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『嫌なんだよなぁ。鼠は嫌いなんだ。
本を齧(かじ)るし、鳴き声は煩いし
人の物を盗もうとするし』
「ッ!!!」
辛うじて鬼の子の手は匡近の日輪刀に届いた。しかし、彼自身が囚われている本は下弦の鬼に阻まれ掴む事が叶わなかった。
『そんな物手に入れても鬼が使える物じゃないでしょ?
君?死にたいの?』
「……………」
鬼の言葉には答えない。
彼女が用があるのは匡近だから。
匡近の日輪刀を構える。
使い方なんて知らない。それでもここ数日ずっと見ていた。ただ本を取り返せば良い。それならきっと何とかなる。
匡近が囚われている本は下弦の鬼が掴んでいる。刀を大きく振りかぶると鬼は後ろへ体を逸らせ刀に当たる事を難なく免(まぬが)れる。鬼の子は体を丸め小さくなると、バネが伸びるかの様に一気に踏み込み、下弦の鬼との間合いを詰める。
鬼の子の左手が匡近の本を持つ手首を掴むと、触れた手首が消え、重力に従って本が床に引っ張られていく。
ーー匡近、ごめん。
鬼の子はその本を力の限り蹴飛ばした。
『何、今の?
………面白い。』
下弦の鬼は消えた手首の断面をマジマジと見つめる。切られたのではなく、消えている。
その珍しい光景にニヤリと笑う。
『でも。片手がないと本を読むのに不便なんだよなぁ?』
君の腕、頂戴。
鮮血と共に鬼の子の左肩から先がぼとりと落ちた。匡近が巻いてくれた腕の包帯も一緒に離れていく。
『ああ。ゴメン。切りすぎちゃった』
悪びれた様子もなく、ニコリ笑う下弦の鬼の姿に鬼の子は匡近の日輪刀を抱いて走り出した。
向かう先は下弦の鬼。ではなく、
匡近の本。
拾い上げ、更に走る。
追われてしまえば、これ以上は勝負にはならないだろう。
だから走る。きっと彼なら。
匡近が信じる彼なら、力になってくれるはず。
ーーーーーー
泳がされているのか興味が逸れたのか、下弦の鬼は追ってきては居ない。
そして
やっと見つけた。
匡近と同じ"滅"の字を背負った背中。
「さねっ!この本守ってて!」
「何が"さね"だ!!
その刀っ!お前匡近に何しやがったァ!」
ーー?アイツ腕が、、?
片腕がない。脂汗を浮かべ、それでも匡近の刀を大事そうに胸に抱き走ってきた。
鬼の子が持っていた本を開くとそこには匡近の生写し。
鬼の子は実弥を睨むように見返す。
「私は、匡近に刀を届けに行く
だから、本を守っていて。」
ーーこの目は知ってる。
信念を持って動いてる奴の目だ
「匡近が戻らなかったら容赦はしねェからな」
鬼の子は黙って頷いた。
人差し指の腹を尖った歯で噛み切ると血が溢れ出す。その指は匡近の描かれたページに不思議な模様を描いた。
血鬼術 鬼術介入
模様に手をかざすと赤い線が動き出し渦を巻いて穴が開く。鬼の子は匡近の日輪刀を抱き直し息を吐くとその穴へと飛び込んだ。体一つが通りきると渦は消え、血の模様も共に消え去った。
鬼に兄弟子を託す日が来るなど思ってもいなかった。しかし、今はそれを信じるしかない。
あの目は信じるに値する
そう実弥には思えた。
ーーーーーー
真っ白な世界。
そこに赤い点が落ちていく。
まるで来た道を記すように。
別に白い世界を染めたいわけじゃない。
腕の止血まで気が回っていないだけ。
「匡近、、何処、、」
片腕を無くし、血が減り続け、目の前が霞み始めた。座っている事も出来ずに倒れ込む。
ーーさねを頼ってまで来たのに、、
《許される日が来るまで、君が鬼から人を守り続けなさい》
ーーやっぱり許される事なんて無いんですよ。
《その時が来たらきっと君にも分かるよ》
ーーそんなの分からない、、
白黒の視界の中、少年が顔を覗き込む。
その顔は何処となく匡近に似ていて頬が緩む。
「ーーーーー!!」
その声は鬼の子の耳には届かず、視界は暗転する。
ーーーーーー
暖かい。
その理由はすぐに明白になった。
傷には包帯が巻かれ、布団に寝かされていたのだ。
「あ、起きた?
倒れてたのを弟が見つけて此処に運んだんだ。
その傷、よっぽど怖い思いしたんだよな。
狼か熊にでもやられたか?」
ーー匡近!!
狼?熊?何を言ってるの?
それに、私の事、、、
隊服ではない匡近に「その姿」と口に出そうとしたが、声が出る前に別方向からの声に遮られてしまった。
「兄ちゃん!!片腕の姉ちゃん起きた?!」
「こらっ!!そんな言い方するんじゃ無い!失礼だぞ!
疲れてるだろうから、今のところは向こうに行っててくれ」
「……はーーい。わかったよ」
匡近の事を兄ちゃんと呼んだ少年は不満そうな返事をして渋々別の部屋へと消えて行った。
「ごめんな。弟はーー
「覚えていないんですか?」
鬼の子は匡近の顔を見て察する。
自分と出会った事はこの世界では無かった事になってしまったと。
胸のあたりがズキッと痛む。
「私は、貴方が、大丈夫?と、声をかけてくれたから、、
貴方が、包帯を、巻いてくれたから、、
、、笑ってくれたから
嬉しくて、嬉しくて、温かい気持ちになって
だから、、だから、、
手放したく無くてここまで来たのに、、
貴方にはこの世界の方が
幸せなんですね……」
涙を流してはいない。
それでも匡近には彼女が泣いているように見えた。
自分が傷つけた。
何かを忘れている事で。
ーー何故、この子は刀を持っていたんだろう?
納める鞘を持たずに。
あの子のもので無いならば
あの刀は誰の使っていたものだろう?
「ここにさねは居ないんですよ?
心配な弟弟子がいるって言ったじゃないですか。
名前教えてねって言ったのに、、」
鬼の子は布団から起き上がるとよろよろと部屋を出ていく。
言われた事を頭の中で反芻する匡近の前を無言で通り過ぎて躊躇う事なく。外へ。
匡近の視界にふと窓が映る。外はまだ明るく日が照っている。
ーー外は、明るい…。
「……外は、、日が、、
駄目だっ!!外に出ちゃ!!!」
鬼の子は外へと続く引き戸に手を掛け、、
開け放った。
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