………甘い」
突然強い風が吹き、外套の頭巾が頭の上から離れていった。いつもより広がる視界に映るのは祭りを楽しむ多くの笑顔。
ひいろは暖かくなる心に目を細めた。
『今度は人間ごっこか?』
頭に直接響くような冷たい声色に手から飴細工が滑り落ちたーー。
ーーーーーー
「人の物に手を出すのはいけない」
匡近は不審な男の手首を掴んでいた。
「……なっ!!、、離せっ!!」
「離すのはお前が取ったその人の財布を返してからだ」
盗人は振り解こうと力を入れるが、自分が力を込めれば込めるほど、掴まれた手首がギリギリと悲鳴を上げる。
器を返し、ひいろの元へ戻ろうと踵を返した時、男が財布を盗むのを目にしてしまった。笑顔が溢れるこの場所でそんな愚行を働く事が許せない。見過ごせばひいろの笑顔まで陰ってしまうと思うと、その体は迷いなく一直線に盗人に足が向いていた。
「返す!返すから!手を、、手を離してくれ!!」
「もう、悪いことはしない。いいか?」
「しない!!しない!!だから!!」
掴まれているのと反対の手で盗んだ財布を力なく差し出され、匡近はそれを受け取った後、手を離してやった。
「戻ってきてよかったね
祭り、最後まで楽しんで。」
「ありがとうございます!!」
財布を取られた青年は涙を浮かべて匡近から財布を受け取る。隣に並ぶ華奢な女性と笑みを交わしていた。
ーー早くひいろのところに戻らなきゃな。
「…畜生、、あいつさえ居なければ、、」
「お兄さん!!!危ないっ!!!」
ーーーーーー
ひいろは凄く嫌な感じがするのに、、逃げ出してしまいたいのに、、足がすくんで動かない。
周りの雑踏は消え、ただ目の前に現れた男の動く音だけが耳に届く。
足音と共にゆっくり、ゆっくり、ドロドロとしたものが纏わりつくようで、呼吸すら意識しなければ忘れてしまいそうになる。
『人も食わずに
鬼に牙を剥いていたかと思えば
今度は人間ごっこか?』
ーーあの時の、、鬼だ、、
『お前は鬼だ
人間と幸せになどなれるはずがない』
「……き、、けな、で、、」
震える手で外套の胸元を握りしめた。
「貴方が、、そうなれなかったからって
決めつけないで…」
『ほぅ。鬼殺隊の奴らに丸め込まれたか
私に立て付くとは、下弦の陸も堕ちたものだ』
「…下弦?………何を言ってるの?」
『お前が手を出したから、下弦の陸が死んだんだ。入れ替わりでお前が下弦の陸となった。何もおかしいところはないだろう?』
「あれは!!あれは私が倒したわけじゃない!!」
『お前が血鬼術をかけなければあの鬼は死んでない。
だったら同じこと。』
鬼舞辻は冷たく笑う。
ひいろが嫌がることを楽しんでいるのだ。
『これからお前は鬼からも狙われることになるぞ。
その地位を欲する鬼は数多。
平穏になど過ごせるはずがない』
「そんなモノ。欲しければ直ぐにでもくれてやる」
『その時、お前は消滅する
あの男と共に居る未来など無い』
鬼舞辻が地位を剥奪すれば、ただの鬼に戻るだけであるが、鬼同士の奪い合いとなればそうはいかない。
鬼舞辻はひいろから下弦の陸という地位を剥奪してやる気はない為、残る可能性は後者のみ。
ひいろの額から大粒の汗が流れ落ちる。
『よし。お前に血をやろう。
そのままではお前が明日にでも死んで終わるのは目に見えている。
そんな簡単に終わってしまうのは面白くない。
私に立て付いた事、存分に後悔するが良い』
「そんなものいらない!!」
だんだんと鬼舞辻が近づいてきても、ひいろの足は震えるばかりで動かない。目の前までくるとひいろの顎に手を添え反対の手で目を覆う。両目に刺す様な痛みが走った。鬼舞辻から少しでも距離を取りたいのに、添えられていた手は顎を掴みひいろを自由にはしない。
『ふっ。たわいもない』
痛みが引き、やっと開いたその目に今度は鋭い針の様な物が迫ってくるのが映る。
ーー嫌だ!嫌だ!嫌だ!匡近っ!……助けて、、
身体中が軋み、声は音となって出てくれない。
闇に落ちて行く視界で鬼舞辻が見下す姿がうつる。その目はまるで道に転がる虫の死骸でも見ているようだ。
『僅かでも耐えきれなくば
あの男を殺す事になるぞ。
血の味を知っている奴を1番に
食いたくなるからな』
身体中をぞわぞわと何かが駆け巡る。
溢れた涙はドロリと重力に従って流れ落ちて行った。
ーー匡近、、
ーーーーーー
匡近に小刀が迫っていた。
盗人が逆上して無我夢中で反撃を仕掛けてきたのだ。
騒ぎを聞きつけてできた人だかりから悲鳴が上がり、数人が盗人を取り押さえようと足を運ぶ。
しかし、日々鍛錬に励む匡近は、盗人の持つ小刀を認識するなり一歩後ろに下がると、その手首を掴み力を込めた。すると痛みに耐えかねた盗人の手からは小刀が離れ、それを遠くに蹴飛ばすと、体をひねると同時に足をかけ地面に伏せさせ掴んでいた手首を背中へと回し拘束した。
流れる様なその動きに、いっときの間を開けて拍手が湧き上がる。
さらに盗人の懐から他の財布が転がり落ちた事で匡近に加勢しようとしていた人達はハッとして盗人の取り押さえに加わった。
「お兄さん怪我はないか?!」
「おかげさまで。
でも、人を待たせてるから、あとは任せたいんだけど」
「見てたやつも、手を貸すやつもこれだけいれば問題はない。
悪いな。直ぐに礼はできないけど感謝してる」
「任されてくれるならそれで十分」
「欲の無い兄ちゃんだな」
匡近は後を任せひいろの元へ走る。
そんなに離れたわけでは無いのに酷く遠くに感じた。
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