高貴なる金蘭の交わり



「ごきげんよう、フェリス公爵閣下」

 会話に区切りがついた時、鈴のように可憐な印象を与える声がかかった。
 声の主は、同年代で唯一親しい少女、フィロメナ・フォン・アグノエル大公令嬢。
 緩やかにうねる薄茶色の髪、目尻がやや垂れたエメラルドグリーンの瞳。柔和な美貌を大人っぽく引き立てる、青色の服飾が要所に飾られた若草色のドレス。
 ヴィクトリカ様と瓜二つだけど、アウグスト閣下の面影もある美少女。

 フィロメナの方が家格は上だから、彼女から声をかけられなければ会話できない。
 家格の差異で高慢に振る舞う貴族は多いけれど、フィロメナは礼儀正しくて分を弁えられる聡明な人格者。公の場だからこそ、私の立場をおもんばかってくれる。

「ごきげんよう、アグノエル大公令嬢。本日のドレス、もしやマダム・シュナイダーの最新作ですか?」

 マダム・シュナイダーとは、アナトール王国で最も有名な仕立て屋の店主。彼女が生み出す作品は最新鋭さいしんえいでご婦人の心を射止める。
 彼女の作品を手に入れるのは一種のステータスと言われるほど素敵な意匠ばかり。フリルとレースの使い方に独特な特徴があるから一目で見抜ける。
 ちなみに私のドレスもマダム・シュナイダーが手掛けた逸品だ。

「あら、よくお判りになられましたね」
「今を時めくマダムの作品ですもの。アグノエル大公令嬢の美しさをさらに引き立てる意匠を手掛けられるのはマダムが随一ずいいちです」

 他の仕立て屋なら、盛りに盛ってドレスを重くする。くびれを強調させるコルセットの組み合わせに関しても考慮されない。

 対するマダム・シュナイダーは着る人の気持ちや体質を一緒に考えて、依頼者が納得するまで真摯に付き合ってくれる。
 技術だけではなく、一人一人に向き合う胆力も並大抵では得られない。
 だから多くの貴族に頼られ、愛されるのよね。

「フェリス公爵閣下のドレスもマダム・シュナイダーの作品でしょう? ルシアン殿下のお色も取り入れられていらっしゃいますし、お互い一途で素敵ですわ」

 ドレスは薄紫色だけど、金糸で花の刺繍、緑色の布を要所に使っている。ルシアンの礼装にも銀色と紫色の刺繍が施され、判る人は察するでしょう。

「ありがとうございます」

 でも、改めて指摘されると気恥ずかしくなる。頬の熱と緩む筋肉が抑えきれない。
 はにかんだ直後、「んぐっ」とフィロメナが呻いた。

「……ルシアン殿下。フェリス公爵閣下をお借りしたいのですが」
「あ……ああ。フィロメナ嬢、くれぐれも……」
「心得ております。さあ、閣下。こちらへ」

 ルシアン達に一礼し、慇懃に受け答えしたフィロメナについて行く。
 向かう先は、シャーリーお姉様やハーミア・ナイトレイ伯爵令嬢がいる……あら?

「ナディア」
「なあに?」
「シャーリーお姉様からお聞きしましたが、わたくしも直接、ナディアとルシアン殿下の掛け合いを見たく思っていましたの」

 フィロメナは会場のすみに寄り、私の手をギュッと握ってきた。

「もうっ、甘酸っぱすぎてっ、胸の高鳴りが納まりません!」

 ……あ。これは……まずいかも。
 シャーリーお姉様と同じ反応だと察して、私は危機感を覚える。

「相思相愛で一途に思い思われ。まさに理想の婚約者像ですわ! おふたりの恋路を間近で拝見できる方々が恨めしいっ……! わたくしだってもっと見たいのに……!」
「あ、あの、フィロメナ? ごめんなさい、恥ずかしいからその辺で……!」

 褒められるのは嬉しいけど、流石に見られるのは羞恥が煽られる。
 涙目という情けない表情で必死になだめると、今度は一瞬で真顔に変わった。

「……?」
「……ナディア、お顔を隠して。ルシアン殿下に恨まれたくありません」

 ……そこまで酷い顔なの?

 グサッと胸が痛むが、広げた扇子で顔の大半を隠す。
 フィロメナは胸に手を当て、あからさまに深呼吸を繰り返す。

「フィロメナ様もナディア様の魅力のとりこですのね」

 その時、シャーリーお姉様が友人を連れて近づいた。
 私はいつものように、恭しく会釈する。

「シャーリーお姉様、ご機嫌麗しゅうございます」
「ナディア様もごきげんよう。ルシアンの誕生祝いの贈り物、とても素敵でしたわ」

 シャーリーお姉様は頬を淡く染めて、乙女の表情でうっとりと言う。
 そう言えばルシアン、シャーリーお姉様に見せたと言っていたっけ。

「ルシアン様は私の大切なおひとですから、力を入れて当然です」

 大切だからこそ手を抜きたくない。貰って心から嬉しいと感じるものを贈りたい。
 今回は遅れてしまったけれど、誰よりも愛情を込めていると自負している。

 堂々とした私の発言に、シャーリーお姉様は頬を赤らめた。

「……本当に、ルシアンは果報者ね。ナディア様に一心に愛されていますもの」
「うふふ。ですが、それは私にも言えることです。私の為人ひととなりだけではなく、為政者としての私をも理解してくださり、その上で愛してくれる殿方は、きっとルシアン様だけ」

 下町の少女みたいにどこにでもいるような本来の私だけではなく、爵位を持つ故に冷徹な判断をも降す為政者としての側面を見ても嫌わない。
 私の全てを理解して、受け入れて、一途な愛を直向きに向けてくれる。そんな奇特な男性は一握りだけ。そのひと握りこそがルシアンだった。

「私もルシアン様の理解者として支え合える人間になりたい。本音を言い合って絆を深める家族のように」

 いずれフェリス公爵家へ婿入りする。
 未来の家族。未来の伴侶。私の、未来の夫。
 でも、だからと言って関係を深める努力を怠りたくはない。
 私にとってルシアンは――

「私の最愛ですもの。ルシアン様につり合えるよう、努力は惜しみません」

 胸の奥が熱いのは、きっとルシアンへの愛情を込めた言葉だから。
 気恥ずかしさもあるけれど、心からの想いをありのままさらけ出した。

 頬が熱くなり始めて、気を紛らわそうと話題を変えようと思う。
 しかし、その直後に……

「と……尊いぃぃっ」

 フィロメナが胸を抑えて前屈みになった。
 シャーリーお姉様も両手で口元を隠して、俯きがちに身悶えていた。

「えっ? あ、あの……フィロメナ? シャーリーお姉様? どうなさいました?」
「今のナディア様の表情は尊すぎます……っ! ルシアンに見せたかったですわ」
「ええ、ええ。わたくしもルシアン殿下が赤面して身悶える未来が目に浮かびます。実に惜しい……ですが、わたくしたちの界隈では貴重な清涼剤だと改めて確信しました」

 清涼剤? ……ああ。貴族社会の裏側はドロドロしているものね。
 相手を蹴落とし、陥れ、のし上がって、その上で私利私欲を貪る貴族は少なくない。
 幸いにも私は全うな貴族と関わることが多いので被害に遭っていない。それは偏にアルフォンソ陛下が後ろ盾になってくれているからだ。
 まぁ、狐のように狡猾で、狸のように老獪な貴族はともかく、豚のように貪欲な貴族とはなるべく関わらず、警戒対象に認定しているけれど。

 でも、言うほど清涼剤かしら?
 思わず苦笑してしまうと、シャーリーお姉様の友人――ハーミットも楚々そそと微笑む。

「フェリス公爵閣下は謙虚ですから、あまり実感は無いようですね」
「謙虚は言い過ぎですよ、ハーミット様。ですが、おっしゃる通り実感が湧きません。爵位を持つ貴族であり、国の中枢に携わる以上、清らかでは食い潰され兼ねませんから」
「そういうところでございます」

 私より年上だとしても、私の顔を立てて礼儀正しく対応するハーミット。
 きょとんとする私に、シャーリーお姉様が告げる。

「ナディア様は素直で着飾らない人柄ですが、強かに実績と人脈を築いています。その手腕は大人でも簡単にはいきません。聡い方ならナディア様の偉業の凄まじさを理解できます。そんな誰もが認める素晴らしい人格者の、ありのままの好意と信頼、貴族流の言い回しではない心からの想いが込められた言葉は、黄金以上の価値があるのです」

 大袈裟……とは言い切れない。
 まつりごとたずさわるようになって、貴族社会は殺伐としていると理解した。
 常に相手の粗探しに目を光らせ、言葉に悪意を潜ませ、相手の心身を毒にひたす。
 不穏な異分子や危険因子を牽制・排除するだけではなく、自分が優位に立ちたいがために。
 国営に携わることを認められるほど自分は偉いのだと誤認する者もいる。……私の父・ダナンのように、部下を使い潰し、生贄のように利用して捨てる者も少なくともいる。

 私はそうなりたくない。他人に対して誠実でありたいし、真摯に政を執り行いたい。
 あの人を反面教師として育ったからこそ、強く志すようになった。
 しかし、誰もが同じ思いを抱くことはない。十人十色と言うように、人の在り方は様々だ。
 だからこそ模範もはんとなれるような貴族になろうと決めた。
 まさかそれがいつの間にか叶っていたなんて……。
 衝撃を受けたけれど、正直にとても嬉しい。

「そう言われるに値する貴族に成長できたのも、陛下や皆様が正当に評価してくださるからです。だからこそ私は、皆様の想いに応えたいとこころざせるのです」

 胸に手を当て、穏やかな微笑をもって伝えれば、シャーリーお姉様達は息を呑む。
 心なしか、周囲の雰囲気も変わったような……?

「……どうかしましたか?」

 不思議な沈黙に首を傾げると、三者三様の反応を見せた。
 シャーリーお姉様は目を閉じて天を仰ぎ、フィロメナは胸に手を当てて前屈みになり、ハーミットは両手で顔を覆い隠して……。

 ……打ち合わせでもしていたのかしら? こうも綺麗に異なる反応されると演劇を見ているような気がする。

「お前がナディア・フェリスだな」

 不意に聞き覚えのある声がかけられた。
 落ち着きを払って振り返ると、ルシアンと似て非なるジューダス第三王子がいた。
 気安い呼び方に嫌な感覚を感じたが、相手は王族なので行儀よく一礼した。

「おっしゃる通り、ナディア・フェリス公爵にございます」

 作法に則って名乗って顔を上げると、ジューダス第三王子が私に手を伸ばしてきた。
 男性が婚約者でもない女性に気安く触れるのは心象に悪いというのに。
 けたいと思っていると、後ろから腕を引っ張られた。

「婚約者でもない貴方が、気安くナディア様に触れてはなりません」

 腕を引っ張り、私を庇ってくれたのはシャーリーお姉様だった。
 王族相手に無礼な行動をとれない私のために……。

「それと、名前呼びを許されていない貴方は、彼女を役職で呼びなさい。それが礼儀よ」
「……姉上は俺に厳しすぎないか?」

 不快そうなジューダス第三王子だが、シャーリーお姉様は嫌悪感をあらわにした。

「十三にもなって礼儀を弁えないなんて王族の恥ですもの。たとえルシアンが貴方と同じ行動をとったとしても、同じように苦言を呈していましたわ」

 はっきりと王族の恥と言い切った。しかも公衆の面前で。
 流石に許容できなかったのか、ジューダス第三王子は歪んだ表情に屈辱感を滲ませた。

「俺を侮辱するのか、姉上」

 ジューダス第三王子の物言いに、シャーリーお姉様は深々と嘆息した。

「お母様の故国で、いったい何を学んできたのかしら。まさか遊び惚けていたのではないでしょうね? でなければ以前より悪化していませんもの」

 またしても毒のある言葉をはっきりと言い切った。
 淑女らしい言い回しができない……否、しても意味がないのかもしれない。

 言葉の額縁を理解できないほど、彼には真っ直ぐな言葉ではないと伝わらないのか。
 シャーリーお姉様に苦労を掛けるなんて……不味い、私まで嫌悪を感じ始めた。

 それでも貴族として、ただ傍観するのは醜聞しゅうぶんに繋がる。
 守られてばかりではいられない。だからシャーリーお姉様に言った。

「申し訳ございません、シャーリーお姉様。それ以上はジューダス第三王子殿下の評判に傷がつきます。それに、シャーリーお姉様が家族関係でつらい思いをしてしまいます」
「ナディア様……」
「お気遣いくださり、ありがとうございます」

 たとえ相手が嫌いでも、私のように家族関係が破綻してほしくない。
 眦を下げて微笑すれば、シャーリーお姉様は切なげに目を細めた。

「第三王子殿下のためを慮る諫言かんげん、感服致しました。もし更なる成長をお望みですと、シャーリーお姉様の信頼できる教師をご紹介しては如何でしょう?」

 姉弟関係の修復を試みつつ提案すると、シャーリーお姉様は目をみはる。
 目からうろこが落ちた表情に笑みを深める私に、シャーリーお姉様も笑みを見せた。

「そうですわね。わたくしたち王族に礼儀作法をご教授してくださるマダム・ラザラス夫人でしたなら、ジューダスの成長をお助けできますわ」
「名案です」

 意味深に笑い合いながら和気藹々と会話する。
 その間にジューダス第三王子が一言もなく退散した。
 勝った。意外と骨のない王子だったけれど、早く去ってくれてよかった。
 内心でほっと胸をなでおろすと、シャーリーお姉様がクスクスと笑った。

「さすがナディア様。素晴らしい機転でしたわ」
「ありがとうございます」

 誰かに褒められるのは嬉しい。それが大好きな身内なら尚更。
 心からはにかむと、シャーリーお姉様は頬を赤らめて笑った。

 ちょっとしたハプニングがあったけれど、ルシアンの誕生日を祝えた。
 後日、ジューダス第三王子に最も厳しい礼儀作法の講師、マダム・ラザラスの指導を受けているとシャーリーお姉様から聞かされるのだった。
 ジューダス第三王子に嫌われたかもしれないけれど、こればかりは仕方なかった。


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